« 必要とされてきたから、今、あるのです | トップページ | 市民の誇り »

2020年6月13日 (土)

コモンの解体

パブリックな人 内田樹

(前略)
 「コモン」というのは「入会地(いりあいち)」のことである。誰の所有物でもなく、誰でも利用できるひろびろとした場所のことである。昔はそういうところで人々は自由に牛や羊を放牧していた。でも、「囲い込み」が行われて(今で言う「地上げ」である)、誰でも使うことができた土地は「私有地につき立ち入り禁止」になった。行き場を失った自営農たちは貧困化して都市プロレタリアとなって、産業革命のための労働力を供給した、と世界史では習った。
 「コモン」の私有地化は資本主義を加速する。だから、私たちは「自分らしさ」を誇示し、「自分の能力」や「自分の成果」をうるさく言い立て、「自分の割り前」を要求し、「パーソナルスペース」への他人の侵入に憤激するようになった。今の人は公共財を他人と共有して、適切に共同管理する技術をもう持っていない。必要ないと思って捨てたのだ。
(後略)
 (『暮らしの手帳』第6号(2020年6‐7月号)より)

昨日 一昨日と、「東京新聞」のコラムを紹介させていただきました。
文化や芸術は、すべての人々のために平等にあるはずのもの。にもかかわらず、権力者は文化や芸術に公共性を見ず、民衆の側も、決してすべての人が受け入れているわけではない。お金の分配、ということになったら、文化や芸術は二の次にしてしまう。
本当は「文化や芸術やスポーツ」と書こうとした。けれど今は、オリンピック・パラリンピックが来夏に控えている(開催されるのかされないのか、現時点では分からないけれど)。政治に関わる者は、今はスポーツを、オリンピック・パラリンピックを大事なこととして位置付けているから助成をしてくれる。けれど、目の前に大きな大会がなければ、関心すら示さないだろう。オリンピック・パラリンピックの競技ではないスポーツに対しては、見向きもしないだろう。民衆も、特定のスポーツや選手にお金を使うことを、必ずしも良しとは思っていない。だからこそ、メダルの色という対価を求める。

無形のもの、才能に長けた人やその才能自身に対する目は、実はかなり厳しい。
恩恵を感じたときには「感動しました」「おかげで元気が出ました」「私も頑張ろうと思います」などという声が挙がるが、それは、なんらかの形で結果が出たときの話。
結果とか、恩恵とか、対価とか関係なく、共有することは、かなり難しい。

「それが人間」と言ってしまえばそれまでだが、内田樹さんの文章を読んでいて、「コモン」の喪失が大きな原因か!?と思った。
「ここは私の土地だ」などと言われることなく、本当に場を共有していたとき、場を共有する誰かが、(文化でも芸術でも体を動かすことでも)何か大きなエネルギーを発しているとき、自然に我がこととして受け入れられたのではないだろうか。

しかし、「コモン」が解体し私有地化され、支配と被支配の関係ができ、共有するものを喪失し、結果、少しでも自分の取り分を多くするための主張が始まったのではないだろうか。そこに、共有という感覚はない。

だから、

現代人の、
結果を出した英雄を讃え、
ミスを犯した人間を執拗なまでに叩く姿の原因が、コモンの解体にはじまったのだと感じた。

« 必要とされてきたから、今、あるのです | トップページ | 市民の誇り »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 必要とされてきたから、今、あるのです | トップページ | 市民の誇り »

フォト
2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ