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2020年9月28日 (月)

自分の思いに対する陶酔が、他者を苦しめている

「東京新聞」(2020年9月28日朝刊)

「本音のコラム」 飲酒運転 宮子あずさ(看護師)

 元アイドルグループの男性が飲酒運転で事故を起こし、現行犯逮捕後釈放された。この事件の報道で気になるのは、男性がアルコール依存症であると決めつけている点だ。以前にも飲酒に起因する事件があったにせよ、断定的な報道は行き過ぎだと思う。
 現在アルコール依存症で療養している人やその家族は、こうした報道をどのように感じるだろうか。憶測で決めつけられ、非難され続ける。そんな社会に、依存症からの立ち直りを支える体制があるとは思えない。回復の芽が摘まれないか、心配でならない。
 厚生労働省のe‐ヘルスネットによれば、飲酒運転検挙経験者の半数以上が多量飲酒者。アルコール依存症の割合も非常に高い傾向がある。よって、飲酒運転の背景にはアルコール依存症が潜在している可能性は、確かにある。だからこそ興味本位ではない、慎重な対応が必要だ。
 アルコール依存症の治療は、まず自分が依存症であると認める所から始まり、最終的に、自助グループといかに繋(つな)がれるかにかかっている。個人を責め、恥をかかせるやり方は社会と繋がりを断ち切り、当事者の孤立を深めてしまう。
 飲酒運転による悲惨な事故は後を絶たない。これをなくす一助としても、アルコール依存症からの回復を促進する社会でありたい。

「断定的な報道」は、つまり真実ではない。

真実ではないことを、「報道」の名を借りて、特定の人間をクローズアップして デカデカと 長々と ヅカヅカと伝えるのはいかがなものだろう。

元アイドルグループの男性は、もはやアルコール依存症のレッテルが貼られてしまっているので、「また やったんだ」「まだ アルコール依存症から抜けられないんだ」という、落胆にも似た声をあびせられてしまいます。

けれど、前も書いたけれど、「依存症」から抜け出すのは大変なことだし、「弱い人間だから」といった、その人の人間性そのものを否定するのも違うんじゃないかと思う。

レッテルを貼られた当事者やその周りの人びとにすれば、より肩身の狭い思いをさせられてしまう。

それでも、「あなたが悪いことをしたからだ」と、指をさし続けますか。

また、「真実ではないことを、」という意味では、俳優の自死が相次ぎ、昨日も「女優の○○さん死去。自死か」と、速報の段階で「自死か」と報じられました。

そのことに違和感や憤りはありませんか? (私はありました)

今までは、死因がわからなかったり、たとえ自死であることが明白であっても、「死因は究明中(捜査中)」とか「死因は現段階では不明」などと報じていませんでしたか?

最近は、「自死」であることが分かっているかのように報じますが、この流れはなんなんでしょう。

著名人の自死は影響を及ぼすため、報道はより慎重に、と言われているにもかかわらず、今日もまたワイドショーでは自死をセンセーショナルに取り上げています。

知らないこと、分からないこと、不可解なことを知りたいと思うのは、人間の常です。

その気持ち自体は、生きていくうえで失ってはいけない思いでしょう。

けれど、自分の知りたさを埋めるために、他者の過ちや死を、他者を貶めるかたちで、或いはセンセーショナルに取り上げるというのは、悲しい出来事ではないでしょうか。

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