« 「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想⑪(了・・・のつもり) | トップページ | 同朋 »

2020年9月21日 (月)

「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想⑫

2020年も秋彼岸を迎えています。

春彼岸も、お盆も、新型コロナウイルス感染を避けるため、お参りを控える方も多かったです。

この秋。決してウイルスが収束したわけではありませんが、GO TO トラベルはあるは、大人数の観客収容施設での入場者数拡大はされるは、しかも一般的には4連休!ということで、多くの方が移動されているようです。

秋彼岸のお参りも、今年の春彼岸やお盆に比べて、多くの方がお参りされている印象です。

さて、玄関で、皆さんのお越しをお待ちしている間、外の景色を眺めながら、こんなことを考えていました。

 ☆ 

南無阿弥陀仏の念仏は、「いつでも、どこでも、誰でも」できることです(‐人‐)

さて、法事の場、聞法の場などで「一緒にお念仏申しましょう」「一緒に三帰依文を拝読しましょう」など、「一緒に」ということを言います。

一緒に・・・

あ! 念仏は、一緒に称えることができるものなんだ! と、気付きました。

つまり、念仏は「いつでも、どこでも、誰でも」プラス「一緒に」できるものなんです!

寝ても起きても、嬉しいときも悲しいときも、日本でも海外でも、一人淋しさのなかにある部屋でも大勢でワイワイしている場でも、国籍も性別も貧富の差も性に関する思いの相違も思想の違いも宗教の違いも気にせず誰でも、仲がよかろうが悪かろうが一緒に「南無阿弥陀仏」と称えられるものなんです!

南無阿弥陀仏の普遍性・平等性は、「いつでも、どこでも、誰でも、一緒に」というところにあります。

そういうことを、秋彼岸のお参りに来ている人びとの姿を見ていて感じました。

南無阿弥陀仏

 ☆

昨日の投稿で、『「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想⑪(了・・・のつもり)』と書きましたが、
さっそく「随想⑫」になってしまいました。

それもまた善哉善哉(‐人‐)

« 「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想⑪(了・・・のつもり) | トップページ | 同朋 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想⑪(了・・・のつもり) | トップページ | 同朋 »

フォト
2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

西蓮寺ホームページ

無料ブログはココログ