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2020年8月12日 (水)

いま、ここ、わたし

今日も暑いですね🌞

朝、6時30分に外掃除に出る段階で、かなりの暑さでした。

昨日は、子どもたちからホースで水をかけられてビショビショになりましたが、

今朝は、吹き出す汗でTシャツもズボンもマスクもビショビショになりました。

元々汗っかきではありますが、ここまで汗が吹き出すことも珍しく、桁外れの暑さを味わいながらの掃除でした。

今朝は、「リンゴ日報」の黎智英氏はじめ、周庭さんらが香港警察から保釈されたことが報じられ、とにかくホッとしました。

黎氏、周庭さんらの身の安全を願わずにいられません。ですが、彼らの身に起きていることは、彼ら自身の問題なのではなく、私自身が、我が身に起こり得ることとして受け止めなければいけないことです。自分の住む国の権力者の動向に関心を持ち、それを支持しようと おかしいと思おうと それは個々の主義主張の話だけれど、民主主義とは何か? 何をするのが民主主義なのか? 平和とはどういう状態を言うのか? 平和のために私は何をすべきか? といったことを、常に考え続けることが大切なことです。黎氏や周庭さんの願いも、そういうところにあるのではないかと思います。

昨日の、重たい気持ちを背負いながら書いた投稿の後、シモーヌ・ヴェイユ(1909年~1943年)という哲学者の言葉に出会いました。

彼女は彼女の両親はユダヤ系です。1932年にドイツではナチスが第一党になっています。ナチスの政策に対する違和や問題点を感じていたことと思います。

『自由と社会的抑圧』(1934年著)
 現代とは、生きる理由を 通常は構成すると考えられているいっさいが消滅し、すべてを問い直す覚悟なくしては、混乱もしくは無自覚に陥るしかない、そういう時代である。権威主義的で国粋主義的な運動が勝利して、およそいたるところで、律儀な人びとが民主主義と平和主義に託した希望がくずれさっているが、これもまた、われわれを苦しめる悪の一部にほかならない。悪は、はるかに深く、はるかに広く根をめぐらせる。(冨原眞弓訳)

まさに、現代社会を言い当てている文章のようにも感じられて、驚きました。

今まで当然と思っていた事柄が、ことごとく崩れ去る世の中にあって、“今までと同じ”を求め続ける者には、現状は混乱を招いています。あるいは、現状に不満や不安を抱く者は、自分の意に反する者への嫌悪感を強く抱き、攻撃的になります。そのことに対する恐怖は、攻撃的になった人間の攻撃性そのものよりも、攻撃的になっていることの無自覚性にあります。“私は正しい”という思いが他者に牙をむくとき、“私”のやっていることに対する疑問や葛藤や逡巡はなく、無自覚です。無自覚の攻撃性・凶暴性ほどやっかいなものはありません。そんな時代は、権力に対する帰依心や、偏狭で根拠のない “日本ってすごいでしょ” “日本人ってすごいよね” という考え方が多数派となり、民主主義って本当はどうあることを言うんだろう? 平和主義って、そうあるために私たちは何をするべきなんだろう? と一所懸命に願い、考え、共にあろうとする人びとを蹂躙し、傷つけていきます。すべての人々とともにありたいという希望を、その“すべて”に入っている者が否定・破壊しているのです。このような現在の人びとの動向が、自身を、すべての人びとを苦しめている悪の根っことなっています。この悪の根っこは、深く、広く張り巡らされています。

そのように読めました。

離れた地、香港の話ではなく、

ナチスがドイツで権力を持っていた頃の話ではありません。

現代(いま)、日本(ここ)、わたしの身に起きている話です。

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