生まれ、生きる
今日(2020年11月13日)は、真宗会館で開催された「真宗門徒秋のつどい」へ。
講師は 今泉温資先生
講題は「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」(慶讃法要のテーマ)
☆
善導大師の「両重の因縁」のお話をしてくださいました。
「
私が生まれてくるためには、父と母の縁があるのは当然のことですが、それと共に私自身の「生まれたい」という願いもあるのです、というお話。
〇「生まれたい」という自らの業識という因
〇父と母の精血という縁
その両方の因縁が重なり、私は生まれてきました。人と生まれるということは、その因縁があってのことなのです。
「子どもを作る」とか、“作る”という表現を現代ではするけれど、「さずかりたるいのち」なんです。
“いのち”を、「さずかりたるいのち」としていただくと、視点も変わってきます。
」
というお話をお聞かせいただきました(私の記憶のままに書いています)。
※「両重の因縁」については、5月16日の投稿(「中村薫先生を偲んで」)に詳しく書いていますので、そちらもお読みいただければ嬉しいです。「両重の因縁」のお話は、私にとってとても大切な学びです。
☆
先生の控室を訪ねたら、
(先生)「講題が “南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう” だから、テーマ委員だった白山さんがお話されればいいのに。私がお話してしまい、申し訳ありません」
と、謝られてしまいました(^-^)
慶讃法要テーマの発表以降、テーマを受けとめた方の声をお聞かせいただく機会がなかったので、先生の受けとめをお聞きすることが出来て、とてもよかったです。
また、
(先生)「“南無阿弥陀仏”をテーマの頭に掲げてくださったことが、何よりも良かった、嬉しかった」
と言っていただきました。私も嬉しく思います。
(私)「テーマに “南無阿弥陀仏” と掲げたら、真宗の教えにふれた人に対象が限定されるのではないだろうか?という懸念もありましたが、“南無阿弥陀仏”は生きとし生けるものすべてにひらかれた言葉であるのだから、だからこそ“南無阿弥陀仏”を堂々と出そう‼ということになりました」
と、テーマの背景をお伝えしました。
先生、本日は新潟からお越しいただき、ありがとうございました。またお目にかかりましょう(^-^)
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