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2020年10月 9日 (金)

他者(ひと)を好きになることって、生産のためだけじゃないでしょ! 逆に考えると、生産のために他者を好きになってんの?

東京都某区の区議の、LGBTの方への差別的発言。当人からの発言の撤回も謝罪もありません。それでさらに火に油を注いでいるわけですが、私は、発言の撤回・謝罪の必要はないと思います(というか、うわべだけの謝罪は意味がないと思っています)。「この人はこういうことを思っている人なんだ」ということがハッキリして、かえってよかったのではないでしょうか。これから私たちが気を付けるべきことは、自分の非を指摘されたときに、そのことに向き合おうともせず、自分の思いの枠から外れる人を“普通”でないと断じる人を、次の選挙で当選させないことではないでしょうか(もっとも、比例代表制の選挙の場合、当選に値しない人が当選してしまうこともありますが)。

それから・・・自分の思いの枠から外れる人に対して「それはいけない」と断ずるとき、同時に私も、自分の思いの枠から外れる人を除外している現実があります。他者への非難・批判とは、本来自分にも突き刺さるものです。難しく、痛いものです。
自分に痛みを感じることなく他者批判をしたわけですから、某区議の発言は許しがたいものだったのです。

さて、某区議の発言は、異性を愛することが“普通”のことであるかのような発言でした。
その区議にとっては、同性を愛するということは理解の枠を超えたことなのでしょう。

けれど、LGBTとは、最近になって表れた性の志向ではありません。人間の性分や志向や考え方・行動は、そう変わるものではありません。本来的には、人間なるものが誕生してからずっとあったものだと思います。けれど、それを表立って言えない歴史が長かった。それゆえ、LGBTの方々が最近現われたのだと感じている人もいますが、そうではありません。

想像力をはたらかせると・・・現代、日本における結婚は、好きになった人と縁が結ばれて結婚します。「好きな人と」という自分の意思が反映されます。けれど、ほんのちょっと昔、差別的発言をした区議の祖父母・父母の時代は、親同士が決めた相手と結婚することが “普通”のこととしてあったことでしょう。その区議の年代の人も、許嫁と結婚した人も珍しくはない頃ではないでしょうか。つまり、自分の性の考え方に合わない結婚を強要された人(同性に対する思いがあるのに、異性との結婚を用意され、そこから逃げることが出来なかった人)がいたと思うのです。けれど、声を挙げられなかった。仮に、親に打ち明けられたとしても、「なにを言っているんだ。黙っていなさい」と怒られたのではないでしょうか。ほんの少し前の時代の話です。自分の性の志向について声を挙げる、表現をする、想いを拡散するということが、現代、やっとできる時代になったと思います。当事者からすれば、「まだまだ」なのかもしれませんが。でも、今まで見えなかった人の想いというものが、やっと見えてきた時代(とき)なのだと感じます。

そういう思いや声を大切にしたくて、ちょうど一年ほど前になるかな、先輩に紹介してもらって二丁目に出かけ、LGBTの方々とお話をする機会を持ちました。いろいろな話を聞きました。「LGBT」や「LGBTQ」などと言いますが、その表現も、あくまで言葉としてあるだけで、彼ら彼女らのことを厳密に表現しているわけではありません。言葉では表現できないものです。お話をしていても、「私たち自身、なにがBで、なにがTなのか、分かりません。細分化することによって、ますますわからなくしてると思います」ということを聞かせてもらいました。それにしても、どうして彼ら彼女らが、非難・批判されなければならないのか。私にはわかりません。

「生産性がない」ということを言う国会議員もいます。けれど、里親制度が世間に根付いている海外の国では、同性どうしで結婚し、受精して出産するということはないけれど、理由あって親に育ってもらえない子どもたちを引き取って、里親として一定期間育てたり、実際の親子として関係を築いている方々がいます。「生産性」で人間を計って人間の価値を見定めるのではなく、里親の制度を整える、周知することが大事だと思いますし、国民も、里親制度についてもっと理解することを努めるべきだと思います。
「生産性」に重点を置いて物事を考えることの発展性のなさを思います。そこにのっかってはダメです。

そして、思います。
他者(ひと)を好きになることって、教わりましたか?
人と生まれ、年を重ね、やがて誰かを好きになる。
その、好きになる対象を、“普通”を口にする人は、“異性”だと思っているのでしょう。
けれど、異性を好きになる人も、「人間は、異性を好きになるべきなんだよ」なんて教わって異性を好きになった人なんていないでしょう。
あるとき、誰かのことを好きになる。異性を好きになる人もいれば、同性を好きになる人もいる。誰も好きになることが出来ない、という人もいることでしょう。
答のないことを、答えは人の数だけあることを、あたかも「これが答えだ。そこから外れる者は間違っている」と押し付けることは、とても危ういです。

今日の文章は、2時間以上かけて、書いては消し、消しては書き、しています。ダラダラした文章になってしまいました💦

あぁ、彼のメッセージは潔く格好良く素敵だ! 感じていること、伝えるべきことが明確・的確に表現されている!
このような文章を、私も書きたい!

EXIT りんたろー。さんのTwitterより
ポコチンついて生まれたら男とか、ついてない人しか愛しちゃいけないとか古いつーかダサくねぇ嬉し泣き?LGBTって4種類じゃないし口を開けた笑顔寄り添ったり理解しなくてもいいかもだけど、社会が心や体の状態で自由奪うのマジチャラくない無表情誰しもが当たり前にキスしたり素敵な人を素敵と言える世の中ヒュイゴーだべ投げキッス

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