« 報恩講仕度 | トップページ | 西蓮寺報恩講2020厳修 »

2020年11月 4日 (水)

柔軟性

一昨日の投稿で、マスクに関する話を書きました。

ほとんどの人が外ではマスクをしていることが当たり前になりました。

先日、生まれて数か月の赤ちゃんにお会いすることがありました。

門徒さんが、お墓参りの折に連れてきてくださったのです。

素敵な笑顔をいただきました。ありがとうございます。

これからの いのち のために、先を生きる者として頑張って生きねばと想いを新たにしました。

さて、寺の人間みんなマスクしてお迎えしたわけですが、赤ちゃんは泣かずに抱っこされています。

以前は、マスクをした人を見ると、赤ちゃんは 普段見ているものと違うものが目の前にあって泣き出すということがありました(ありませんでした?)。

だから、泣かずに抱っこされているので、「マスクしていても泣かないですね」とママとパパに話しかけたら、

「今は、みんなマスクしているじゃないですか。マスクしている顔に慣れているので、泣かないんだと思います」とのお返事。

なるほどなぁと思いました。

すでにしてマスク顔に慣れていらっしゃるのですね! 小さい方は。

マスク顔に免疫がついているのはいいですが、考えてもみると、マスク顔が当たり前の世の中で成長していくと、マスクを取った顔に対してどんな印象を持つのだろう?と思いました。

もっとも、ご家庭ではみんなマスクを外しているわけですから、違和感や嫌悪感はないでしょうが。

少し話は変わりますが、コロナ禍においてzoomなどで会議・打ち合わせ・呑み会などをするようになり、時折、面と向かって話をできるようになったとき、「やっぱり対面はいいね。対面して話さないと、うまく話ができなくて」という声を聞きます。私もそう感じます。

けれど、それは対面が当たり前の環境で生きてきた私たちだから出てくる感想です。

これから、リモートが当たり前の世の中になったとしたら、画面を通しての会話が当たり前になるわけです。

そうしたら、たまに会って話す場が「やっぱ対面は緊張するね。対面していると、何話していいかわからなくて、うまく話ができないや」なんて感覚になるのかもしれません。

マスクをしている人が珍しい時代(とき)は、小さな人が、マスク顔を怖がっていた。

けれど、誰もがマスクをしている時代、小さな人にとって 人の顔はマスクをしているのが当然の感覚になるのかもしれない。

場に集まって会話をしていた時代は、リモートという手段はあっても、それを自分まで活用するような時代が来るなんて思いもしなかった。集まれるのであれば、集まって話すことが当たり前だった。リモートでのやりとりに疲労を感じていた。

けれど、新型のウイルスを気にしなければならない時代・リモートが主流の時代、新型コロナウイルスが収束した後も、リモートでのやりとりが当然のことになるのかもしれない。リモートよりも、実際対面の方に疲労を感じるようになるのかもしれない。

当たり前にしていることは、時代や環境、人々の考え方によっていとも簡単に変わりゆく。

当たり前のことを不動のこととして生きていると、その当たり前が崩れたときに対応することがとても大変なことだと、現代(いま)、殊に感じます。

「当たり前」は、確固たるものではなく移ろうもの。柔軟に対応していくもの。

赤ちゃんを抱っこしながら、そんなことを想わせていただきました。生まれて間もない いのち から(‐人‐)

赤ちゃんは、柔軟ですね (^-^)v

« 報恩講仕度 | トップページ | 西蓮寺報恩講2020厳修 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 報恩講仕度 | トップページ | 西蓮寺報恩講2020厳修 »

フォト
2020年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ