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2020年6月16日 (火)

マイストーリー と アナザーストーリーで この世はできている 

NHK 朝の連続テレビ小説、今朝(6月16日)の「エール」を見ていて…

今週はアナザーストーリー(別のお話)企画で、本編のストーリーとは違うエピソードが放送されます。

昨日と今日は、10年前に亡くなった(ヒロイン、音の)お父さん 安隆が、あの世でのクジに当たって、この世に一泊二日の約束で還ってくるというお話。

新聞の予告で、昨日今日のあらすじを読んだときは、荒唐無稽な話を入れたなぁ!と思いました。今放送している「エール」は、実話を元にしているわけですから。

でも、こころ動かされるお話でした。

この世に還れることになって、お父さんは、長女 吟、次女(ヒロイン) 音を訪ねます(昨日のお話)

今日のお話・・・お父さんは、妻 光子と、一緒に暮らす三女 梅の前に姿を表わします。

梅は、文学大好きな現実的少女。自分が文学を教えてあげた、幼いときからの親友が、小説で新人賞をとります。表向きは受賞を喜びますが、内心は悔しい思いでいっぱいです。感情を表に出さない梅ですが、お母さんは娘の悔しさを感じています。

その話を聞いたお父さんは、「梅と話して来るわ」と言い、梅の前に姿を現わし、語り合います。

「俺は今日あの世に帰らなければならない。明日にはこの世にいない人間だ。誰にも言わない。思っていることを話してくれないか」と言う父に、梅は胸の中の悔しさを語ります。

「よく聞かせてくれたな。敗けを認めるということはつらいけれど、次への歩みにつながるんだぞ」と、父は語ります。

馬具造りの職人だった父は、自分の仕事に誇りを持っていました。けれど、自分の元で働く職人の腕前を見て、自分以上の仕事をする者の存在を認め、自身は馬具造りから退き、営業に専念した過去があります。

その姿を覚えている梅は、父の「敗けを認めるということはつらいけれど、次への歩みにつながるんだぞ」という言葉がスッと入ってきました。

「お父さんありがとう☺️」

その話を聞いて妻は「夕御飯食べてから還りなさいよ」と言いますが、安隆は「食べてると還れなくなるから…往くわ👋」と言って去って往きます。

そのときの光子(薬師丸ひろ子さん)の表情を見ていて、大粒の涙をこぼしてしまいました。

以上、昨日今日の大雑把で、私の記憶に則したストーリー(え、そんなだった?と思う方もいるかもしれませんが、そこは人それぞれの見方ということでご容赦ください)。

 ☆

「悔しい」とか、「悲しい」とか、「淋しい」とか、あまり口に出すもんじゃないなぁという意識が働くことがあります(よく、「日本人の美意識ゆえ」という人がいるけれど、そうなのかなぁ…)。

でも、誰かに向かって、「悔しい」「悲しい」「淋しい」って言うことができたとき、その悔しさ、悲しさ、淋しさは、今まで私が抱えていたそれとは、違うものとなる。

悔しいこと、悲しいこと、淋しいことに変わりはないのだけれど、口に出すことができたときに、まったく別の悔しさ、悲しさ、淋しさになる。

“誰かに向かって” 言うことができなくても、たとえ自分ひとりのときでも、口に出せたとき、やっぱり それらの内容は変わる。

弱い自分を認めるかのようだから、悔しさ、悲しさ、淋しさは表に出したくないのかな。

でも、悔しさを抱えている私、悲しさにあふれている私、淋しさに覆われている私であることを知っている私って、本当は強いのだと思う。

だからこそ、悔しい想いと共に、悲しい想いと共に、淋しい想いと共に生きられる。

自分が悔しいんだ、悲しいんだ、淋しいんだって、自分で分からなかったりする。

誰かに指摘されたり、誰かに言うことができれば、悔しくていいんだ、悲しんでいいんだ、淋しくたっていいじゃないか、って、自分で自分を認められる。

 ☆

アナザーストーリー(本編とは違うお話)を放送するのって、前回の「スカーレット」からだろうか。

「スカーレット」のときにアナザーストーリーが放送された際、「なんで?」「見たくない」「ネタが尽きたのか?」など、あまり評判がよくなかったような記憶があります。

今週放送のアナザーストーリーも、それぞれに感想はあることでしょう。

私は、このアナザーストーリーが大切だと、「スカーレット」のときに感じました。

ドラマが、主人公中心に描かれるのは当然です。

けれど、主人公が悩んだり 苦しんだり 楽しんでいたりしながら生きているそのとき、他の登場人物もまた、楽しんだり、迷ったり、苦しんだりしながら生きています。

主人公と同様に悩んでいる人もいます。

主人公が悩んでいることを、いい気味だといってほくそ笑んでいる人もいます。

主人公と膝を突き合わせて悩んでいたけれど、家に帰れば、またその人にはその人の苦楽が待っています。

主人公が家族と一緒に食卓を囲んでいる時に、ひとり泣きながらお酒を飲んでいる人もいます。

同じ瞬間(とき)に、ひとり一人の人間が、それぞれの行動をし、それぞれの想いに揺れ、それぞれの生き方をしています。

アナザーストーリーは、そういう様子を描いているような気がして、本編の途中で 主人公以外の登場人物の姿が描かれるのって深いなぁと思います。

 ☆

私が悔しがったり、悲しんでいたり、淋しい想いをしているとき、

悔しい想いをしている人、悲しい想いをしている人、淋しい想いをしている人がいます。

南無阿弥陀仏

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