« 「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想① | トップページ | 「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想③ »

2020年9月 8日 (火)

「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想②

“阿弥陀”とは、アミターユス(無量寿) アミターバ(無量光)

 

無量寿

私が生まれるには父と母がいて、その父と母にも それぞれ父と母がいる。

私ひとり生まれるために、どれだけの人がいたことだろう。

誰か一人欠けただけで、どこか一組カップルが違うだけで、私は生まれていない。

生涯とは、ひとり一人の生い立ちだけを表わしているのではない。

今まで生きた人、私、これからを生きる人。生涯は、全生命を貫いている。

不思議な(人間の思議を超えた)いのちを生きている。

私へとつながる縦の糸。

 

無量光

私が生きるには、食べ物を作る人がいて、着る物を作る人がいて・・・

どれだけの人の手を煩わせていることだろう。

その人の苦労がなかったならば、あの人の想いがなかったならば、私は生きていない。

生涯のうちで、直に出会う人びととだけ、私は関係を結んでいるのではない。

実際に出会うことのない人びとと関係を結びながら、今、私はいる。

不思議な(人間の想像を超えた)いのちを生きている。

私を生かす横の糸。

« 「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想① | トップページ | 「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想③ »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想① | トップページ | 「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想③ »

フォト
2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

西蓮寺ホームページ

無料ブログはココログ