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2020年12月

2020年12月31日 (木)

あと何年生きられる・・・引き算の人生。 今・今・今の積み重ね・・・足し算の人生。

2020年も12月31日、大晦日を迎えました。

いろいろいろいろあった一年でしたが、皆様お疲れさまでした。

今年もありがとうございました。

東京は晴れが続いていますが(昨日、久しぶりに雨が降りましたが)、全国的には雪が降っている模様。

大事ないことを念じています。

 ☆

2001年を迎える前のこと。数字の切りがいいからと、坊守(母)が2001年からの「10年日記」を買ってくれました。

それから10年後、2011年を迎える前にも「10年日記」をプレゼントしてくれました。

それから10年経ち、2冊目の「10年日記」(2011年~2020年)が終わることになります。

このブログを投稿し、2020年12月31日の欄に今日を振り返ったら終わりです。

たしか1冊目が終わるとき、「「10年日記」が書き終わります」 という投稿をした記憶があります。

それから10年が経つのですね。

「10年ひと昔」と言いますが、時の流れの早さと、いろいろなことがあるなぁ(あったなぁ)ということを想います。

で、この2020年暮れ、坊守は新しい「10年日記」(2021年~2030年)を用意してくれていました。

さて、どんな10年になることでしょう・・・

 ☆

「人は、いのちあるものは、限りの有るなかを生きています」

「明日ともしれぬ いのちを生きています」

なんて言いながら、これから先 10年間 書き綴ることのできるものを手にするわけですから、おもしろい話ですね。

でも、2021年1月1日で終わるいのちかもしれない。

たとえその1日だけで終わっても、それが私の生きた証です。

 ☆

暮れは、ドラマの一挙放送があって、つい見てしまいます(じっくりとは見られませんが)。

昨日今日と「義母と娘のブルース」(綾瀬はるかさん主演)が放送されていました。

本放送の時は見ていなかったのですが、義母と娘の10年ほどを描いた大河ドラマだったのですね。

時折涙浮かべながら見てました。

ドラマでは、“奇跡” という言葉がよく出てきました。

「小さな奇跡っていうのは実は毎日毎日あって、その奇跡を見つけながら生きて行けばいいんだ」というようなセリフがあって、“なんだか いいなぁ”と思いながら聞いていました。

起こり得ないことが起こる!というような意味で“奇跡”と言っているのではなくて、生きていくなかで物事を感じること そのひとつひとつが“奇跡”なんだよ、と言っているように聞こえました。

“奇跡”と表現するならば、私たちが毎日目を覚ますことも、心臓のひとつひとつの鼓動も、奇跡ではないでしょうか。

であるならば、私たちが日常と思っている“生”そのものが“奇跡”であり、非日常と思っている“死”は“自然”のことなのかもしれません。

なんだか、腑に落ちました (^-^)

2021年からも、「10年日記」に“奇跡”を綴っていこうと思います。

 ☆

ドラマといえば、数日前のブログに、「嫌なストーリー、見たくないシーンをドラマに描かないでほしいという声を聞きますが、もしそんなドラマがあったとして、私たち見たいと思いますか?」というようなことを書きました。

で、この年末、「孤独のグルメ」(松重豊さん主演)も再放送されていて、つい見てしまいました(漫画は読んだことがあるのですが、実はドラマをちゃんと見たのは初めてです)。

輸入雑貨商を営む主人公 井之頭五郎(松重豊)が、仕事を終えた後にフラッと立ち寄る飲食店での様子を描いたドラマ。

何にしようかな。あの人が食べているもの美味しそうだな。今日は絶対にこれを食べるんだ! と、メニューとにらめっこして、やっと選んだ一品を、ひたすら食べます。

そして食べながら心のなかで感想をつぶやいています。

で、食べ終わったら「ごちそうさま」。

お店の人と一言二言話して、レジで会計してさようなら・・・

基本的に そんなお話。

お店の人やお店にいるお客さんと、“奇跡”的な出会いや 濃厚な会話をするわけではない。

淡々としたストーリー。

でも、登場するお店は実在するので、そのお店で出される料理のおいしそうなこと😋

しかも、たまに車で通っている通りにあるお店が出てきて、驚きました(あ、あそこレストランだったの!?)

とても美味しそうな料理でした(行きたいなぁ)。

あ、つまり、特に盛り上がりも イレギュラーなストーリーもないドラマも成り立つんだなぁ・・・ということを思ったのです。

見終わって満腹になるドラマでした。

淡々とした日常も、また“奇跡”です。

 ☆

出会っている人とも、出会っていない人とも、今はいない人とも、これから会う人とも、すべての人と 奇跡的な日常を過ごしています。

今現に。

来年も、共に生きましょう。

ありがとうございます

南無阿弥陀仏

2020年12月30日 (水)

カオス(混沌)

性的マイノリティの方への無理解から出てくる差別的な言葉。

時代の変遷と共に、人々の想いも思考も理解も変わってくる。
(実際は、“変わった”わけではなく、表層に、生活に表われてきただけのこと)

個々の思考はあるけれど、自分の思考とは違う人に向けて、自分の理解の範疇を超えるからといって差別をしていい理由にはならない。

政治を司る立場、企業のトップに立つ人に差別的発言が目立つのは、世間に、人心に思いを寄せていないからだろうか。
(有名な人ゆえ、発言が取りざたされる側面はあるけれど、だからといって「仕方ない」で済まされる話ではない。それに、私たち自身にも差別意識が根強くある)

「多様性を認めること」は大切なことだけれど、

“多様性”を認められない人の思考を切り捨ててしまっては、多様性を認めていないことになってしまう難しさ。

「多様性を認めること」を訴えている人が、「その古い考えが、人を傷付けている」「いつまでも古い考えを盾にするのはやめてほしい」「古い考えは捨ててほしい」旨発言しているのを見聞きすると、さて、「多様性を認めること」の矛盾や難しさを感じてしまう。

そのことを考えさせられる一年だった。

その、「差別的だ」と喝破される発言・思考は、数年前までは否定されることがなかったのだから。

場合によってはお笑いのネタになっていたし、そのネタを見て私たちも爆笑してはいなかったか。

時代や文化芸術や風俗の流れ、物事や人々の思考の移ろいに敏感な人は、「自分の考え方は間違っているかも、古いかも」「あぁ、そういう考え方もあるんだなぁ」「今はこういうことが王道の時代なんだな」などと考えが及ぶ。

けれど、そういう人ばかりではない。
(そういう人ではない人の方がはるかに多い)

性的思考について、生まれについて、結婚して子どもを産んで自分たちで育ててなどという発言について、自分のなかの常識が世の中の正論と思っている人はたくさんいる。

世の流れの上っ面だけを見て、「あぁ、そういうことね。こう言っておけば差別性はないのね」なんて合わせられても、それは多様性が認められたわけでも理解されたわけでもない。

「こういう考え方は古い!」と一刀両断してしまうと、言われた方は何が古いのか、何が違うのか、何がいけないのか、考えようともしないだろう。

「あいつらの言っていることはおかしい」で終わってしまう。

しんどいけれど、地道に語りながら広めていくのが最善ではないだろうか。

以前の常識が現代(いま)の常識ではなくなるということは、現代(いま)常識となりつつある事柄も未来には常識でなくなる日もくるかもしれない。

そして、「その考え方は古い!」と言われてしまうのだろう。

長い時間 固定化されてきた思考が、ここ数年で溶解してきたのだと思う。

その動きに、人間自身が追い付いていないのかもしれない。

情報化社会とか、ネットによって情報がたくさん手に入れられる時代になったとか言われる。

けれど、ご存じのとおり、ネットで手に入る情報は、その人の思考に合わせたものが流れ込むので、個人の多様性は膨らまない(より狭まっていくとも言える)。

多様な情報が手に入っても、その処理能力が追い付かない。

結局、個人の殻に閉じこもってしまう。

思考の幅が広がってきたのに、人間のキャパがそのまま(あるいは狭まっている)なので、人と人との間の距離も広がっていくし、自分の中で思考をストップさせてしまう。

「多様性を認めること」に大きな壁があるのは、無理解という面もあるけれど、そういう(思考の幅が広がってきたのに云々)時代状況・人間状況もあるのではないだろうか。

新型コロナのみならず、困難な時代のただなかにいる。

2020年12月29日 (火)

一緒に過ごせる時間

「親といられる残りの時間は?」と尋ねられたとき、どれくらいの時間を思い浮かべますか?

平均寿命と言われるもので考えると、「あと何年」と、年単位を考えるかもしれない。

仮に、親の年齢が平均寿命まであと10年とします。

仮に、親とは別のところに住んでいて、盆休みと年末年始に計6日くらいしか帰省しない生活をしているとします。

実家に帰ったからといって、親とべったりなわけはありません。

ご飯を食べるとき、お茶飲みながらテレビ見てちょっとおしゃべりする程度だとすると、一日の内一緒にいるのは4時間程度だそうです。

その前提で計算すると、4時間×6日で24時間。

親とは一年のうちで24時間(1日)しか一緒に過ごさないことになります。

それが10年間ということで、240時間(10日)になります。

「平均寿命くらい生きてくれたとして、あと10年くらいは、親と一緒にいられるかなぁ」と想ったとしても、実際親と同じ時間を過ごすことができるのは10日ほどの話になります。

という話を、後輩から聞きました (*^_^*)

話の元を調べたら「チコちゃんに叱られる」(NHK)でした。

 ☆

うち(西蓮寺)は、二世帯住居の形をしていますが、職場でもあるので、比較的親と共に過ごす時間が多いと思います。

けれど、事務所で共に詰めている時間があるわけでもありません。

このコロナ禍、外への法務は基本 私(副住職)が出ています。

寺の務めも、住職・坊守・副住職・准坊守が、それぞれの仕事をそれぞれにしています(共同作業もありますが)。

食事は別々です。

すると、同じところに住んでいても、一日の内で一緒にいる時間となると、果たしてどれくらいになるでしょう。

“一緒に過ごす時間”と考えると、それほどの時間でもないのかもしれません。

 ☆

親と子の関係も様々ですから、「え!それだけしかないの!?」と感じた方もいるでしょうし、「べつにどうでもいい話だ」と思う方もいることでしょう。

親が先に亡くなる前提の話ですが、私が先に往くことだって考えられます。

入る息が出なかったら さようならのいのちを生きているのですから。

でも、親と子の関係だけでなく、「一緒に過ごせる時間」とは、連れ合いとの時間でもありますし、仲のいい友人との時間でもあります。

お互いが長生きしたとしても、“一緒に過ごす時間”は、かなり短いものになります。

それだけ、“一緒に過ごす”ということは、有り難いことなのですね。

このコロナ禍で、帰省を控えるように、自分たちはなにも控えない人たちから要望されています。

多くの方が帰省を控えている、諦めていることでしょう。

妻も秋田への帰省を見送ったので、子どもたちは残念がっています。

「あと〇〇年くらい」という思い方もありますが、「時間に換算すると何日分」という思い方もあります。

大切な人、恩のある人、一緒にいたい人・・・どんなに一緒にいたくても、その時間には限りがあります。

一緒にいる時間も大切ですが、一緒にいられないときもまた共に生きているんだという想いを大切にしたいものです。

帰省ができず淋しい思いをしている人が大勢いることと思います。

でも、こういうときだからこそ、電話で話したり、手紙を書いたり、メールをしたり・・・思いを伝える時間として大切に使って生きたいものです。

年賀状を書いていて、今年の正月にいただいた年賀状を見返していたら、今夏に亡くなった恩師からの年賀状がありました。

いただいたとき、それが最後の年賀状になるだなんて思いもしませんでした(当然です)。

人柄の表われている年賀状に、温もりと、周囲の人々に対する慈しみの想いを感じました。

思い起こされる“一緒に過ごした時間”があります。

これから一緒に過ごすことはかないませんが、今までに一緒に過ごした時間は無くなりません。

伝えた思い、伝えられた(いただいた)恩は、無くなりません。

ありがとうございます。

南無阿弥陀仏

2020年12月28日 (月)

死を描く

録画していた「鬼滅の刃」を、坊守と娘(バァバと孫)が見ています。

鬼滅大好きな娘に、バァバが尋ねています。

「“鬼滅の刃”のどこが好き? バァバは、人や鬼が切られて、ちょっと苦手だわ」

ちなみに、バァバは『鬼滅の刃』の単行本を読んでいます。

娘は、『鬼滅の刃』の好きなところを、自分の語彙を尽くして説明しています。

その光景を見ながら、ふと思ったことがあります。

私も『鬼滅の刃』のストーリーは好きですが、取り立てた目新しさは感じません。

『鬼滅の刃』がなぜこんなに人気が出たか!?ということを、「鬼は、ただ残虐なだけの存在ではなく、人間から鬼になった背景があり、その部分が描かれている。炭治郎は、鬼を切った後に慈しむように手を差し延べる」というような解説をされる方もいますが、そういうストーリーのマンガは既にあります。

たおえば、『鬼滅の刃』とともに「週刊少年ジャンプ」で人気の『ワンピース』も、敵キャラが背負っている悲哀が描かれています。

私は、『ワンピース』を読む際に、読む側として心の片隅に留めている事柄があります。

『ワンピース』は、単行本において読者からの投稿と作者がやりとりをするページがあります。

そのページ内で、作者がマンガを描く際に意識していることが書かれていました。

作者は、おばあちゃんから「マンガの中でも、「死ね」とかいうセリフは言わないで欲しいし、実際に死ぬシーンも描いてほしくない」ということを言われたことがあるそうなのです(正確な文言ではありません。何巻に書いてあったかなぁ)。

その想いを受けとめて、作者は極力「死ね」というセリフや、キャラクターが死ぬシーンは描いていないそうなのです。

ストーリー上、敵が主人公に向かって「死ね」ということはありますが、主人公やその仲間が「死ね」ということはありません。

また、これだけ闘いが描かれているのに、「死」を前面に描いたのはエースと白ひげだけではないでしょうか(ここは、描かなければならなかったのです)。

ストーリーに闘いがあるマンガには、読んでいる私たちのなかに、敵キャラの、場合によっては主人公側のキャラクターの「死」を望む気持ちがあるのではないでしょうか。

小学生の頃は、『キン肉マン』を読んでいて、ロビンマスクやウルフマンやウォーズマン、バッファローマンの死に衝撃を受けたものでした。

その衝撃が、敵の強さや事の重大さを表わしていました。

死が描かれることによって、主人公側のキャラクターへの愛情や、敵キャラへの憎悪がこころのなかでハッキリとし、ストーリーの深まりを感じたのではないでしょうか。

『ドラゴンボール』は、修行を共にしてきたクリリンの死によって、悟空はスーパーサイヤ人になります。

なかなか超えられなかったスーパーサイヤ人への壁を乗り越えさせる理由として、親友クリリンの死は、これ以上ない理由・動機だったのです。

「死」からインパクトを受けてきた読者にとって、もしかしたら『ワンピース』は物足りなさがあるのかもしれません。

私個人的には、作者が大切にしているおばあちゃんの想いというものが作品に反映されているんだなぁ。

そういうことを大切に読まなければいけないなぁと思いながら拝読しています。

さて、残酷な描写が少ないなかで、『鬼滅の刃』は、人も鬼も血を噴き出して死ぬし、柱の煉獄杏寿郎までもが死んでゆきます。

「死」の描写に、私たちは良くも悪くもこころ動かされているのではないでしょうか!?

そんなことを、母と娘の会話を横で聞きながら思いました。

で、今日書きたかったことは、『鬼滅の刃』の描写が残酷だ!という筋の話ではありません。

マンガの側の話ではなくて、読む側の話です。

ドラマやアニメに対して「残酷な内容、暴力的なシーンはなくしてほしい」という声を聞くことがあります。

今放送されている朝ドラ「おちょやん」にしても、「幼い子が、親をののしる言葉が嫌だ」とか「子どもが親を蹴るなんて」という感想がありました。

さて、そういうシーンやストーリーを無くしたドラマやアニメが作られたとして、私たちは見るのでしょうか? 楽しめるのでしょうか? 納得できるのでしょうか? 

人間の残酷な側面、汚れた側面は、やはり外しては描けないのではないでしょうか。

目を背けてはいけない部分なのではないでしょうか。

そう考えると、『鬼滅の刃』には、ストーリーやキャラクターの個性とともに、私たちが求めているもの、目を背けてはいけない事柄からの希求が描かれているのではないか!

だからこそ、多くの人が惹き付けられているのではないか! なんてことを思いました。

2020年12月27日 (日)

学校のこれからは、日本のこれから

「東京新聞」 2020年12月20日(日)朝刊 「本音のコラム」

少人数学級のこれから 前川喜平(現代教育行政研究会代表)

 来年度から5年で、公立小学校の1学級の児童数の上限を35人にすることが決まった。新型コロナの感染防止や長期休校による学習の遅れの回復に苦労する学校現場や自治体、学界から少人数学級を求める声が高まっていた。他方、相次ぐ大型補正予算で財政規律が一挙に弱まった。この絶好の機会を逃さなかった文部科学省は、よく頑張ったと思う。中学校も含めた30人学級は、今後また頑張ってほしい。
 既存の加配定数の一部を振り返ることは少し心配だ。少人数指導やチームティーチングができなくなるのは困る。新採教員が確保できるか、非正規教員が増えないかという心配もある。勤務条件の改善と非正規任用の規制が必要だろう。
 現下の三密回避のためには、各自治体での国の計画を先取りした少人数学級が望まれる。加配教員の学級担任への振り替えや特別支援学級と通常学級のインクルーシブな少人数学級への再編成など、現場での柔軟な対応も認めるべきだ。
 将来的には、基礎定数を学級数で計算するのをやめ、加配定数は縮小し、学校ごとの定数を児童生徒の総数に応じて定めるようにするべきだ。特別支援学級も含め学級編成の権限は教育委員会から学校に降ろす。チームティーチングや通級指導も学校に任せる。教職員定数の使い方は現場に委ねるべきなのだ。

 ☆ ☆ ☆

「東京新聞」 2020年12月27日(日)朝刊 「本音のコラム」

客室乗務員を学校へ 前川喜平(現代教育行政研究会代表)

 21日の記者会見で萩生田文科相は、新型コロナウイルスの影響で仕事が減った航空業界から、教員免許を持つ客室乗務員を学校現場に受け入れる考えを示した。
 文部科学省は、来年度予算に90億円を計上している「補習等のための指導員等派遣事業」の中で客室乗務員も受け入れる方針だという。教育委員会の非常勤講師として採用され学校に派遣されることになるが、その報酬額と現在の給与との差額は航空会社が負担することになるのだろう。
 しかし、本当に意欲と能力のある人なら、補助的な非常勤職員ではなく、正規の教員として受け入れたらいい。客室乗務員に限らず、さまざまな分野で職業経験を積んだ人たちを教員として中途採用することは、学校教育を豊かにするうえでも望ましいことだ。
 特に教員採用氷河期に当たる40歳前後の教員の数は全国的に少ないから、この年齢層の中途採用は積極的に行うべきだ。その際には、例えば35歳以上というような年齢を区切った特別枠を設けて面接や実技を重視した選考を行うことや採用後の処遇について職業人としての前歴を正当に評価した給与を支給することが必要だろう。
 学校にさまざまな職歴を持つ人が加われば、教師集団の多様性が高まり、子どもたちの社会への目を大きく開かせてくれるに違いない。

 ☆ ☆ ☆

上記、「東京新聞」内のコラム「本音のコラム」を2本引用させていただきました。

今年のコロナ禍、3月2日から全国の小中高校に休校要請が出され、6月いっぱいまで続いた。

学校での学びの場が奪われ、勉強の遅れを危惧する声が巷に溢れた。
(一人で黙々と勉強できる子はいいけれど、そうでない子もいる。机上の勉強だけでは学べない、集団の中でこそ身につけられることがある。学校での給食が、栄養を取る食事になっている子もいる。)

その頃、「日本も新学年の始まりを9月からにしよう!」という声が高まった。

1学期がほぼ潰れてしまった2020年度、新学年を9月スタートにすれば、1学期の遅れを取り戻せる!という想いもあったと思う。

もっとも、その声が高まった時期は、夏場には新型コロナが収束するだろうという淡い期待がまだあったように思う。

けれど、新型コロナは収束するどころか、第2波 第3波が押し寄せている。

それとともに、新学年9月スタートを求める声も静まったように感じる。

私も、新学年9月スタートに賛成だった。

このコロナ禍に関係なく、そう思っていた。

恥ずかしい話、新学年9月スタートは、世界的には当然のこと 多数派のことと理解していた。

けれど、新学年スタートの月は、世界的に見てもバラバラであることを、このころに学んだ。

つまり、“日本も”新学年9月スタートを!の必然性はなかった。

新型コロナの収束が見えない今となっては、新学年スタート論争は横に置かれた感がある。

勉強の遅れを取り戻す、あるいは効率的な学びを模索するという側面でいうと、一クラスの人数を少なくするという考え方もあると思う。

長女の学年が、生徒数の関係で一クラス30人をちょっと超える程度の人数なのだが、学校公開(授業参観)に行くたびに「あ、これくらいの人数いいな(もっと少なくてもいいな)」と思っていた。

生徒としても、多少は落ち着いて学べるし、先生の側も、ひとり一人に注力できるのではないかと思う。

という話になると、教員数と教室の数の壁にぶち当たる。

娘が通う小学校で言うと、長女の学年(6年生)が二クラスで多学年は三クラス。

来年度の新一年生は三クラスになりそうなので、全学年が3クラス、計18クラスになる。

でも、現時点で教室はいっぱいいっぱい。

「え?でも私が通っていたとき(40年ほど前の話)も18クラスだったよ! なんで教室が足りなくなるの?」と妻に話したら、

「今は、算数の理解が遅れている子の少人数教室もあるし、学童のための教室もあるし、PTAの部屋もあるのよ」とのこと。

あぁ、私が通っていた頃と、小学校の成り立ち自体が違うのですね。

現在(いま)、一クラスの人数が多いと言われているなかにおいても、理解の遅れている子をカバーするための対応がとられていたり、小学校下校後の時間も学童で見てくれたり、子どもたちのためにできるだけのことをしてくださっている。

休校要請中の学校・先生たちからのアプローチも、ありがたいものがあった。

休校だから先生たちも休み、というわけでは決してない。

教室数の問題は、急に建物を増設するわけにはいかないから対処に時間もお金もかかるし、頭をひねらなければならない。

それとともに、教員数の問題もある。

教員を目指す人が減っている。

そもそも学校の先生は重労働であると思う。

この五里霧中のコロナ禍において、子どもたちを孤立させないためにできることを見つけて、光を当てようと努めてくださっていた。

さらに、不必要不条理なクレームを浴びせる親や周囲の人々の存在も、教員への成り手を減らしていると思う。

コロナ禍における医療従事者への差別や偏見も同様だが、根も葉もないことを根拠に他者を苦しめる行為は、医療従事者や教職員の成り手を減らし、そのつけは結局自分に(すべての人に、後の世代に)返ってくる。

「雇用が増えれば募集も増え、応募者が増える!仕事を失った人が助かる!」という単純な図式にはいかない。

場があれば人が集まるということが簡単にはいかない現状ではあるけれど、教員免許を持つ客室乗務員も教育の現場に!という道が開ければ、それはそれで有り難いことだと思う。

子どもたちにとっても、教育現場への夢を持った人にとっても。

前川喜平さんは、元文部科学省官僚だけあって、いろいろな想いや願いがありますね。
(コラムのすべてに肯首するわけではありませんが、限られた字数の中でこれだけ書く項目があるわけですから、疑問点や改善点が多々あるのは伝わってきます)

今日のコラムを読んで先週のコラムを思い出し、「これはふたつでひとつの事案だな」と思い、引用して投稿しました。

少人数学級には、大きな可能性があると考えます。

2020年12月26日 (土)

「恋だの愛だのキスだの、そんなバカなことを書くことが、平和。だから僕はバカなことを書きまくった。それが平和の象徴、自由の象徴なんです」

2020年12月23日、なかにし礼さん(作詞家・作家)が亡くなりました(82歳)。

なかにし礼さんが作詞した「北酒場」を作曲した中村泰士さんも12月20日に亡くなられています(81歳)。

10月7日には作曲家の筒美京平さんも亡くなられています(80歳)。
(TOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」はなかにし礼さん作詞・筒美京平さん作曲なのですね)

歌謡曲は時代を表わしますし、時代を元気づけます。

世代を超えて、なにか流行歌がある時代(とき)は、世の中の雰囲気に元気があるような気がします。

そういう曲を作ってきた時代の証言者たちが亡くなり、淋しさを感じます。

個人的には、作詞家・作家としてのなかにし礼さん以上に、コメンテーターの側面が印象に残っています。

いけないことはいけない!と、ハッキリ物申す印象があります。

政府が集団的自衛権行使容認した際も、怒りを露にしていた記憶があります。

この年代の方々の作品には、戦争体験を通しての平和希求の願いが込められているように感じます。

年を重ねられた方の死を語ると、ノスタルジーにひたるな!とか若い人にも才能がある人がたくさんいる!という声が挙がるのですが、

べつに感傷的になっているわけでも、現代の若者より昔の人の言葉は重みがあるなどと言うつもりはありません。

ただ、自分の慣れ親しんできた曲を作った方々が亡くなり、戦争を経験した彼らが抱えながら作ったものと、戦争を知らない世代が作ったものとの違いはなんだろう?ということを思ったのです。

当然のことですが、戦争を体験しているか否かという違いがあります。

よく「戦争体験が作品に反映されています」というような文句を聞きますが、その「戦争体験」とは何をさすのだろう? 「戦争体験」の何が反映されているのだろう? 戦争を知らない世代はそういうことを想像し(想像するしかないのですが)、受け止めなければいけないのではないかと思います。

たとえば、現代日本に生きる私たちは「個人の自由」を訴えます。

けれど、すでに自由を得ているなかで主張する自由と、自由のない時代・状況・経験をしている人が求める自由とでは、その内容が異なるのではないでしょうか。

現代(いま)は、自分の思うがままに作詞作曲ができます。小説や文章を書くことも出来ます。それらを公に発表する自由もあります。

差別的な表現をしたり、盗作をしたりなどということは当然許されないことですが、個人で楽しむ限りにおいては何でも表現できます。

戦前戦中は、表現内容にチェックが入りましたし(検閲)、国や軍を貶めたり疑義を呈する表現などできるはずもありませんでした。

娯楽的な内容を含む表現できませんでした。

そもそも歌を作ること、歌を歌うこと自体が許されないときもありました。

歌(詩・言葉)を紡ぐ自由のない時代を経験してきたなかで、それが打ち破られて、自分の想いが表現できる状況になった、時代が来た。

黒が白になった。闇が明になった。不自由が自由になった。
(前者が酷いことで後者が良いこと、という意味ではなく、時代状況がガラリと変わったという意味で書いています)


敗戦の瞬間(とき)を経験した方は、「戦中と戦後で大人の言うことが180度変わった」という経験を語られます。

それほどまでに黒白の変化がある世の中で、

 私たちは何を大切に生きればよいのでしょう?

 私たちにとっての正義とはなんなのでしょう?

 私たちのいのちは 果たして重たいのか軽いのか?

いろいろな逡巡・葛藤・迷い・苦悩があったことでしょう。

戦争を知らない世代は、そういう経験をしていません。

その経験というろ過装置、あるいはクローズアップする虫メガネ(顕微鏡)、あるいは俯瞰する望遠鏡を、持った人間と持たない人間とでは、表現されるものも変わってきます。

不自由を経て得た自由を肌感覚で知った人の自由と、(一応)自由が当然の世の中で自由の主張なんて当たり前のこととして謳歌している人の自由とでは、自由の意味も重さも内容も変わってきます。

戦争を経験するべきということを言っているのではありません。

多くの人が記憶に留めるような作品を作った方の訃報を聞くと、驚きや淋しさが隠せません。

そういう感情は、単に「有名な〇〇が亡くなった! 残念だ」というだけの話ではないと思います。

そういう方々の作品から、大切な何かを感じたり、励まされて頑張ってこれたり、忘れてはならないことを心に刻まれたり、といったことがあったからです。

そして、そういうことを感じさせる作品には、ろ過装置を通した言葉、虫メガネで注視して紡ぎ出された言葉、俯瞰して冷静・冷徹に言い放った言葉が注ぎ込まれています。

ということは、後を生きる私たちは、それらの言葉の意味を噛みしめ、それらの言葉が紡ぎ出されるに至った背景や時代状況を想像するべきこと、できることと思います。

戦後75年経ち、

平和を求める声をあげることが出来る。戦争が始まってしまうと、平和を求めることが非国民扱いされる。

反対に、経済のためには戦争も核武装も必要という声も現にある。しかし、そのような声もまた、あげる自由がある。

自分の思ったことを声に出せる自由、作品に投影する自由が、現代(いま)、ある。

その自由は、不自由(自分の想いを押し殺される時代)を経て得たものである。

なかにし礼さんは、今日の投稿のタイトル「恋だの愛だのキスだの、そんなバカなことを書くことが、平和。だから僕はバカなことを書きまくった。それが平和の象徴、自由の象徴なんです」と語られたそうです。

書くことができる、表現することができる、歌うことができる・・・そこに自由を、平和を感じながらの創作だったのです。

私たちが懐かしんで口ずさむ曲。

その曲を作った人の心や育ってきた過程には、自分の想いを表現したくても許されない時代(とき)があった。

そのことを忘れてはいけない。

なかにし礼さんの訃報に接し、そういうことを想います。

南無阿弥陀仏

2020年12月25日 (金)

新聞をめくる手が重たかった朝

安倍前首相後援会主催の「桜を見る会」前夜祭を巡り、公職選挙法違反と政治資金規正法違反の両容疑で告発されていた安倍前首相を、東京地検特捜部は24日、不起訴とした。

今日25日、安倍前首相は、衆議院の議員運営委員会に出席して謝罪を述べた。

テレビで放送されていたが、多くの人が「秘書のせいにするな」と感じたのではないだろうか。

秘書のせいにして逃げ切りをはかり、本来それを許さないはずの検察が、かくもあっさり不起訴にいた。

比較する話、同等に扱う話ではないのかもしれないけれど・・・

昭和41年に静岡県で一家4人が殺害された、「袴田事件」と称されている事件で死刑が確定した袴田巌さんについて、最高裁判所は「再審・裁判のやり直しを認めなかった東京高等裁判所の決定」を取り消し、高裁で再び審理するように命じる決定をしました。
最高検察庁の齋藤隆博刑事部長は「検察官の主張が認められなかったことは誠に遺憾だ。決定の内容を精査し、適切に対処したい」というコメントを発表し、不服申し立てしている。

検察は、権力におもねり、民間の人びとは徹底的に懲らしめる。

そのように見えてしまう。

このことは、日本に住むすべての人びとに関わる事柄(問題)と感じます。

2020年12月24日 (木)

人間五十年

おとといの投稿に「人生50年」というフレーズが出てきた。

文章を打ちながら、信長の姿が頭に浮かんでいた。

本能寺で襲撃され、焼け落ちる本能寺において「人生50年~」と謡いながら舞う姿が、戦国ドラマではよく描かれる。

ところが、調べてみたら言葉の出どころは信長ではなかった(ご存知の方は、「知らなかったの?」と思われることでしょうが)。

室町時代に流行した「幸若舞(こうわかまい)」という演舞の演目のひとつ「敦盛(あつもり)」の中にある言葉でした。

「敦盛」において、若き平敦盛を討ったことに苦悩を覚える熊谷直実が、出家して人の世の儚さを詠んだ詩と言われている。

人間(じんかん)五十年、化天(下天)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

下天という天界の一日は、人間世界における50年。

人間世界における50年が、下天においては一日のこと。

天の世界の時間と比較すれば、人の世の50年はほんの一瞬にすぎないということ。

「その一瞬の間に、人は、なにゆえ かくも醜い争いをするものか」・・・言葉の奥に、熊谷直実のこのような気持ちが籠っていたのではないでしょうか。

この意味から分かるように、「人間五十年」とは「人の世の儚さ」を意味しています。

信長は「敦盛」のこの言葉を好んでいたとも伝わっていますが、真相は定かではありません。

織田信長は1534年6月23日に生まれ、1582年6月21日に没したそうです。

50歳を前にして亡くなっていますから、信長は「人間五十年」を我がこととして受け入れたのだろう!という声もありますが、上記のとおり寿命を意味しての「五十年」ではありません。

現代では「人間の寿命はだいたい50年ほど」という意味でこの言葉を受け取られていますが、人間の尺度の話ではないのです。

2020年12月23日 (水)

「間」の持つ意味

今日は、日和は暖かかったのに、身体が冷えて暖房の前にいても凍えていました。

娘たちは、学校から帰ってきてから、半ズボンで、裸足で、長袖の腕をたくし上げて過ごしていました。

それでも「暑い」と言ってます。

からだがポカポカなのでしょうね。

うらやましい。

 ☆

昨日、公共の施設に行ったら、新型コロナ感染拡大防止を呼び掛けるために「人との距離を保ちましょう」チラシが貼ってありました。

いまや どこでも見かけて、いろいろな種類がありますが、昨日見たチラシは ちょっと考えてしまいました。

図柄として、「人」を模した絵と絵の間に、丸で囲まれた「間」が入っていました。

「人(間)人」といった雰囲気の図でした。

言わんとしていること、伝えたいことはわかるのですが、「なんだか 淋しいなぁ」と、貼ってあるチラシの前で、つい呟いていしまいました。

「人間(にんげん)」は、わざわざ「人間」と言わなくても、「人(ひと)」で通じます。

けれど、「人間」と言います。

なぜなら、関係性を生きているのが「人間」だから。

「人間」の「間」は、“間柄” とか “関係” という意味が込められています。

そう考えると、「人」だけでは、「人間」本来の姿を言い表すには足りないわけです。

「人間」の「間」は、関係性を生きていることを表わす。

けれど、2020年を生きてきた私たちにとって、「間」は “間隔” とか “隙間” とか “空間” を意味するものになってしまいました。

もちろん、それらの「間」は、「人間」の「間」とは意味合いが違うわけですが、

「人 (間) 人」の図を見て、(関係性を生きている)「人間」が、距離を保つ存在としての「人間」になってしまったなぁと感じました(T‐T)

当然、適度な距離感が必要なのも「人間」ではあるのですが。

2020年12月22日 (火)

人は、人に出会うために生まれてきた

年が明けてしばらくしたら50歳を迎える。

数日前のこと。白い息を吐きながら外の拭き掃除をしていて、ふと思った。

「50年か、生きたなぁ、そろそろかなぁ」と、空を見ながらつぶやく自分がいた。

べつに、死にたいわけでも、死にたくなる出来事があったわけでもない。

まだまだ妻とも子どもたちとも一緒に過ごしたいし、娘には伝えてから往きたいこともいっぱいあるし、生きていて楽しい。

それとは別に、「人生50年」ということを想い「生きたなぁ」というつぶやきにつながったのだと、自分で言っておきながら想像する。

それとともに、「100歳までのいのちとすれば、まだ折り返し地点じゃん!!」と思い、おかしくもあった。

100近くまで生きた人々を尊敬する。

まだまだ若造だ。

 ☆ ☆ ☆

なんてことを考えていると、不思議と自分に訴えかける出来事がある。

〇昨日お墓参りにみえたご婦人は、亡き人と共に長い時間を過ごされた。

先行く方がまだ健在だったころから、心配事があれば相談に乗り、身をもっての手伝いが必要なときには汗水たらし、

病に倒れてからは、介護施設や病院の手配に尽くされ、死に支度を頼まれてからは懸命に努められた。

おふたりの関係を、事情をお聞きするまでは、親子と思っていたほどに。

それほどまでに、そのご婦人は、先に往った朋(とも)に尽くされていた(その方からすれば、“尽くしていた”という感覚もなかったことだろう)。

〇門徒さんが亡くなられた。

その門徒さんにも、そばにいて いろいろと支えてくれる朋(とも)がいた。

亡くなられた門徒さんとその旦那さんが健在の頃から、お仕事を手伝い、身の回りのサポートしてきた。

ご夫婦との関係を、事情をお聞きするまでは、親戚関係にある方と思っていた。

それほどまでに、そのご夫婦を支えておられた(その方からすれば、“サポート”だの“支えていた”だのという気持ちはなかったことと思う)。

・・・おふたりのご婦人とも、亡き人との関係を、楽しそうにお話して聞かせてくれる。

一緒にいた時間の深さと温もりが伝わってくる。

おふたりとも「〇〇さんと出会ってから、50年ほどのお付き合いになります」と仰っていた。

出会う前の時間がある。

そこまでの時間があって、それからご縁があった方との時間を紡いできた。

0から50の話(「あぁ、50年生きてきたなぁ」って話)ではなくて、ある年齢を迎えて、そこからの50年、苦楽を、喜怒哀楽を共に過ごしてきた人がいる。

おふたりのご婦人にとって、自分の人生にとって欠かせない人がいた。

そういえば、私も、「50歳かぁ」と思った瞬間(とき)、私一人の成長(老化)の姿(猿人から人間への進化の絵みたいなの)を思い返したのではなくて、その時々に一緒にいた人の姿と共に思い返した。

人は、人との出会いをとおして年を重ねてゆくものなんだなと、

人は、人に出会うために生まれてきたんだなと、

おふたりのご婦人のお話から、おふたりのお姿から、おふたりのお顔から教えていただきました。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

2020年12月21日 (月)

一生造悪

「正信偈(しょうしんげ)」(親鸞聖人著)を毎朝本堂で読んでいるのに、日によって感じ方は違う。

心に留まる一文があったり、「ここ、どういう意味だろう?」とあらためて考えてみたり、「あぁ、ここはこの漢字を使ってるんだぁ」という気づきがあったり・・・

何度も読んでいるのに、思いが尽きることがない。

そりゃ、親鸞聖人自身、生涯をとおして朱をいれていたはずです。

で、今朝は「一生造悪値弘誓」の一文がひっかかりました。

「あぁ、一生をかけて悪を造り続ける身なんだなぁ」と我が身を振り返り、感慨にふけりながら「正信偈」を読み進めました。

不思議なもので、ひとつひっかかることがあると、それに派生した気づきがあるものです。

「正信偈」に続き、今日読んだ「和讃」は「道綽和讃」。

濁世の起悪造罪
暴風駛雨(ぼうふうしう)にことならず
諸仏これらをあわれみて
すすめて浄土に帰せしめり
(五濁悪世の世において、悪心を起こし、罪を造ることは、
暴風や激しい雨のように、急に振出とめどないものです。
十方の諸仏は、起悪造罪の衆生をあわれみて、
浄土往生をおすすめになりました)

一形悪(いちぎょうあく)をつくれども
専精(せんしょう)にこころをかけしめて
つねに念仏せしむれば
諸障自然(しょしょうじねん)にのぞこりぬ
(一生をかけて悪を造り続ける痛ましい私であるけれども
この造悪の身である私を助けずにはおけないという阿弥陀の慈悲を、
専ら心にかけて、常に「南無阿弥陀仏」と念仏を称えれば、
私だけではどうしようもない さまざまな罪や障りが、阿弥陀の力によって(願力自然に)除かれてゆきます)

縦令(じゅりょう)一生造悪の
衆生引接(しゅじょう いんじょう)のためにとて
称我名字と願じつつ
若不生者とちかひけり
(たとえ一生をかけて悪を造る身の衆生であろうとも、
衆生(すべての生きとし生けるもの)の手を取って導くために、
我が名「南無阿弥陀仏」を称えよ、必ず助けると誓われました。
もしあなたが救われないのであれば、この私自身も救われることはない(仏とはならない)との誓いと共に)

悪を造りながら生きている我が身が連呼され、しかも、我が身と共にある阿弥陀が説かれている。

この和讃も何度も読んでいるに、「正信偈」の「一生造悪値弘誓」が心に引っかかった故に、より響いてきました。

一生をかけて悪を造り通している私。

その私との出会い(気づき)によって、「弘誓に値(もうあ)う」。

阿弥陀の慈悲のこころに手を取られながら、手をつなぎながらある私です。

あらためて教えをいただき、合わさる手にぬくもりを感じました。

南無阿弥陀仏

2020年12月20日 (日)

「みんな」を見て「みんな」と言っても、そこから外れる者・漏れる者が生じて「みんな」とはならない。「ひとり一人」を見ることを通して、「みんな」と言える。でも、そんな眼は、人間は持ち合わせていない。そんな眼で「ひとり一人」(つまり「みんな」)を見ているのが阿弥陀。

「東京新聞」 2020年12月20日(日)朝刊
 時代を読む 「国民」という名の虚構 内山節(哲学者)

 振り返ってみると、今年は「国民」という言葉が風化した年だったという気がしてくる。新型コロナの感染が拡大した頃から、私たちは「国民の命を守る」とか、「国民の生活を守る」というような言葉をよく耳にした。とすると、ここで語られていた「国民」とは誰のことなのか。
(中略)
 コロナの下で背負った課題はさまざまであり、「国民」という言葉でひとくくりにすることができるものではなかった。制度的には日本国籍をもっている人が国民であろう。しかし日本には、日本国籍をもたないで私たちの社会を一緒につくっている、さまざまな人たちがいる。在留資格をもっている人。留学生。ビジネスマン。難民申請をしている人。技能実習生として日本に働きにきている人。制度上はこれらの人びとは国民ではないということになる。しかしコロナウイルスは、国民かどうかなど関係なく感染の手を伸ばす。こんなふうに考えていくと、「国民の命を守る」という言葉自体がむなしいものに聞こえてくる。
(中略)
 コロナとともに暮らす時代とは、社会をつくっているすべての人たちを守る社会でなければならないだろう。そう考えたとき、国民というひとかたまりでとらえられた人間像は、制度がつくった虚構のようにも思えてくる。
 考えてみれば国民という言葉は、政治の上で用いられる都合のいい言葉でしかなかった。選挙で勝てば、政府は国民の信任を得たとして好き勝手なことをしてきたし、沖縄の基地問題をはじめとして、政府の方針に反対する人たちは、あたかも国民ではないかのごとき扱いを受けてきた。
 本当はこういうことなのだろう。国民というひとつの言葉では、まとめることができない人々。それが国民なのである。しかも社会のメンバーには、日本国籍をもたないさまざまな人々がいる。そのすべての人々を視野におさめず、ひとかたまりにされた国民がいるかのごとく発言されると、私たちは国民という言葉自体の虚妄性に気づくことになる。
 そういうことがあるから、今日では、政治家たちが国民への呼びかけをしても、その言葉が自分に対して向けられているとは感じない人たちが、数多く生み出されているのだろう。コロナが顕在化させたこのような変化を経て、来年はどんな時代がつくられていくのか。私はそんなことを考えながら、大みそかを迎える。

 ☆ ☆ ☆

文章を書いていて「国民」という言葉を書きそうになるとき、いつも悩む。

「国民」とは、誰を指しているのだろう?

「国民」とか「日本国民」と表現したとき、「日本国民」のカテゴリーから外れる人が多くいることを想う。

内山節さんがおっしゃる通り、制度上は線引きができることなのだろうけれど、

日本に住み、働き、家族がいる人もいて、税金を納めているにもかかわらず、賃金が安い、差別を受ける、選挙権がない人びとがたくさんいる。

そういう人びとを、単に制度という線引きで、国民か否かをきめていいのだろうか? 決められることだろうか?

そういうことを想う。

「国民」「日本国民」などと書いたら、おそらくスルッと読めてしまう文章の流れの中で、私の意図としてはみんな含まれているのに、外れる漏れる人が多くいる。

そのことに違和感や 悲しみや 落ち着かない気持ちを感じてきた。

「国民」「日本国民」という言葉は、極力使わないようにしているつもりだ。

過去の文章で使っているとしたら、それはよくよく考えた末に使ったか、“揶揄”して使ったつもりでいる。

「国民」という言葉に対する 根っこのなさを常々感じていたのだけれど
(実際は「国民」という言葉に根がないのではなく、「国民」という言葉を使ってメッセージを発する政治家に根がないのだけれど)、
今日の「東京新聞」で内山節さんが『「国民」という名の虚構』というタイトルで、踏み込んだことを書いてくださっていた。
なるほどなぁと感じた。

「国民の命を守る」というメッセージを聞いて、そこに無理を感じる人もいるだろう。

「“国民”といっても、すべての人々を守るのは無理や限界があるじゃないか」ということだと想う。

確かに、経済的にもマンパワー的にも、人々の心の余裕的にも、すべての人々を守るということに無理や限界はあるだろう。

けれど、政治家が「無理や限界があるから、こういう人は最初から外します」とか「理想は語りません。現実に即して考えます」というところを出発点にしたならば、はじめから外れる者漏れる者を想定していることになる。
やはり、“すべて人々”を前提にして、政策運営に努めてもらわなければいけない。

「国民の命を守る」というメッセージを聞いて、そこに白々しさを感じる人もいるだろう。

たとえば、会食を控えるように伝えておきながら、自分たちは、自分達で規定した人数を超える人数で会食し、しかもそれをフォローするように身内が「一律にダメと申し上げているわけではない」なんて会見されたら、「じゃぁ、私たちも会食しましょう!」と考える方が自然の成り行きだと思う。
(個人的には、会食しなければならないときもあるだろうし、何人で会食しようが どうでもいいと思っていた。そんなところで揚げ足を取って、長々と放送している報道もどうなんだ?と思っていた。けれど、謝るどころか「一律のにダメと申し上げているわけではない」なんて言われたら、我慢している人びとの想いはなんなんだ! 時間の制限を守って経営している人たちの努力を踏みにじるのか!と、怒りを覚えます)

そんな人たちに、「あれはダメ これはダメ 」と規制・制限され、「あぁしろ こうしろ 」と指示・強制され、立てかけたハシゴを思いきり外され、そんな人たちに「国民の命を守ります」と言われても、「なに言ってんの?」「国民って誰のこと?」「思いが伝わらない!」と思うのが正直な感情だと思います。

「国民」と言ったとき、制度的にその内にいる人 外にいる人の区別・差別・壁ができてしまうのだけれど、制度的区別ではなく、「どうせ私のことを言っているわけじゃないし」と、口先だけの「国民」に虚無感を抱いた人びとが、自ら「国民」外に身を置く感覚・感情を身につけてしまっている。

「国民」という名の虚構には、安心して住むことが出来ない。

2020年12月19日 (土)

同じ映画を何度も見ているのに、見るたびに「こんなシーンあったっけ?」「ここに こんなものあったっけ?」「あぁ、いかに何も見てないかを感じるね^^」なんて思うことはないでしょうか。でも、私が気づいていないだけで、そこにあるものとは、あるべくして あるんだなぁと思います。

今年の11月16日午前4時頃、東京都渋谷区のバス停で60代の女性が頭を殴られて死亡しました。

報道によっては「ホームレスの女性」などと書かれてはいますが、今年の2月までスーパーで働いていたものの職を失い、それからバス停で寝泊まりしていたらしいです。

働いていたものの、職を失うとほぼ同時に住む場所を奪われてしまう。

そういう状況に身を置く人は、決して彼女だけではありません。

このコロナ禍で、職を失うとともに住む場所を追われた人は大勢います。

日本を「豊かな国」と形容する人は多いけれど、果たしてそうなのでしょうか。

さて、彼女を襲った男性は、彼女の存在が気に入らなかったと言います。

バス停で寝泊まりしだした彼女に、「お金をあげるからどこかに行ってほしい」と声をかけたけれど、彼女が寝泊まりを続けたので、男性は袋に石を入れて彼女に殴りつけました。

「ひきこもりがちだった」と報じられる彼は、彼の部屋の窓から見える景色がすべてでした。

その見慣れた景色に、ある日彼女が加わったのです。

彼にしてみれば、彼女は「見たくないもの」と映ったのです。

そして、犯行に及びました。

身勝手な考え方・行動に思えます。

ですが、果たして彼を責めるだけで終わる話でしょうか。

特定の他者(ひと)に対して、見たくない、邪魔、などという感情が湧くことは、誰にでもあるのではないでしょうか。

そのことを横において この事件を見るのは、あまりに他人事と感じます。

化粧品やサプリメントを扱う会社の社長が、在日コリアンの方に対する差別発言を繰り返しています。

物品を販売する会社において、社長がよくもここまで差別発言をできるなぁと驚きを隠せません。

けれど、その社長の思想においては、一点の曇りもないのでしょうね。

今まで何を刷り込まれてきたんだろう、今まで人に会わずに来たのかな、などということを感じます。

見たくない、邪魔、という感情そのものは、その人が持っているものなので、それをとやかく言っても水掛け論に終わってしまいます。

見たくない、邪魔、などという感情は、その感情と現実の間にハッキリとした乖離があります。

見たくない対象、邪魔な対象は、現実は見たくない対象でもなければ、邪魔な対象でもないのですから。

その人がそう感じるだけで、見えてはいけない人、邪魔な人など存在しません。

感情としては「見たくない」「邪魔」という想いがはたらいても、私たちの生活において見えてはいけない人、邪魔な人などいません。

それに、その人々だけでなく、他者(ひと)を邪魔もの扱いする私も含めてこの世の中は成り立ち、この世の中を生きています。

その現実、その事実は、決して忘れてはならないことです。

見たくない、邪魔、なものを排除していけば、理想的な世界となるのか?

答えは否です。

もし仮に見たくないもの、邪魔なものを消す能力が、この私に備わったとして・・・今現在の大切な身内、頼りとする者、いてほしい者、そう想う人びとも、やがて消し去ってしまうことでしょう。

人間ってそういうものだもの・・・という姿を、すでにのび太君は体現してくれています(「どくさいスイッチ」より)。

それに、この私自身が、「見たくないやつ」「邪魔なやつ」という目で見られているかもしれない、なんてことに想いが及んでいるでしょうか(私が見られるから、他者をそんな目で見ないように!という話ではありません)。

私の手に、他者(ひと)を傷つけるための、石を入れた袋など持ってはいないでしょうか。

2020年12月18日 (金)

選択をしない選択

気にかけている事柄は、テレビから流れてくる声、本や雑誌をパラパラめくっているとき、街中で見かける広告など、ふっと出会うことがあります。

単なる偶然に過ぎないんだけど、運命的な出会いを感じたり、このことは今考えるべくして気にかけていることなんだ!と思ったります。

で、ここ数日 “名前” について書いていて、「選択的夫婦別姓制度」についても考えていました。

そんななか、昨朝の TOKYO MX 「モーニングCROSS」に、コメンテーターとして若新雄純さん(慶応義塾大学特任准教授)が出ていて、彼が語ったことがスッと耳に入ってきました。

「選択的夫婦別姓制度」に賛成の立場でいたんですけど、最近ちょっと違うかなと思い始めました。「選択的」というのが、実は選択できないのかなって。夫婦別姓にするならば、“選択”ではなくて「夫婦別姓制度」にしないと、今の人たちは決められないのかもしれない。
(というようなことを仰っていました。私の覚書ですから、若新さんの正確な発言ではありません)。

政治家の発言や行動に問題があったとき、テレビ番組にコメンテーターとして出演される人が、単なる批判や「これはすべきではなかった」と過去に戻れないのに過去に戻ってこうあるべきだったというような、今更な話をする人が多くいます。

けれど若新さんは、「今現にこういう状況にあるわけだから、この状況からどうすればいいのか、どうするべきなのかを考えなければいけないと思います」という、冷静で大人で未来志向な判断に基づいて発言をされている印象があります。

政治家が「選択的夫婦別姓制度」の議論を嫌うことに対しても、「時代遅れだ」「時代に即していない」「国民の声を聞いていない」などというのではなく、「どうして議論を嫌うのか、どうして夫婦別姓がダメなのか、そのことをきちんと語ってほしいです。理由も語らずに議論すらしようとしないから、そこのところをきちんと話してほしいと思います」と仰っていました(私の覚書です)。

で、制度として、「“選択”で、夫婦別姓を選ぶ夫婦もいれば夫婦同姓を選ぶ夫婦もいるんだから、“選択的夫婦別姓制度”ならいいじゃないか」と、夫婦別姓を希望する人びとは考え、疑問を呈します。

でも若新さんは、“選択的”ということに対する、国民の側に躊躇するものがあるのではないかということを指摘していました。

そのような指摘・考え方は初めて聞き、「なるほどなぁ」と思いました(ガッテンしました)。

で、そこから派生して私が思ったこと・・・

現代(いま)、個人の権利や自由を訴える声は多く聞きますが、いざ自分自身の権利や自由の話になると、声のトーンが下がってしまう・・・そんな空気を感じます。

たとえば、このコロナ禍、予定されていた事業や遊興の中止・休止・延期が相次いでいます。

けれど、あっさり、すんなり、中止・休止・延期を決めているかといえば、そうでもありません。

組織や会社などにおいては、個人(権力がある者)の意見だけで決めることは、危険なことでもあります。複数人での検討が必要でしょう。

けれど、仲間内やグループでの活動において予定されていた事業や遊興の判断を個人(幹事など)にゆだねられたとき、決断できない人が多いことも感じています。

決断できないというと語弊があるのかもしれません。

中止・休止・延期を決めて、何か言われるんじゃないか?

もしかしたら、中止・休止・延期をせずとも実施できたかもしれない。その場合に何か言われるんじゃないか?

と、責任を考えてしまうのかもしれません。

「みんなで決めたこと」という手形がほしいのですね。

そういう時間が持てる、期限が迫っていない、そういう状況ならば「みんなで決め」るのもいいでしょうが、この場合の「みんな」は民主的な意味ではなく、自分が責められないための保険のような意味合いを感じます。

私は、私の判断に任されている部分においては、「中止!」とズバリ言っていたので、「なんでそんなに あっさり決められるんだろう?」くらい思われていたかもしれません。

“姓”に関しても、「同姓を選んだら こう言われるんじゃないか。別姓を選んだら こう言われるんじゃないか」と考えて(悩んで)しまうのかもしれません。

“強制”が良いわけはありませんが、「自分で決める」ことよりも、「他人が決めて、多数の人が賛同している」ことに安心を感じる人が多いのだろうなぁ・・・

と、若新さんのコメントを聞いていて思いました。

2020年12月17日 (木)

姓を変えるということは、名前を変えるということ

“名前”についていろいろ考えていて、そういえばと、“姓”について思いが及びました。

「選択的夫婦別姓制度」についての報道が時折なされます。

国民の間では夫婦別姓を支持する声が多くなりましたが、政治家という立場にいる方々(素直に“政治家”と言い難い)には「夫婦別姓などけしからん!」という方が多いようです。

以前もこのブログで書いたことがあるのですが、私個人的な話としては、妻が私と同じ姓を名乗ってくれていることを嬉しく思っています。

けれど、「選択的夫婦別姓制度」はあってしかるべきだ思いますし、その議論すら国会において封じられていることに疑問を感じます。

・同じ姓を名乗らなければならない必要性はありません(政治家という立場にいる方々も、その職務をする場においては旧姓を名乗っている人もいるではないですか)。

・結婚する際 離婚する際の手続きの煩雑さも、結婚したらどちらかの姓を名乗らなければならないところからきているものもあります(離婚の場合は、そのままの姓を選択することもできますが、そのままにするか元に戻すかということを考えなければなりません)。

・「夫婦は同姓であるべき!」と主張する方々の意見を聞いて、頷けるものはありません。
(「家族の結束のためには同姓でなければ!」とか「子どもが混乱するから」とか「子どもがいじめられるから」とか。
結束のためにというけれど、現に今も家族のなかの暴力や差別意識やDVで苦しみを抱えながらも、理由あって家族の形態を保っている人びとがいます。たとえ同じ姓を名乗っていても決して結束できるわけではありません。そのような現状や、姓を変えなければならない人の労力や決断や悲しみを知っているでしょうか。また、結婚によって姓が変わることを反対され、その理由で結婚ではなく別れを選んだふたりを、何組か見てきました。ふたりの仲はとても良好なのに。良好ゆえに別れを選んだのかもしれません。
親の姓が別々だと子どもが混乱する、いじめを受けるという声も、国際結婚をされる方々が増えている現状にあって理由にはなりません。
このカッコ内の文章は、「夫婦は同姓であるべき」という意見を批判するために書いているのではありません。「夫婦は同姓であるべき」という意見を聞けば聞くほど、その正当性を感じられないのです。聞けば聞くほど、「あれ、同姓でなくてもいいんじゃない?」と思えてきます。これほどまでに「選択的夫婦別姓制度」の議論を拒否する理由が伝わってきません)

結婚して姓を変えるのは、圧倒的に女性の方が多いです(男性が変えても構わないのに)。

日本は、男性を優位に置こうとする(置きたい)気持ちが根強いのだなと感じます。

こういうことを書いている私も男性です。妻から見れば、私もまた男性優位の思想がにじみ出ていることと思います。だから、他人事として(自分は女性蔑視してないよ、という立場で)言っているのではなくて、知らないうちに発している差別意識の汚さや怖さを思います。

さて、男性優位(に置きたい)の考え方が根強い国とはいえ、「選択的夫婦別姓制度」についての議論が最近少しは表立ってきたように感じます。

で、「あれ? そういえば“姓”の話だけになってない⁉」ということを、“名前”について考えているときに思いました。

姓も、名も、どちらも人生におけるいろいろなものが沁み込んでいます。良くも悪くも。

改名の難しさ・ハードルの高さをあらためて知り、それだけ動かしがたいこと(名前を変えるということは大変なこと)なんだと思い至りました。

では、“姓”はどうなの? と思いました。

日本人の “姓” に対するこだわりの強さを感じますが、結婚の際には女性男性どちらかが姓を変えなければなりません。

離婚の際も、そのままでもいいとはいえ、そのままにするか元に戻すかの選択を迫られます。

つまり、“姓”の変更(に関することを考えること)が強制されているのです。

改名のハードルが高いのに、姓は変更を強制される。

おかしな話だな と思いました。

「選択的夫婦別姓制度」の議論は、“姓”だけの話で完結するものではなく、“名前(氏名)”としての話でもあると思います。

“名前(氏名)”と共に生きてきた。

いろいろな人と出会い、さまざまなことを経験し、喜怒哀楽と共に過ごしてきたのが“私”であり“名前(氏名)”なのです。

それだけ大事なものを表わし、体温を持ったものが “名前(氏名)”なのです。

そういうことにまで想いが至ったならば、「選択的夫婦別姓制度」について、せめて議論の場に立つことを“選択”すると思います。

この議論を避けるのは、「夫婦は、家族は同姓であるべき」ということに対する確固たる信念・理由があるわけではなく、男性優位の思想を持った人が政治家という立場に多くいることの表れなのだと思います。

だから、「夫婦は同姓であるべき」という意見・理由を聞いても、なにも響かなかったのですね。

“姓”を変えるということは、“名前(氏名)”を変えるということ。

“名前(氏名)”を変えるということは、ある意味 そこまでの歩み、積み重ね、その人自身を捨てる(“捨てる”と言っては言いすぎだとは思いますが、言いたいことを汲み取っていただければ幸いです)ことにもつながる。

妻は、私と結婚したために、もしかしたら大切なものを捨ててしまったのかもしれない。ごめんなさい、ありがとう。
(こういう話になるとは思わなかった💦)

2020年12月16日 (水)

改名について

北陸・東北で急に雪が降り積もりだしたようですね。映像だけでも凄さが伝わってきます。怪我をされた方、お亡くなりになった方もいらっしゃるとのこと。
どうかご無事でお過ごしください。

 ☆

昨日の投稿で、“名前”について触れました。

この師走、何通か手紙を綴っています。

目上の方やあらたまった文書の最後には「白山勝久」とフルネームで書きますが、友人やくだけた文書の最後には「勝久」「かつひさ」とか、“かつ丸”を書いています。

書いていて ふと想いました。

どの書き方をしても、私を表わしているんだなぁって。

手紙を受け取った人は、「白山勝久」なる人物と何らかの形でかかわりを持っていて、名前を見たときに、恐らく私の顔や仕草や今までの会話なども一緒に思い起こすことでしょう。

それが「勝久」でも「かつひさ」でも“かつ丸”でも。

誰であっても同じことです。

名前を見れば、その人を思い出す。

名前とともにあるイメージ、いのち、つながり・・・

名前にはいろいろなものが沁み込んでいます。

それだけに大切であり、それだけに厄介なものでもあります。

名付け親との関係が良好ならば受け入れられる名前も、関係が崩れれば憎悪の対象にだってなります。

性同一性障害の方からすれば、明らかに男性としての名前に、明らかに女性としての名前に、自分の感覚としての性との間に乖離が生じます。

罪を犯した人は、たとえ服役して罪を償っても、その名前と犯した事柄が一生ついて回ります。特に、このネット社会においては、恐ろしいほどに。

名前って大切ですね、温かいですね・・・という方ばかりではありません。

名前を改めたいと思う方がいることも事実です。

その思いの背景には、つらい出来事がありましたね。

けれど、改名するためには高いハードルがあります。

改名の申し立ては通常15才から1人で出来るようになります。必要な書類は、名の変更許可申立書に戸籍謄本。そして、大切なのは改名が必要な理由を証明する書類です。例えば、すでに別の名前で暮らしているという証拠や今の名前によって精神的な苦痛を受けているという診断書などです。提出後、より詳しい理由を求められることも多いんです。裁判所で職員から聞き取りをされることもあり、ここで理由に正当性が認められるかが鍵となります。審理の後、改名が許可されるか否かの結果が記された書類が郵送されてきます。
(NHK「クローズアップ現代」2019年9月4日放送 “改名”100人~私が名前を変えたワケ~ HPより)

日本において、法的に改名することについて調べていて、上記「クローズアップ現代」のサイトに辿り着きました。

2020年12月15日 (火)

名前と共に生きているということは、多くの人びとの想いとともに生きているということ

車を運転中、赤信号で停止。

目の前を、後部座席に幼い子を乗せて お母さんがこいでいる自転車が走っていきました🚲

このような光景を見るたびに、池袋の暴走運転事件を思い起こします。
(その事件現場に行くたびに、手を合わさせていただいています)

「歩く人、自転車優先! 安全運転!」と、自分に言い聞かせています。

そして、想う。

今、目の前を通った親子にも、池袋の事件で亡くなった親子にも、名前があるということを。

亡くなられたお母さんと娘さんには、松永真菜さんと莉子さんという名前があります。

昨日(2020年12月14日)、その池袋暴走運転事件(どうしても“事故”とは書けません)の第3回公判が東京地裁で行われました。

事件を起こした被告は「車の不具合が事故を引き起こした」と主張し、「ブレーキペダルを踏んでいて、アクセルを踏んだ過失は認められない」と弁護団は訴えています。

報道を見聞きし、「そんなことあるわけないだろう!」「本当のことを言えよ!」「見苦しい!」と感じられる方がほとんどではないかと思います。

けれど、過失があったのか否か、そのことは本人にしかわかりません。

本当のことを語っているのか嘘を語っているのか、本人にしかわかりません。

だから、裁判は繰り返し行われるのです(この件だけの話ではなく、すべての裁判が)。

百歩も二百歩も譲って、車の不具合があったとしましょう。
(そういえば、被告の乗っていた車のメーカーが、「車の不具合」を理由にされた、「そんなことはない!」と、名誉棄損で訴える!という報道を目にした記憶があるのですが、その件はその後どうなったのだろう?)

けれど、人をはねて殺してしまったことは事実です。

亡くなられた方には、名前があります。

名前には、命名した人の気持ち、その名を持つ人を大切に育ててきた人の慈しみの気持ち、その名と共にある人の存在を愛して共に生きたいと願った人の気持ちが籠(こも)っています。

裁判をとおして、何度も何度も亡くなられた方(自分の不注意で殺してしまった人)の名前を目にし、聞いているはずです。

車の不具合かもしれない。けれど、数えきれないほどの人びととの出会いや愛情の籠った名前を持つ人のいのちを殺めてしまった。

その事実から、何も感じませんか。

その事実の前でも、自分の経歴や肩書が勝るのですか?

いのちよりも勝る経歴や肩書って、なんですか? 不自由ではありませんか?

被告もまた、名前を持ちます。

その名前にもまた、命名した人の気持ちがあります。

その名前を持つ人にもまた、大切に育ててきた人の慈しみの気持ちがあります。

その名前と共にある あなたの存在を愛し、頼りとし、共に生きたいと願った人の気持ちがあります。

その名前でさえも、経歴や肩書に負けるのですか?

いのちよりも頼りとする経歴や肩書って、なんですか? 身動きがとれなくなっていませんか? 

人を殺めたことから向き合うことは避けられても、名前と共に生きてきた自分自身に籠っている想い。それらから目を背けることは、できないのではないでしょうか。

 ☆

目の前を自転車で通っていった親子
(お幸せに)

登校する子どもたち
(寒いのに元気だね)

赤信号に変わりそうな信号に、あわてて横断歩道を渡る通勤の人びと
(危ないから気を付けてね。あわてて事故に遭ったり怪我をしたりするよりも、ひとつ信号を待って 気持ちを落ち着かせた方がいいですよ)
・・・( )内は、私の心のなかの声。

車の運転中、赤信号で停まる度に気持ちを落ち着かせています。

車を運転するって、それだけ責任があるということです。

2020年12月14日 (月)

ウイルスの問題ではなく、人間の問題として

2020年12月10日に日本看護管理学会より出されたメッセージ「ナースはコロナウイルス感染患者の最後の砦です」を読ませていただきました。

私たちは自分の仕事を全うするだけですので、感謝の言葉は要りません、。ただ看護に専念させてほしいのです。差別や偏見はナースに対してフェアな態度でしょうか? なぜナースたちは、看護していることを社会の中で隠し、テレビに出るときにはモザイクをかけなければならないのでしょう。これでは、潜在しているナースも復帰をためらいます。

(中略)

国民の皆さまにお願いいたします。
・皆さまには、ご自分の健康と医療現場を守るため、なお一層の慎重な活動をしていただきたい。
・医療専門職として、感染予防には留意しております。私たちを偏見の目で見ることはやめていただきたい。
・また、もしも一旦仕事から離れている私たちの仲間が、看護の仕事に戻ってこようと思うときには、周囲の方にはぜひご理解いただき、この球場を救う意思のあるナースを温かく送り出していただきたい。

言葉の端々から、現状の厳しさが溢れ出ています。

このようなメッセージを発信しなければならない現状は、新型コロナウイルスが作り出しているのではなく、私たち人間ひとり一人が生み出しているようなものです。

“私”へのメッセージと受け止め、読まなければいけません。

それに、医療や看護の現場にいる方々は、誰よりも感染予防に気を遣いながら生きています。

私たちは、マスク着用や手洗いの励行に気を付けているとはいえ、医療や看護の現場にいる方々から比べれば全然甘い日常生活をおくっているのではないでしょうか。

大人数の行きかうなか、公共の交通機関を利用したり、食事をしたりしているのですから。

つまり、私たちの方こそ、差別や偏見で見られても仕方のない生活をしているのに、感染予防しながら慎重に生きている方々、このようなときだからこそ医療の現場に復帰しようと考えている方々のことを苦しめているのです。

そのような事実に、真剣に向き合わねばいけないと思います。

新型コロナウイルスがあっても、なくても、です。

私たちは、懸命に努める人びとを、貶めながら生活してはいなかったでしょうか?

そういうことを、このコロナ禍において考えます。

それから、あるナースさんが、このような呼びかけをしていました。

「ご自分の連絡先を身につけて外出してください」と。

自分の名前・連絡先(電話番号)・連絡先の受け手が誰なのか(両親とかお連れ合いとか)

このことは、新型コロナウイルスだけの話ではありません。

救急で運ばれてくる方の多くの方が、自分の名前や連絡先が分かるものを身につけておらず、それを調べる(誰かに連絡する)だけでも大変な作業になってしまいます。

救護だけでも大変なお仕事なのに、身元を調べなければならない。

せめて、身元がすぐに分かるようにしておくだけでも、救護者の手を煩わせずに済みます。

(実は、前々から言われていたことではあるのですが)

この呼びかけを読んでから、自宅の電話番号と妻の名前を書いて財布に入れています。

些細なことでも(些細なことだからこそ)出来ることをする。

個々人の意識の積み重ねが、感染予防にもつながるし、いざというときの現場の負担軽減の一助にもなります(なればいいな、と思います)。

2020年12月13日 (日)

幾重にも塗り重ねられた道

石畳の参道に、鳥の糞が落ちていることがあります。

そのようなときは、水を入れたバケツとデッキブラシを持ってきて、ゴシゴシ擦(こす)ります。

ホント、見違えるようにきれいになります。

その、デッキブラシでゴシゴシしたところは。

そうすると、ゴシゴシしたところがきれいに浮かび上がり、何もしなかったところが汚れているように見えてしまいます。

べつに、汚いわけではありません。

長い年月で蓄積された泥や砂や埃や排気ガスなどによって、石畳は黒くなっていきます。

ただそれだけのこと。

けれど、時折糞が落ちて、そことその周辺だけをゴシゴシすると、そこだけきれいに浮かび上がります。

だからといって、石畳全体をゴシゴシするわけにもいかないし・・・

ここからが厄介なところ、

仮に石畳全体をゴシゴシするエネルギーや時間があっても、今度はきれいさにムラができるのです。

実は、ステイホーム期間中にゴシゴシを試みました。

確かに、蓄積された黒ずみ汚れは落ちるのですが、きれいになる加減にムラが出来、石畳に波のようなデザインができてしまいました。

見た目決してきれいとは言い難い(掃除をしたなぁっていうのはわかるのですが)。

鳥の糞の掃除自体は簡単に済むのですが、デッキブラシでゴシゴシ始めると、掃除した部分と今まで通りの部分で、極端な差が出来てしまうのです。

というお話。

 ☆  

汚れを取り除けば、気になる部分を改善すれば、さぞスッキリするだろうなぁと思いがちですが、

かえって今まで気にもならなかったところの粗(あら)が見えたり、よけい落ち着かない状態になったりします。

こうすればきれいになる(良くなる)と思ってしたことが、思ったほどの効果がなかったり、不協和音を生み出したり、今までの良さに気づいたり・・・なんてことはよくある話ですね。

というお話でした。

南無阿弥陀仏

2020年12月12日 (土)

ありがとうございます

寺報発送のため郵便局へ

郵便局入り口で、ほぼ同時に入ろうとした女性と譲り合いになり、「どうぞ」と先に郵便局に入ってもらいました。

その女性は、「ごめんなさい ありがとうございます」と郵便局内へ。続いて私も。

郵便窓口は並んでいて、しばらくして彼女の順番が。

当然、彼女の方が先なのに、彼女は「申し訳ありません」と私に言ってから窓口へ。

そして、自分の用を終えた後も「ありがとうございます」って。

私も、「いえ、ありがとうございます」って。

なんだか とても嬉しい。

で、ATMでは、先に済ませた方が次の方に「お先でした」と言って、次の方も笑顔で会釈していました。

で、貯金の窓口では、局員さんと話している女性が手袋を落として、番号待ちをしている方が「手袋落ちましたよ」と声をかけてあげて、手袋を落とした女性も「あ、すいません、ありがとうございます」って。

郵便局内が「ありがとう」の空気で満ちていました。

年の瀬も近づき、みんな年内に片づけておきたいことをしに来て、どこか気持ちもせかせかしている時期なのに、譲り合ったり、お礼言ったり、声かけあったり。

それだけで空気がとても柔らかくなります。

みんな、ありがとうございます(‐人‐)

2020年12月11日 (金)

車のハンドルを握るということは、多くのいのち、多くの大切なものを握るということなんだ

今日、車で環八を走っていました🚗

私は、あまり車線変更をするのが好きではないので(運転がそれほど上手でないので、か)、基本走行車線を走っています。

すると、後方から車線変更を繰り返しながら走る車が迫ってきました。

で、さっさと追い越されました。

車線変更を繰り返す車は危ないし怖いので、さっさと行ってくれてホッとしました。

が、10分ほど走っていたら、追い越し車線にいた その車に追い付いてしまいました。

で、私の方が追い越してしまいました。

それからほどなくして私は環八から違う道に入ったので、その車とはサヨナラしました(ホッ)。

実際、車線変更してもしなくても、到着時刻にそれほど違いはないんですよね。

事故を起こして自分が傷ついてもつらいし、相手を傷つけたらよりしんどいし、私にも相手にも悲しむ人がいることを想うと、危険な運転は避けた方がいいです。

年末、交通量も増えていますから、みなさまお気をつけて。

 ☆

さて、私の車を追い越していく車を見送りながら、最近 還浄された住職から、かつてかけられた言葉を思い出していました。

「かっちゃん、私はね、せっかちだから、どんどん車線変更してしまうんだ。でも、こないだ、追い越しても追い越しても、赤信号で停まる度に追い越した車が横に来ることがあってね・・・。あぁ、危ない思いをして車線変更を繰り返しても、早く進めるわけじゃないんだなぁって思ったよ。それ以来、せっかちに車線変更するのをやめたよ。かっちゃんも気をつけてな」

って言われたことを思い出しました。

注意を呼び掛けたというよりも、会話のひとつとして私に声をかけてくれたんだろうなぁって思います。

時には厳しく 時には優しく ご指導いただき、晩年にはいろいろお気遣いいただき、ありがとうございました。

南無阿弥陀仏

2020年12月10日 (木)

大人って、しょうがない生き物だなぁ

子どもの時の出来事を、今でもふと思い出すことがある(フラッシュバックというほどのものではないけれど)。

 ☆

小学4年生のときのはなし。

クラスの班は6~7人で構成されている。

班長 副班長をはじめ、班員全員がなんらかの係に就いている(どんな仕事があったか忘れたけれど、確か給食係とか配布係とかだったような…。その係は決まっていて固定されている)。

でも、あるときクラス担任が「今日は、班の中の係を(班の)みんなで話し合って決めてください。新しい係も作っていいですよ」と呼びかけて、学級会が始まった。

私のいた班は、しっかり話し合って「班長と副班長、それから代理班長を置こう!」ということを思いついた。

副班長と代理班長って同じじゃないの? 仕事の内容は? というところも話し合い、副班長 代理班長の仕事内容も明確に分けた。

班のみんなが、「自分たちで話し合って、新しい係を見つけたね」と満足していた。

そして、班ごとに話し合った内容を発表する際、うちの班の「副班長 代理班長」が問題視された。

他の班の子と、クラス担任に。

「副班長と代理班長なんて、一緒じゃない‼」

ちゃんと、それぞれの役割を説明した。

けれど、却下された。

「自分たちで話し合って、新しい係も作ってください!」なんて鼓舞しておきながら、あっさり覆された・・・

 ☆

小学5年生、妹が1年生のときのはなし。

夏の夕刻、墓地で妹と一緒にリヤカーを引いて掃除をしていたときのこと。

リヤカーを、ちょっとお墓の角にぶつけてしまった。

ちょうどそれを目撃していたご婦人から「あなたち、どこの子? 何してるの‼」と怒鳴られ、怒られた。

(夕方の墓地でリヤカー引いてる子なんて、そのお寺の子だと思うのだけれど)

怒られている途中で、住職(父)が私たちを呼びに来た。

「お~い、ご飯だよぉ」

住職が近づいてくると そのご婦人は、

「あら住職! お子さんたち こんな時間までお墓の掃除をして、偉いですねぇ」と、今までの怒り顔がウソのように愛想を振りまき始めた。

私たちに対しても・・・

 ☆

このふたつの出来事が、私のなかで「大人って、こんな生き物なんだ」と思わせる大きな出来事だった。

今でもふと思い出すのだから、よほどのインパクトだったんですね。

さて、べつにクラス担任とそのご婦人に対する怒りがあるわけではありません。

その当時も今も。

「大人って、こんな生き物なんだ」と思わせてくれたいい奴だ! くらいに感じていました。

その当時も今も。

自分では子どもを信じて任せているつもりでも、やっぱり想定外のことをしだしたら拒否するよね。

目上の人(住職が目上というわけではないけれど)と位置付けている人に対しては媚びへつらうよね。

大人ってしょうがないなぁ、かわいそうだなぁ、さみしいなぁ・・・

自分も、年を重ねていったら そうなるんだろうなぁと、漠然と思った。

自分はそういう大人にはならないように気を付けよう! とは なぜか思わなかった。

年を重ねて、その理由(わけ)が身を染みてわかってきた。

娘たちに注意するとき、自分で言いながら、心のなかで笑いながら突っ込んでいます。

「自分が言われてたことじゃん!」って。

娘たちに「落ち着きなさい!」「じっとしてなさい!」なんて言うと、母と妻が笑ってます。

「あなたが言うか!」って。

えぇ、自分も年とったなぁってはなしです。

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2020年12月 9日 (水)

ヒーローを貶めるヒト

今朝のテレビ番組で、医療従事者に対するいじめや差別問題を取り上げていました。

番組の下部に出てくるツイートで、「医療従事者の皆さんはヒーローなのに」というつぶやきがありました。

そうですよね。コロナに罹患した人に限らず、病気や怪我をした人に寄り添ってくださる方々なのに、どうしていじめや差別がおこるのでしょうね。

と、番組を見ながら同意していました。

けれど、そういうときに「医療従事者やその家族に対していじめや差別をするヒトは、酷いヒトだなぁ」と思うだけでは、自分自身の視野・考え方も狭めてしまいます。

ひいては私自身が、私の思いと違う人を排除する(いじめる・差別する)ヒトになってしまいます。

ちょっと違う見方をしてみましょう。

ヒーローと呼ばれる人、位置付けられる人・・・映画やドラマに出てくるヒーローは、かっこいいんだけど、異能の人であったりします。

普通の人は持ち合わせていない能力を持っている。

その能力で困難をぶち破ってくれる。

それゆえに、人々はヒーローとして讃えるのですが、けれど、讃えるだけで終わらないのもヒトのいやらしさです。

アメリカン・コミックスのヒーロー映画が盛んですが、そのヒーローは、自分自身の異能に悩んだり、周りの人びとはその異能ゆえに あこがれるのではなく、差別の目で見たりしています。

アメコミのヒーローって、けっこう悲しさが描かれていますね?

日本のヒーローはどうだろう?

現在(いま)のヒーローは『鬼滅の刃』の竈門炭治郎はじめ、柱たちでしょうか。

さすがに、思い入れたっぷりなので、非難や差別されるヒーローではないようです。

日本の漫画のヒーローは、あまり非難・差別はされてる印象がないかな。

でも、ほんわかした雰囲気の「パーマン」を思い返しても、パーマンの招待を暴こうとしたり、パーマンと友達であることをダシにして自分の地位・名声を上げようとするヒトが表われていたように覚えています。

マイナーかもしれませんが、「パタリロ」に“スーパーキャット”というスーパーマンネコが登場するのですが、人助けをするスーパーキャットやそこに群がる人びとに対して、主人公のパタリロが「銃で撃たれても死なない力を持っていれば、私だって身をもって人助けする!!」と一喝したシーンがあったことを思い出しました。

「銃で撃たれても死なない、ケガしない」、そんな能力があれば、誰だってヒーローとしての務めを果たす・・・

でしょうか。

いや、その能力を、人助けではなく悪いことに利用するヒトもいることでしょう。

その能力があっても、人の為に使わない人もいることでしょう。

その能力ゆえに悩む人もいるかもしれない。

人と違う能力、人より秀でた能力があったとしても、それを使う、そういう能力を持った自分であることを受け入れるのは、その人自身の思いです。

能力の有無は、二の次なのだと思います。

それに、そんな特殊能力を有するのは、それこそコミックス・漫画の世界。

そんな能力がないことは、誰だって分かっている。

それゆえに、能力を持つことに憧れ、能力を持つ者に嫉妬する。

話を戻そう。

ヒーローである(という位置づけは本当は違うのだけど、今日は話の流れでヒーローとして書いています)医療従事者に対するいじめや差別は、ある面 嫉妬なのかもしれない。

このコロナ禍にあって、何もできない自分。

そんな自分にイライラしたり、もどかしさを感じたり、不安を感じたりする。

何もできなくて当たり前なのに。

コロナが収束に向かう気配はなく、情報は悲観的なものばかり・・・。

罹患しても早く治してほしい。だって、そのための医療従事者でしょ!?(という勝手な思い込み)

あなたたちは、私よりは恵まれた力を持っているんでしょ!?(という筋の通らない思いとやっかみ)

そのような思いが表出しているのが現在(いま)なのだと思う。

ヒーローは、決して万能ではない。心の強い人ではない。

自分には足りないものがいっぱいあることを知っているから、なんとかこの分野だけでもと自分を鍛え、磨き、研鑚してきた人。

自分の心の弱さを知っているから、他者(ひと)に当たってはいけない、他者に頼りすぎてはいけないと、自分の弱さと他者を想う気持ちを持ち合わせた人。

そういう人が、ヒーロー。

そういう人が、微力だけど、弱い自分だけど、でも何とかしたいと身と心を動かしている。

一昨日の投稿で、「矛盾するように感じられるものが、実は矛盾することなく成り立っている」と書いた。

もうひとつ思いました。

「自分の弱さを知る者こそ、強い」

他者をいじめ・差別する者は、自分の弱さを知らないがゆえに、他者を貶めることで強い人間になろうとしているのでしょう。

ヒーロー視するのではなく、ただただ 医療に携わる方々、そのご家族に感謝(陳謝)です。

また、そのひとり一人にも日常が、生活があることを想います。

みんな同じ時間(とき)を生きています。

みんな同じ いのち を生きています。

南無阿弥陀仏

2020年12月 8日 (火)

12月8日

1941年12月8日、日本が米英両国に宣戦布告した日。

本日の朝日新聞の社説より

 研究者の考えは長年の研究活動の上に形づくられる。それが政府の意に沿わないからといって制裁の対象になれば、学問の自由は無いに等しい。他の研究者や受講する学生らの萎縮も招く。「会員にならなくても学問はできる」といった言説が、事の本質を理解しない間違ったものであるのは明らかだ。
 学術会議が、軍事研究を否定した過去の声明を「継承」するとしたことを、自由な研究の侵害だと批判するのも筋違いだ。そもそも同会議に大学や個人に何かを強いる力はない。軍事研究は性質上、学問の自由の根幹である自主・自律・公開と相いれない。その危うさを指摘し、科学者の社会的責任を再確認した点に声明の意義はある。
 コロナ禍や気候変動への対応など、専門知の活用がこれまでにも増して求められる時代だ。それを支える学問の自由を、より豊かなものにしていくことこそ人類の利益にかなう。23条の真の価値が問われている。

第二次世界大戦の反省を踏まえ、軍事研究を拒否、戦争に赴きそうな動きのに警鐘を鳴らすという「日本学術会議」の役割があった。

その役割を担う日本学術会議を、国から独立した法人格に位置付けようとする自民党案が出ている。それは、国に、政府に反旗を翻すものは認めないという姿勢の表れ。つまりは、軍事研究の推進や戦争に向かわんとする動きに抗うものは認めない(許さない)という動き。

研究者、つまり専門の分野の人の声を聞かないということは、軍事研究の件のみならず、現在の新型コロナウイルスにおける専門家の声を聞かない(聞いているふりをする)態度と似通って見える。

国や政府の考え方とピッタリ合う専門家を従え、政策運営するのなら、そもそも専門家も、有識者も、外部の意見も聞く必要がなくなってしまう。けれど、それでは道を見誤る。政府与党自身の首を絞めることにつながることを、どうして気づかないのだろう?と思う。もっとも、そういう声を挙げる人が政府与党内部にいないのだから仕方のないこと。
反対意見を言われることは、正直きついこと。しんどいこともある。イエスマンばかりだったら、どんなに気が楽か。と考えるけれど、イエスマンばかりで誰も文句を言わない時の私の意見は、だいたい大した意見(考え方)ではない、ろくな意見ではない、間違っている場合だってある。にもかかわらず、指摘してもらえない悲しさ。そして怖さ。
「日本学術会議」を置いておくことは、国のため国民のため以前に、政策運営のため(政府与党自身のため)に必要不可欠なことであると思う。

12月8日、過去の過ちを繰り返さないためにも、宣戦布告した過去と共に覚えておかなければいけない日。
現代(いま)の日本が、世界がどこに向かおうとしているのかを、あらためて確認しなければいけない日(特定の日の話ではないけれど)。
いま、決して安心できる状況にないことは、日々のニュースを見ていれば明らかだ。

2020年12月 7日 (月)

矛盾するように感じられるものが、実は矛盾することなく成り立っている。

 「失敗は成功の母」

 「急がば回れ」

 「楽あれば苦あり」(「苦あれば楽あり」)

 違和感なく使っている言葉だけれど、味わってみると不思議な表現。相矛盾しているものが、きちんとバランスを保って成り立っている。

 失敗を積み重ねるうちに経験・知見も積まれ、成功へとたどり着く。けれど、その成功とは、「失敗の後に成功がやってくる」という順序だてたものと受け止めるのではなく、「失敗は成功であり、成功は失敗である」という、一枚の紙に表とウラが必ずあることと同じだと思う。失敗と思っている事柄が、即ち成功とつながっている。成功と安堵した事柄も、そこで満足したり思いあがったりしていたら失敗へと導く。失敗と成功は共にある。母と子が、共であるように。

 急がば回れ。急いでいるから近道を行きたくなる。地図上の道であれば、近道もあるし、「ここが近道だ」ということも分かる。けれど、人生における近道なんてわかりやしない。「こっちが近道だ!」と思った歩みが遠回りだったり、目的地と違うことだってある。そもそも、どこがゴールなのかもわからないし、目的地なるものも状況によってコロコロ変わる。暗中模索する中で“近道”といっても、それが近道なのか否かわからない。遠回りをしているかのような疲労感・疲弊間・徒労感や不安感があっても、人生振り返ってみると、すべての出会い・事柄との出会いがあっての今なんだと感じられる。回り道したみたいだけど、そんなことなかった。人生、若いとき、育児や仕事に追われているときは、気が急いてしまうけれど、それは歩むべくして歩んでいる回り道だった。

 楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。
 楽しいことの後には苦が待っているよ、「アリとキリギリス」のキリギリスのように。
 苦しいことの後には楽が待っているよ、「アリとキリギリス」のアリのように。
 と、受け止めてしまうけれど、楽と苦、苦と楽は同時進行なのだと思う。人間、ひとつの事柄、ひとつの事業に専念・専心して生きているわけではない。あちらの顧客の相手して、こちらの顧客の相手して・・・。国語の勉強して、数学の勉強して、外国語の勉強して・・・。Aちゃんんの面倒見て、Bくんの話しに頷いて、ペットの散歩して・・・。仕事しながら、資格の勉強して、家のこともやって・・・。楽しいこと、辛いこと、苦しいこと、ふと笑えることして、ちょっと息抜きして・・・。そう考えると、人間って、いろんなことを同時進行で一生懸命頑張っている。今現に頑張っている。なんて凄いんだろう! 楽も苦も、苦も楽も、いろんなことを感じながら生きている。
 楽あれば苦あり(苦あれば楽あり)。楽(苦)のあとに苦(楽)がやってくる、って順序だてた話ではなくて、共にあるということ。喜怒哀楽は、ひとつひとつの感情ではなくて、みんなひとつなんだと思う。いろんな感情があるから、楽しい!ってことを感じられるし、苦しいです!ってことも感じられる。楽ばかりでは、それを楽とは感じない。苦ばかりでは、それを苦と感じない。楽を感じられるから苦を感じられる。苦を感じられるから楽を感じられる。
 楽あれば苦あれば楽あり苦あり。

 南無阿弥陀仏

2020年12月 6日 (日)

塵(ちり)をはらい 垢(あか)をのぞく

 今朝、門前を掃除しているときの話。
 毎朝のように挨拶を交わしている男性と、今朝も会いました。

 「お寺さん、毎日大変だねぇ。でも、若い時から身体を動かしているのはいいことだよ。年をとったら無理だもの。お寺さんは何歳ですか?」

 「若いと言っても、もう49歳ですよ」(^▽^)

 「若い若い、私なんかもう85歳だもの。若い時にもっと身体を動かしておけば良かったなぁって思うよ。でも、85歳で毎朝体操に出かけて、散歩して帰ってきて、身体が動く方なのかもしれないねぇ。身体は、動くときに動かしておいた方がいいよ」

 と、声をかけていただきました。お話を伺っていて、125歳まで生きる前提で考えていらっしゃることもお話してくださいました‼
 身体が動くことも、生きていくうえで励みにはなります。でも、気持ちを若く、前向きに生きることが元気の秘訣なのかなぁと感じました。毎朝、私の方が元気をもらい続けてきたんだなぁと思いました。

 身体を動かすといっても、私の場合はひたすら掃除です。掃き掃除・拭き掃除・ゴミ拾い・枯れた墓地花の回収(けっこう重労働ですよ)。週に一回プールで泳いでいたのですが、このコロナ禍で、プールには行かなくなりました。
 身体を鍛えたい人、筋肉を付けたい持久力を備えたいという人にとっては、掃除程度の身体の動きでは物足りないでしょうが、年を重ねてもある程度は動くように、太らないように、という方には日々の掃除はかなりお勧めです。

 あ、それから、黙々と掃除をするだけではなく、人と話をするということも良いのだと思います。

 ☆ ☆ ☆

(付記)
お釈迦さまのお弟子さんの周梨槃陀伽(しゅりはんだか)さんのお話も付しておきます。

お釈迦さまのお弟子さんの周梨槃陀伽は、とても物覚えの悪い人でした。
お兄さんはとても優秀な方で、お釈迦さまの弟子となり、立派に修行をされていました。
周梨槃陀伽はお兄さんの後について、お釈迦さまの弟子になりました。
しかし、物覚えの悪い周梨槃陀伽は、修行もままなりませんでした。

ある日、いつもそばにいて支えてくれていたお兄さんから、「お前がここにいては、みんなに迷惑をかけてしまう。家に帰って、両親の面倒を見てくれないか」と言われてしまいます。
みんなに迷惑をかけているのは分かっている。だけど、大好きなお釈迦さまや兄から離れたくはない。
そんな想いを、周梨槃陀伽はお釈迦さまに泣きながら話します。

お釈迦さまは言います。
「物覚えが悪いからといって、お前は愚かな者ではない。自分の弱い面を知っている者こそ、本当の智者である。周梨槃陀伽よ、ここに一本のホウキがある。『塵をはらい、垢をのぞく』と言いながら、掃除を続けなさい。お前はここから去る必要はありません」

周梨槃陀伽はお釈迦さまに言われたとおり、掃除を始めます。
「ちりを・・・なんだっけ?」

掃除をする周梨槃陀伽の姿を見て、口の悪いお弟子さんは言います。
「お釈迦さまは周梨槃陀伽を追い出すわけにもいかないから、掃除をすることで そばに置いてあげようとしたのだろう。お釈迦さまは優しい方だなぁ」

周梨槃陀伽はお釈迦さまに言われたとおり、掃除を続けます。
「ちりをはらい… ちりをはらい…」

来る日も来る日も掃除を続ける周梨槃陀伽の姿は、やがて 他のお弟子さんたちに輝いて映りはじめました。

掃除を続けるうちに、周梨槃陀伽は ふと あることを想いました。
「毎日これだけキレイに掃除をしているのに、塵や汚れはいつまでも無くならないなぁ。きれいにしてもきれいにしても、次から次へと塵が出てくる。
なんだか、私の欲の心に似ているなぁ。修行してキレイな心になったつもりでも、いつまでも欲の心は噴き出してくる。それは、私が愚か者で、修行が足りないからだと思っていたけれど、そうではないのではないか。欲の心や煩悩というのは、この塵のように、いつまでもいつまでも出続けるものなのではないだろうか。
そういう人間の姿を気付かせるために、お釈迦さまは私に掃除をさせたのではないだろうか。
塵をはらい、垢をのぞく。塵をはらい、垢をのぞく・・・」

物覚えが悪く、馬鹿にされ続けてきた周梨槃陀伽ですが、お釈迦さまの教えを受け、人間の本当の姿を自ら感じ取りました。もう誰も周梨槃陀伽を馬鹿にしたりしませんでした。

掃き掃除をするとき、いつも周梨槃陀伽の姿を思い起こしています。

南無阿弥陀仏

2020年12月 5日 (土)

人と会い難し、今、すでに会う

 昼食を終え、テレビをつけると、ちょうど「こころの時代~宗教・人生~」(Eテレ 本放送は毎週日曜日午前5時 再放送は毎週土曜日午後1時)を放送していました。
 出演はサヘル・ローズさん(女優)。

イラン出身のサヘル・ローズさんは戦争で孤児となり養母に引き取られた。来日後、ホームレス生活やいじめを乗り越え、「今」を生き抜く。壮絶な人生と母への思いを伺う。
イランで戦争孤児となったサヘル・ローズさんは、養母と救いを求めて来日後も、壮絶ないじめやホームレス生活などの過酷な体験を重ねた。自ら命を絶とうとした時、母子関係に劇的な変化が生まれる。「生かされている意味」を考え続けて格闘してきた人生。難民地域など世界の子供たちを訪ね、自分が「今」を生き抜く「種」をまき、育てる旅を重ねる。次々と襲い掛かる現実を乗り越え生きる思いを聞く(2019年11月初回放送)
(番組ホームページより)

 テレビの向こう側の人の人生や人となりを知ることは、あまりないけれど、たまたまつけた番組で、彼女の生い立ちを知る。
 母国イランでは身寄りがなく、自分を引き取ってくれた母(養母ではあるのですが、彼女にとって本当の母なのです。だから “母”と記します)と共に来日。けれど、日本でもいじめや差別を受け続け、自分が生まれたことの意味、生かされている意味を問い続けて来られました。
 自分のことを置いておいて、娘のことを第一に想い続けてきたお母さん。そのお母さんに育てられたローズさん。さまざまな体験、いろいろな人との出会いを経て、彼女は今、難民地域など世界の子どもたち、女性を訪ね、話を伝えています。

 「前を見て生きてほしい・・・そのことを伝えに来たのに、私の方がみんなからもらうものが大きくて。伝えようと思ったら、たくさんのことをもらうんです」

 難民地域で出会い、「前を向いて生きていこうね。また会おうね」と約束した子に、また会いに行くんだと語るローズさん。
 出会いは、2度目が大事なんです。「また会おうね」と約束して、また会いに来てくれたら、それは約束を守ることになる、つまり、前を向いて生きていたら、大切な出会いがある、願いが叶うということの証でもある。だから、また会いに行くんだ。ストリートチルドレンだから、前と同じ場所には、おそらくいない。でも、探して、またあの子に会いたい、会うんです。
 ということを語られていた彼女の姿が心に残りました。

私は「何のために生まれてきたんだろう」ってずっと思ってきたけど、今は本当に これは言える。
私は人と出会うために生まれ、そのために生かされている。
(番組ホームページより)

2020年12月 4日 (金)

永遠 終わりながらも続いていく物語

『鬼滅の刃』最終巻23巻読了 感涙

「ジャンプ」を買ってないので、単行本が出るのを待ちわびていました。
(ネタバレする話には加わらずに過ごしていました(^∀^) )

読了して書きたい想いがあったけど、書かずにおきます

最終巻発売(2020年12月4日)にあわせて、3日の全国紙5紙夕刊、4日の朝刊に『鬼滅の刃』全面広告が掲載されました。
(ものすごいお金かかってる💦)

3日夕刊に掲載されたの言葉は、産屋敷耀哉のせりふ。

永遠というのは人の想いだ
人の想いこそが永遠であり
不滅なんだよ
 (『鬼滅の刃』16巻より)

作中における せりふのひとつ に留まらず、作品にかけられた願いでもあるとのこと。

この言葉を味わい、『ワンピース』に登場したDr.ヒルルクのセリフも思い出していました。

人は いつ 死ぬと思う・・・?
心臓を銃(ピストル)で撃ち抜かれた時・・・ ・・・違う
不治の病に犯された時・・・ ・・・違う
猛毒のキノコのスープを飲んだ時・・・・・・違う!!!
・・・人に忘れられた時さ・・・!!!
           (漫画「ワンピース」16巻より あ、両方とも16巻だ!)

忘れない限り、人の想いが 人から人へと伝わる限り、人の想いは永遠であり不滅なんだよ・・・

(追記)
全国紙5紙への全面広告、「日本経済新聞」は、この2人が見開きで‼
ページを開いた瞬間、胸がいっぱいになりました(T‐T)

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2020年12月 3日 (木)

いない いない ばあ

松谷みよ子さん(児童文学作家)が生み出された『いない いない ばあ』(絵は瀬川康男さん)が、2020年11月24日付の重版をもって、日本の絵本で初めてとなる「累計出版部数700万部」を突破しました。

1967年の初版から数えて339刷 701万7,500部になるそうです。

絵本のなかの動物たちが「いない いない ばあ」しています。

赤ちゃんは、急に出てくる顔に大喜びです。

「いない いない ばあ」する絵本はいくつもありますが、そのパイオニアです。

うちにも、松谷みよ子さんの絵本が何冊かあります(当然『いない いない ばあ』も)。

シンプルだけど何度も読み返したくなる絵本。

赤ちゃんも親も惹きつけられます。

ロングセラーですね。

『いない いない ばあ』700万部突破のニュースを読んで、以前読んだ文章を思い出しました。

徳間書店の本に挟まっている機関誌『子どもの本だより』(2018年7月/8月号 第25巻 146号)です。

頭は柔軟に! 編集部 田代 翠
 先日、東京・庭園美術館で行われていた「鹿島茂コレクション フランス絵本の世界展」を見にいきました。古書蒐集家(しゅうしゅうか)としても知られる仏文学者の鹿島茂氏の蔵書から選んだ絵本から、19世紀のフランスで絵本がどのように生まれ、20世紀にどう発展してきたかをたどることができる、興味深い展覧会でした。
 古書の現物を見られたのも良かったですが、印象深かったのは、絵本の発展の転換点には必ず編集者の斬新なアイディアがあったということ。たとえば19世紀半ばの編集者エッツェルは、本といえば「文章が主、絵は従」が当たり前だった当時、動物を主人公に、絵が主となる、現代にも通じる絵本を生み出しました。大雑把なストーリーだけをまず画家に伝え、絵を先に描いてもらい、文はあとからつける、という、当時としては型破りの方法を取ったとのこと。その絵本は大人気となったそうです。
 普段していることを当たり前と思わなければ、新しいアイディアを生む余地はいくらでもあるはず。発想を柔軟にし、いつもとちがうことをするよう心がけねば、と思わされました。

“絵本” というくらいだから、「絵が主 文は従」なのは当たり前と思いがちですが、そもそもその発想が画期的なことでした。

本といえば、読み物。「文が主 絵は従」というのが当たり前の時代に、そこを転換させた!

その発想と、実際に作ってみる英断がなかれば、現代に通じる“絵本”は生まれていなかったかもしれませんね。

であれば、松谷みよ子さんの数ある作品も、『いない いない ばあ』も、私たちが手にすることはなかった、かもしれません。

否、「絵が主 文は従」の “絵本” 自体は、エッツェルが生み出さなくても、そのうち誰かが手掛けていたことでしょう。

“絵本” なるものが生まれていても、そこに本当に子どもたちのための作品が生まれていたかというと、それもまた柔軟な発想、覚悟ある英断がなければ、『いない いない ばあ』はじめ多くの作品が生まれていなかったかもしれません。

絵本を作るのは、その多くが大人ですから、現代(いま)でも、「文が主 絵は従」の絵本がたくさんあります。

つい、言葉で説明してしまうのですよね。

赤ちゃんは、子どもは、絵だけで充分受け止めているのに。

松谷さんと周りの方が、赤ちゃんが喜ぶためのものを作りたい!と思い立ち、願って、やっとできたのが『いない いない ばあ』です。

そうか、松谷さんの絵本が柔かくて、大人的には少しあっさり感じたのは、余計な文がなかったからなのですね。

絵本に限らず、既に出来上がったものが手元にあると、それを作り出す背景に想いを馳せるということがあまりありません。

けれど、この世のあらゆるものの背景に、考えた人、作った人、売った人の想いや願いや努力があります。

いない いない しているものは、目に見えない、気付かないものだけれど、でも現にある。

そういうことを忘れてはいけないと思います。

心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。
                       『星の王子さま』(サン=テグジュペリ)より

2020年12月 2日 (水)

お念仏は、讃嘆であり懴悔である (金子大榮)

昨日の投稿で、「感謝と陳謝」について書きました。

「感謝と陳謝」「ありがとう と ごめんなさい」について文章を書いているうちに、金子大榮先生の言葉「お念仏は、讃嘆であり懴悔である」を思い出してもいました。

南無阿弥陀仏の念仏は、讃嘆であり、懴悔である。

親鸞聖人の恩徳によって、南無阿弥陀仏の念仏を、教えをいただき、阿弥陀如来の慈悲のなかにある私であることを知らされました。その喜び。

しかし、阿弥陀の慈悲のなかにある私とは、いかなる私であるのか。

そのこともまた、念仏の教えによって教えられました。

縁がもよおせば、いかなるふるまいもしてしまう私であるということを。

罪悪深重の自覚によって生じる懴悔。

そのような、本来ならば救われるはずのない身である私を、救わんと誓い願った阿弥陀如来。

その阿弥陀の慈悲に包まれてある私。その気づきと、その気づきから生まれる讃嘆。

南無阿弥陀仏には、讃嘆と懴悔のふたつがあるということではなく、讃嘆と懴悔の自覚が行ったり来たりし続ける。

そのようにいただいています。

「謝す」とは、感謝であり陳謝である。

「南無阿弥陀仏」は、讃嘆であり懴悔である。

まったく別の性格を持つ(ように思われる)ものが、ひとつの言葉に凝縮されている。

矛盾することなく、破綻することなく。

感謝と陳謝、讃嘆と懴悔は阿弥陀の慈悲のなかにある。

南無阿弥陀仏

2020年12月 1日 (火)

2020年12月のことば

2020年も12月を迎えました(あ、先月と同じ書き出しだ💦)。
12月は師走とも言いますが、“師走”というと慌ただしい雰囲気が出てきますね(坊さんが暮れの読経で走り回るという意味があるからでしょうか)。
日が暮れるのも早くなりました。同じ24時間なのに、一日の経過が早く感じます。
コロナ第3波が襲来していますが、暮れだからといって慌てず騒がず丁寧に過ごしたいものですね。
寒さも本格化してきました。暖かくしてお過ごしください(換気もしなければいけないから難しいですが)。

 ☆ ☆ ☆

2020年12月のことば

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感謝と陳謝
謝には、
 ありがとうと
 ごめんなさいが
 入り混じっている。

報恩謝徳 「謝す」ということ

11月、ご本山 東本願寺で「報恩講」が勤まりました。本年は、ご本山報恩講にお参りすること叶いませんでしたが、ライブ配信のおかげで、画面を通して参拝・聴聞することができました。
画面には映らない多くの方の尽力があり、教えが、遠くにいる私たちにまで届きました。
教えが私にまで届いた恩徳に報謝することを「報恩謝徳」といいます。11月、「報恩謝徳」について考えました。

真宗の法座では、最後に、親鸞聖人が著わされた「恩徳讃」を唱和します。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし

ストレートに意訳すると、
「阿弥陀如来からいただいている慈悲のおこころの恩徳は、
身を粉にするほどに報じる(報いる)ものである。
私に至るまでお念仏を届けてくださった先達のご恩徳にも、
骨を砕くほどに謝するものであります。」
となります。

「恩徳讃」の最後に「謝すべし」とあります。「謝す」と言われたとき、どのような態度を思いますか?
信仰の対象や神仏に「謝す」と言った場合、多くの方が「感謝」を思い浮かべるのではないでしょうか。「恩徳をいただき、ありがたいことです」と。
さて、振り返ってみて、私はどのようなときに神仏へ謝しているでしょう。
願い事が叶ったとき、大きな災禍なく過ごすことが出来たとき…などではないでしょうか。つまり、自我・自欲に応えてもらえたことに対する「謝す」です。ということは、自我・自欲どおりにならないときに「謝す」気持ちは起こりません。私の「感謝」は、自我・自欲に縛られています。果たして、それが「謝す」ということでしょうか。

「謝す」について考えていて、「謝」には「感謝」の他に「陳謝」「謝罪」という熟語もあることを思いました。「謝す」には、「ありがとう」だけではなく、「ごめんなさい」もあります。

ありがとう

私が「ありがとう」を言うのは、感謝の想いからだけでしょうか。

「ありがとう」を言う相手は、私がすべきことをしてくれました。私が費やすべき時間を費やしてくれました。私が受けとめるべき悲しみを共に受けてくれました。それらのことに対する「ごめんなさい」の気持ちがあって、「ありがとう」という想いが、言葉が生まれてくるのではないでしょうか。

ごめんなさい

私が「ごめんなさい」を言うのは、お詫びの気持ちからだけでしょうか。

「ごめんなさい」を言う相手は、私がすべきことをしてくれました。私が費やすべき時間を費やしてくれました。私が受けとめるべき悲しみを共に受けてくれました。それらのことに対する「ありがとう」の気持ちがあって、「ごめんなさい」という想いが、言葉が生まれてくるのではないでしょうか。

私の「ありがとう」「ごめんなさい」

と、書いていて思いました。「ありがとう」も「ごめんなさい」も、その言葉を発する根っこには同様の気持ちがあるということを。
「感謝」と「陳謝」。「謝」には、2種類の想いがある…のではなくて、ふたつの想いが入り混じり、ひとつなのです。
果たして、私の「ありがとう」と「ごめんなさい」の内面は、どのようになっているでしょうか。

たとえば、このコロナ禍において、「医療従事者に感謝を伝えよう」というメッセージを見聞きします。医療従事者に「ありがとう」を伝えるとき、そこに「ごめんなさい」はあるでしょうか。
医療に従事される方々の苦労に「ありがとう」の気持ちはあっても、“私”がその苦労をかけているという自覚があるでしょうか(実際にお世話になっている方はあると思いますが)。
“私”とは、罹患者・疾病者のみを指しているのではありません。医療とは、すべてのいのちが対象です。たとえ今はお世話になっていなくても、“私”がいつ病気や怪我をしても診てもらえる。その準備がされている。そういうことを想うと、“私”が伝える感謝には陳謝も伴ってもいいはずです。
果たして、私の「ありがとう」と「ごめんなさい」は、入り混じり、ひとつとなっているでしょうか。

たとえば、地下鉄サリン事件の井上嘉浩元死刑囚のことを思います。
私は、寺報やブログで「死刑制度は公の殺人であるということを忘れてはならない」「誰もが罪業を抱えている」ということを書いてきました。そのような私に、『「生きて罪を償う」 井上嘉浩さんを死刑から守る会』に携わっている先輩が声をかけてくださり、会の機関誌である『悲』に寄稿するご縁をいただきました。
『悲』発刊後、先輩から写メが送られてきました。井上嘉浩さんが、寄稿者ひとり一人の名前を書き、「感謝しています」と綴った手紙でした。
「感謝しています」。井上嘉浩さんからいただいた、最初で最後の言葉です。
彼の「感謝しています」の根っこには、深い懺悔があります。罪を犯したのだから懴悔があって当然だと思われるかもしれません。しかし、誰もが皆罪業を抱える身として生きています。そんな“私”の「ありがとう」の根っこに「ごめんなさい」があるでしょうか。井上嘉浩さんからの「感謝しています」の一言に、「謝す」ということの大変な意味を感じています。

南無阿弥陀仏

☆ ☆ ☆

掲示板の人形
2020年12月の人形は、サンタとパンダと合掌する子どもたちです(^∀^)
手作りのサンタ人形は、お寺の近くにお住いの男性からいただきました。理由(わけ)あって親元から離れて施設で暮らしている子どもたちのために、毎冬サンタ人形を作って贈っているとお聞きしました。
「副住職、お寺さんにサンタはおかしいかもしれないけれど、お寺の新聞に書かれているお嬢さんの絵に癒されているので、サンタ人形をプレゼントしていいですか?」と声をかけていただきました。ありがとうございます。今年で3年目になります。サンタも増えて賑やかになりました。
パンダ人形は、秋田の弟が娘たちに贈ってくれたものです。そういえば、上野動物園のパンダのシャンシャン🐼は、今年いっぱいで中国に返還される約束なのですね。一度だけお目にかかりましたが、お別れは淋しいものです。惜別の想いを込めて、パンダ人形も飾りました。
合掌している子どもたちの人形も一緒に飾り、多様性の意味も込めました。
新型コロナウイルスの収束も願いつつ、新しい年が穏やかな年になることを念じてやみません。

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