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2020年6月19日 (金)

何を守りたい 誰を守りたいのか

小中学校の登校が始まって、子どもたちが学校に通い始めました。

はじめは分散登校の学校も多く、クラスの半数ずつが登校して、密にならないように工夫されています。

けれど、そろそろ分散登校での様子見も終わり、全生徒が従来通り学びの場に集まるようになってきました。

他の人と実際に会いながら、会話をしたり、授業を受けたり、登下校したり、大切な時間が戻ってきました。

「三密を避けるように」など、大人目線で決めたルールは、子どもたちに押し付けられるものではありません。

もちろん、新型コロナウイルスに感染しないために気を遣うことは、子どもたち自身もしなければなりません。

けれど、密を避けて! 他の子と2メートル距離をとって! 〇〇をさわらないで! 〇〇を触ったときはその都度手を洗って! 等々、子どもたちにそこまで強要できるでしょうか。果たして大人もそれほど気を遣っているでしょうか。

どうも、新型コロナウイルスに罹患することが悪いことであるかのような思いが植え付けられているような気がします。

罹患は悪ですか?

病気に罹ることに対する恐怖以上に、罹患した時の周りの目に対する恐怖心が勝っているのではないでしょうか。

岩手在住の友人も、「県内初の感染者になったら、何を言われるかわからない」と、そのことを恐れていました。

疫病の流行る時代は、人類史上 度々起こっています。

親鸞聖人の頃も、蓮如上人の頃もありました。

お朝事で「正信偈」を読んでいて・・・

「五濁悪時群生海」と、「五濁(ごじょく)」という言葉が出てきます。

「五濁」とは、「世の濁り」のことを言います。

「劫濁(こうじょく)」「見濁(けんじょく)」「煩悩濁(ぼんのうじょく)」「衆生濁(しゅじょうじょく)」「命濁(みょうじょく)」の五つです。

「劫濁」は「時代の濁り」…疫病・飢饉・戦争・動乱など、世の乱れです。

「見濁」は「ものの見方や考え方が濁っている」ということ。濁ったものの見方・考え方が世にはびこっていることです。

「煩悩濁」は「煩悩による濁り」。貪り(むさぼり)や憎悪の感情がむき出しになる状態です。

「衆生濁」は「衆生(人びと)の濁り」。人びとのこころのあり方が、心身共に濁っている状態です。

「命濁」は命そのものの濁りではなく、「命を軽んじるものの見方」です。

説明のため5つをれぞれの説明をしましたが、「違いがよく分からない」「これとこれって似てない?」と思われたかもしれません。

重なりあう濁りもありますから、「5種類の濁りがある」ということではなくて、人の心身の濁りが、こうも見えるし、ああも見えるということと思ってください。

それにしても、「五濁」の世というのは、その濁りの元を生じているのは、人間だということを表わしているのですね。

「劫濁」は疫病・飢饉・戦争・動乱などによる時代の濁りと書きましたが、疫病・飢饉・戦争・動乱によって濁っているわけではありません。

疫病が流行ったときに、罹患した人や医療従事者を差別する・・・正に群生(人びと)の濁りです。

飢饉も、物が不足すれば買いだめ買い占めに走るのが私たちです。その姿もまた、このコロナ禍に目の当たりにしました。

戦争・動乱の種も、人間がまいています。

中国とインドの国境付近での衝突。朝鮮半島の情勢悪化。政治に携わる者が、コロナ禍の対応に対して責任追及される非難の矛先を変えるため、コロナだけでも大変なこのときに紛争をしかけています。理由はひとつではないのでしょうが、争いというのは、政治家が自分への非難を他に目を向けさせるためにも起こすこともあるのですね。恐ろしいことです。

つまり、五濁というのは、人間の姿です。

五濁の世と、世の中が平穏な五濁ではない世がある・・・のではなくて、「人の生きる世」は常に「五濁の世」です。

 ☆

新型コロナウイルスに限らず、人びとが罹患しないために作られたルール。

そのルールを守ることは大切ですが、ルールも万能ではありません、ルールを守っていても罹患することもあります(ルールを守らなくても罹患しない人もいます)。その人の意識の問題とは別に、ルールを守れない人、守れる状態にない人もいます。

ルールあるがゆえに罹患者を貶めるようなものの見方(「あの人はルールを守らなかったんだ」)をしてしまうのであれば、ルールがあってもなくても同じです。

新型コロナウイルスが流行り、マスクや除菌スプレーやティッシュなどの買い占めが起こり、罹患者や医療従事者を貶めるような行動が横行し、今まで積み重なってきた差別心がコロナ禍のイライラと重なって爆発している。

五濁の世が分かりやすい形で見えています。

病気に罹らないことを目的にすると、病気に罹った人、そういう場を作った人への憎悪を生み出してしまいます。

誰もが病気に罹りうるという前提を私たちが忘れているならば、どんなに完ぺきなルール・約束事・条例・法律を作っても、他者を叩く材料にしてしまいます。

南無阿弥陀仏

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