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2020年7月 3日 (金)

世の中はレシピ通りにはいかない

2020年7月3日(金)テレビ番組、TOKYO MX「モーニングCROSS」視聴。

今朝のゲストは、網屋信介さん (了徳寺大学客員教授/元衆議院議員)と中嶋涼子さん(車いすインフルエンサー)。

番組内オピニオンクロスのコーナーでは、ゲストの方が、自身の専門分野の知見から現代社会で起きていることを解説します。

中嶋涼子さんは、9歳のときに突然歩けなくなり、原因不明のまま下半身不随になり、車椅子の生活をされるようになりました。車椅子インフルエンサーとして、車椅子生活者の視点から、社会にメッセージをはっしていらっしゃいます。

今朝は、「障害者を一括り(ひとくくり)にしないで」というテーマでお話をされました。

録画していないので、彼女の正確な文言は記せません。以下の文章は、彼女の話を聞いて、私なりに受けとめたことを書きました。

私たちは、「障害者」といったとき、思い浮かべるイメージがあるのではないでしょうか。

中嶋さんのように車椅子に乗っていれば、「あ、障害を持っておられるんだな」と認識します。

見た目で判断しているところがないでしょうか?

けれど、見た目では分からないけれど、障害を持ってられる方もたくさんいます。

モーニングCROSSに度々出演されるゲストの方が、心の病を患いました。

ある場所に出かけ、車椅子の絵の描いた駐車コーナーに車を停めていたところ、注意を受けたそうです。

テレビで拝見するかぎり、自分の意見をハッキリと語られるので、外見上は健常者と変わりありません。

障害者ではないのに、停めてはいけないところに駐車した!と、注意した人には見えたことでしょう。

けれど、外見では分からない障害もあるのです。

車椅子に乗っている人も、まったく歩けなくて車椅子に乗っている人もいれば、からだが疲れやすい病気ゆえ、体力温存のために車椅子を利用する方もいます。必要な時には立って歩くことができます。けれど、そういう病気だということを知らない人からみれば、「歩けるのに、なんで車椅子乗ってんだよ!」と思うことでしょう。

中嶋さんのお母さんが、中嶋さんを乗せて運転し、車椅子の絵の駐車コーナーに車を停めます。でも、彼女が仕事や買い物の為に車を離れれば、お母さんは、健常者にもかかわらず車椅子の絵のスペースに車を停めている人がいる!と見られてしまいます。実際、怒られたこともあるそうです。

見た目だけの判断では、障害者なのか健常者なのか分からないことの方が多いのです。

けれど、私たちは、自分のなかのイメージで判断してしまい、障害を持った方にきつく つらく当たることがあります。

「障害者」というひと括りで見るのではなく、ひとり一人みんな違うという見方をしてほしい、ということをお話されていました。

(注)私の記憶で書いています。中嶋さんが言おうとしていたことと違うかもしれません。また、文章の表現上「障害者」「健常者」という言い方をしましたが、私は、そのような区別はないものだと考えています。誰もが日によって体調が違うように、ひとり一人の体調やからだの特徴も違います。けれど、それは決して障りとなるものではありません。今日の文章を読んで、不快に感じられる方もいるかもしれません。申し訳ありません。

 ☆ ☆ ☆

今朝、モーニングCROSSで、中嶋涼子さんのお話を聞きました。

昼間、今週号の『週刊金曜日』(1287号)を読んでいたら、中島岳志さんの文章に出会いました。

料理研究家の土井義晴さんと対談させていただいた。土井さんは、料理番組などでレシピを提示しながら、レシピを解体しようとする。食材は、収穫されてからの時間や季節、保存方法などによって状態が異なる。食材に触れたり、見たりしなければ、料理方法を決めることができない。均一化された分量や火加減を提示することには意味がない。設計主義を超えて、自然と交わることの重要性を説く土井さんに、多くのことを気づかされた。家食からポストコロナの世界観を考えたい。

中島岳志さんと土井義晴さんの対談って、先ずその設定が面白いなと思いました。

料理番組や料理本では、料理のレシピが表示されます。

けれど、食材自身の体調(^^)によって、調味料の分量や火加減、適した料理法は変わります。

体調を読みとる 感じ取るためには、実際に触れたり、見たり、嗅いだり、あるいは少しかじったりしなければ分かりません。

ですから、料理番組としてレシピは提示しますが、食材を知ることもせずにレシピに忠実であってはならない!と、土井先生は教えてくださったのだと思います。

料理の食材に限りません。

「この方は、障害があるから、このように接してあげればいいのね」

「この方は元気そうだから、自分でできるわね」

などと、型にはめた対応では、目の前の人を思っていることになりません。

自分自身のことを思い返してみても、一日のうちで体調の変化や気持ちの変化があります。

天気によっても変わりますし、人間関係によっても変わります。

たった一言で元気をもらうこともあれば、傷を負うこともあります。

「あの人は障害があるから手伝ってあげなきゃ」

「あの人は自分でなんでもできる人だから、手を出してはいけない」

と決めつけるのではなく、(気安く触るわけにはいきませんから)顔色を見たり、お話してみたり、からだの動きを気にかけたり・・・その“人”を知るために、できることはたくさんあります。

私自身も、体調も気持ちも変わります。

自分のことで精いっぱいなときもあれば、お手伝いできるときもあります。

自分自身の事も、自分で自分を尋ねることを忘れてはいけませんね。

 ☆ ☆ ☆

今日は、中嶋涼子さんと中島岳志さんから、大切な気づきをいただきました。

設計主義とは、「社会とはこうあるべきだ!」とか「こうすれば良い社会になる!」とか、思い描く(設計する)ことです。

けれど、その設計図通りに事を進めようとしても、政治を行おうとしても、そこに生きる人びとを見なければ、知ろうとしなければ、

仮にどれだけ立派な設計図が描かれていたとしても(現代の政治が描いている設計図はろくなものではありませんが)、設計図どおりの物はできません。

人を見て、人を感じ、人を知り、設計図を見直す(レシピを解体する)ことが大切です。

ポストコロナ(コロナ収束後)の世界も、“人(いのち)”を感じ取りながらの生き方が求められます。

南無阿弥陀仏

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