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2020年9月 3日 (木)

便利さの陰で

アメリカ大統領選、民主党候補のバイデン氏が、任天堂switch「あつまれ どうぶつの森」を活用して選挙運動を展開、という記事を目にする。

日本では、まだ考えられないような選挙運動。

けれど、SNSの活用などネットを使った選挙活動が広まり、投票もネットでOKという時代(とき)が来るかもしれない。

現代(いま)は、「ネット環境の安全性やセキュリティは大丈夫なの?」という意識が先に立つけれど、そのうち克服されていくのだろうか。

また、「あつ森」を、現実世界で既に友だちである子とのコミュニケーションの場として楽しんでいる人、日常と非日常を意識的に切り離して遊んでいる人にとって、選挙運動、つまり生活に直轄する事柄をゲームの世界(“バーチャルの世界”と書こうとしたけれど、「あつ森」がバーチャルではないなぁ、半仮想 半現実かなぁ)にまで持ち込んでほしくない人も多数いることだと思う。そういう意味で、ゲームの世界に選挙運動を持ち込むのは、セキュリティの問題とは違う課題があるような気がした。

とはいえ、選挙運動がネットを活用した方向に行くのは目に見えているので、なし崩し的に なんでもありになったり、相手を誹謗中傷する方向に進んだりすることのないように願うばかりです。

「ドラえもん」で、のび太君はドラえもんから便利な道具を出してもらいながら、調子に乗って失敗するというのが、典型的な話の流れです。

そんな のび太君を嫌う人も多いそうですが、のび太君は、私たち人間を象徴しています(確か、原作者の藤子不二雄先生も、そういうことをインタビューで応えていた記憶があります。あくまで、私の記憶ですが)。

便利な道具があっても、それを使うのは人間。

人間は、調子に乗る者、過つ者、失敗する者。

私たちの身の回りにも、便利な道具は多々あります。日々出てきます。

さて、私たちは道具を上手に使いこなしているでしょうか。振り回されてはいないでしょうか。

バイデン氏のニュースを見て、「ドラえもん」を思い出し、そして ふと思いました。

「ドラえもん」の話は、のび太君のハッピーエンドで幕を閉じてはいません。

ストーリー上、しずかちゃんと結婚した話はいくつかありますが、「ドラえもん」の最終話として のび太君のハッピーエンドが描かれたわけではありません。

「ドラえもん」の性質上、新しい道具が思い浮かぶ限り、いつまでもストーリーは描き続けられます。

けれど、のび太君の孫の孫(でしたっけ?)のセワシ君が、未来からタイムマシーンに乗って、のび太君の前に現われて、(セワシ君)自身の不遇を改善するべく、おじいちゃんのおじいちゃんの のび太君の生涯を良い方向に持って行こうとする。そのために、ドラえもんにのび太君の世話をさせるという出発点。

その出発点に対する終着点を、作者は描こうと思えば描けたはず。けれど、そこまでは描いていない。

「ドラえもん」担当の藤子・F・不二雄先生が、1996年9月23日に62歳で亡くなられました。恐らく、まだまだ「ドラえもん」の世界を描いてこうと思われていたことでしょう。

でも、のび太君(いや、セワシ君か)のハッピーエンドといったストーリを描こうとは思っていなかったことと察します。

のび太君とドラえもん、その周囲の人びとの日常を描き続けたんじゃないかなぁ。

つまり、「ドラえもん」は、便利な道具によって明るい未来が切り開かれていく!ことを描いたものではない。

道具や機械、つまりそれは便利ということ。

便利さに溺れると、元々の目的を見失うよ、大切なものを失うよ、なにが本当の自分かわからなくなるよ。

そういうことのメッセージだと感じます。

「あつ森」の選挙運動もほどほどに👋

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