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2020年6月25日 (木)

人と出会って生きるということ

【天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)】

 天にも地にも、ただ私はひとりにして尊し。

【身自當之 無有代者(しんじとうし むうたいしゃ)】

 私はこの身を生きています。私のいのちと代わる者は、誰もいません。

【独生 独死 独去 独来(どくしょう どくし どっこ どくらい)】

 人は、生まれるときも独り(ひとり)
 人は、死ぬときも独り。

 ひとり生まれ、ひとり死に往く。

 ☆

上記3つとも、お釈迦さまのことば。

わたしは、ただ一人のわたし。誰も代わる者はいない。尊いいのちを生きている。尊いいのちを尽くして生きる。

お釈迦さまのことばをいただき、「ひとり」という身の尊さを教わる。

けれど、その「ひとり」とは、「ひとりだけ」ということではない。

わたしは、ただ一人のわたし。誰も代わる者はいない。この人も、あの人も、その人も、みんな誰も代わる者のいないいのちを生きている。生まれ、生き、生きているなかで多くの人に出会い、そして死に往く。その出会いがなかったならば、誰も代わる者のいないいのちだなどと知ることもない。ひとり生まれ、ひとり死ぬなんてことも考えもしないだろう。わたし以外の誰かがいるから、わたしを知ることができる。わたし以外の誰かも、わたしがいるから、私を知ることができる。

ひとりだから尊いのではなくて、同じひとりだから尊い。

ひとりだと何も知り得ないけれど、同じひとりがたくさんいるから、ひとりを知り得る。

生きているということは、他のひとりと交わりながら生きているということ。

楽しいこと、嬉しいこともある

面倒くさいこと、悲しいこともある

それが、ひとり ひとり と交わるということ

この人も あの人も その人も 私との交わりを通して、わたしを感じているかもしれない

お釈迦さまは、ひとりを説きながらひとりだけを説いたのではなく、ひとりを説きながら生きとし生けるもののことを説いたんだなぁ

今日のお朝事中、そんなことを ふと想う

どんなに謝ったって、どうしようもないけれど、

ごめん ありがとう

「ごめん」と「ありがとう」って、みんなが「ひとり」を生きているからこそ出てくることばなのだと知った

南無阿弥陀仏

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