« 嫉妬心や、他を羨む(うらやむ)気持ちは、私が私を認めていないところから生じる | トップページ | 念仏相続 »

2020年6月28日 (日)

縁で結ばれていることを抜きにして生命観を考えると、核心を見失う

「東京新聞」2020年6月28日(日)朝刊 「時代を読む」より

営みを守り合う生命観  内山節(哲学者)

 数年前に「合成の誤謬(ごびゅう)」という言葉が流行ったことがあった。元々は経済学用語で、一人一人の判断としては間違っていなくても、全員が同じ行動をとると誤りになる、というような意味である。たとえば将来が不安だからと、節約と貯蓄に励むことにしよう。

 一人の判断としては間違っていない。ところが全員がそうするとどうなるのか。物もサービスも売れなくなって経済は不況に陥り、そのことによって収入の減少する人が続出すると、社会全体としては総貯蓄額も増えない、という現象が生まれてしまう。

 企業活動でも同じことだ。利益をふやすために低賃金で雇える人をふやすのは、一企業の経営としては合理性があるのかもしれないが、すべての企業が同じことをすれば、格差社会が広がるだけでなく市場も縮小し、最終的には各企業の経営も苦しくなる。

 新型コロナウイルスとともに暮らした、この数カ月の間に発生した現実も同じようなことだった。感染を防ごうと家に閉じこもり、自粛を重ねるのは、一人一人の判断としては間違っているとはいえない。だが全員がそれを実行すれば、私たちの社会が維持できなくなっていく。

 なぜこのようなことが起こるのかといえば、「合成の誤謬」という考え方には、ひとつの欠陥がふくまれているからである。それは人間や企業などを、社会的結びつきのなかにある存在としてとらえていないことにある。つまり、独立した単体としてみている。独立した単体としては都合のいい行動が、社会全体としては不都合な行動になるという考え方が、「合成の誤謬」という論理にはある。

 だが、本当は、個人も企業も単体では存在していない。さまざまな社会的結びつきのなかで、自らを維持している。とすれば、自然をふくめた社会の維持が、自分をふくむすべての活動の生命的基盤だということになる。

誤解を恐れずに述べてしまえば、現在よく語られている感染症防止か経済かという議論は、現実に問われている問題の核心を突いていない。大事なことは直接、間接に結ばれている社会の維持であり、感染防止も経済も核心的な目的ではないのである。もちろん爆発的な感染は防がなければいけない。なぜならそれが起きてしまえば、医療崩壊が起きるなどして、私たちの社会維持が困難になってしまうからである。経済活動も同じことで、経済を目的化してしまうと、インバウンド経済への未練から、感染初期に国境封鎖ができず、政府が対応を誤ったように、これからも失敗がくりかえされるだろうさ。私たちの目的は社会維持であり、経済はそのための道具にすぎない。社会を維持するには、いろいろなことに配慮しながらも、人々の営みを守り合うことが必要だ。それは結果的には経済活動に繋がって(つながって)いくとしても、目的は維持の方にある。

 社会を維持するとは、直接的、間接的に結び合っているつながりを維持するということである。なぜそれが必要かといえば、人間もまたこのつながりのなかで、生命をたえず再生産しているからである。

 コロナウイルスは、生命を独立したものとしてのみとらえる現代の生命観に、変更を迫っているのだろう。独立した生命の基盤には結ぶ合う世界があるという生命観に、いま私たちは立ち返ってみる必要があるのかもしれない。

 

一人一人の判断は間違っていなくても、みんながみんな 同じことを行えば、崩壊が生じる。

なぜならば、人間は、企業は、自然は、それら内部のひとつひとつが単体で生きているわけではないから。

直接的 間接的含めて、みんなつながっているから。

決して間違っているわけでも、誰かを貶めようとしているわけでも、法を犯しているわけでもないけれど、

もしかしたら、それだからこそ、

みんながみんな同じ方向に走り出して、道が陥没したり、狭い空間に詰まってしまったり、空気が薄くなったり・・・そんなことが起きているのかもしれない。

コロナウイルスに罹患した人への差別、黒人差別、難民差別、民族差別、現代(いま)、差別が横行している。

(いまに始まったことではないけれど)

自分の身分や地位や優位性を守るために、他の誰かを貶めるのだけれど、

つながりあって生きているいのちを貶めるということは、自分自身を貶めていることでもある。

差別は、他者(ひと)を傷つけるだけでなく、実は自分自身の尊厳をも傷つけている。

そのことに気づかないで、自身の優位性を保とうとする矛盾。

 ☆

「現在よく語られている感染防止か経済かという議論は、現実に問われている問題の核心を突いていない」

今日、内山先生の文章を紹介させていただいたのは、この一文に感銘を受けたから。

専門の知識を持った人が、けっこうな人数集まり、時間をかけて話し合っている。

現代(いま)は、二者択一的な議論をしがちだ。

そもそも正解などないなかで、100点満点を目指そうとして0点を取ってしまうようなものだ。

感染防止も経済も大事だ。医療崩壊は避けなければならないし、経済も回さなければならない。

けれど、感染防止、あるいは経済を「目的」にしてしまうから、「どちらを選ぶか?」という議論に終始してしまう。

内山先生は「社会の維持」と表現されている。

「社会の維持」も、目的化してしまうと、水掛け論にひたってしまう。

これからのための「社会の維持」ではなく、

今、私がいるのは「社会の維持」が為されてきたからである。という、これまでの視点を忘れてはならない。

「さまざまな社会的結びつきのなかで、自らを維持している。とすれば、自然をふくめた社会の維持が、自分をふくむすべての活動の生命的基盤だということになる」

この文章も、そうだなぁとうなづいた。

こういう感覚の欠如が、差別へと結びついてしまうのだと思う。

 ☆

営みを守り合う生命観

守り合いながら営みを続けてきたことを忘れずに

南無阿弥陀仏

« 嫉妬心や、他を羨む(うらやむ)気持ちは、私が私を認めていないところから生じる | トップページ | 念仏相続 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 嫉妬心や、他を羨む(うらやむ)気持ちは、私が私を認めていないところから生じる | トップページ | 念仏相続 »

フォト
2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ