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2020年9月11日 (金)

「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」随想➄

「縦の糸」と「横の糸」と表現しました。

「糸」、あるいは「線」をイメージするとき、始点と終点があります。

けれど、「線」には本来、始点も終点もありません。

いのちの縦糸と横糸に、無始より曠劫まで、始点も終点もありません。

 

「縦の糸」と「横の糸」で織りなされた、衆生(生きとし生けるもの)という織物。

始点と終点のない糸で織りなされた織物に、際(きわ)はありません。

人間の想像を、想いを超えた 衆生という織物。

悲喜こもごも、さまざまな糸で織られた、際のない織物。

 

阿弥陀の慈悲も際がありません。

ここまでは救い、ここからは救わない、

念仏称える人を救い、称えない人は救わない・・・なんてことはありません。

衆生はすべて、阿弥陀の救いのなかにある。

 

衆生を表わす織物

阿弥陀を表わす織物

衆生(生きとし生ける者)の織物と阿弥陀の織物は、別々のものではなく、ひとつの織物でした。

 

だからこそ、有限ないのちを生きる衆生に、無限な阿弥陀を想い南無できる。

無限な阿弥陀の慈悲にふれて(南無阿弥陀仏と念仏を称えて)、有限ないのちの意味を知る。

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