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2020年6月24日 (水)

肝苦りさ

6月23日は「沖縄慰霊の日」

戦争の事実を風化させてはいけない。

けれど、どんなに戦争の話を、沖縄の方々の苦しみを聞いても、その場に現実に身を置いていた人ほどの痛み苦しみを感じることはできない。

戦後75年、第二次世界大戦の記憶が薄れていくなか、それでも、戦争の悲惨さを伝えていかなければならない、戦争を起こしてはならないと声を挙げてくださっている方々がいる。

同じ痛み 苦しみを感じることはできないけれど、戦争があった事実、戦争で苦しめられた事実、戦争で人が人でなくなった事実がある。

そのことに想いを馳せることはできる。

沖縄の言葉「肝苦りさ(ちむぐりさ)」を知った。

「かわいそう」という意味だが、「かわいそう」とは全然違う。

「かわいそう」と言うとき、言う方と言われる方の間に距離がある。壁が出来るときもある。

(「かわいそう」と言うとき、距離や壁を作っているつもりはないけれど)

「肝苦りさ」は、他者の苦しみ痛みであるにもかかわらず、我がことのように苦しいこと。

…内臓が、五臓六腑が…この私自身がしいということ。

肝臓にダメージを受けたときの苦しみは、想像を絶する。

他者の悲しみを我がこととして受け止めることを「肝苦りさ」というと教えられた。

新型コロナウイルスが収束したわけでもないのに、都道府県を超えての移動ができるようになった。

出張も増えた。 旅行者も増えた。

移動したい、旅行したい、押さえつけられていた苦しみもまた分かる。

けれど、旅行で訪れる場所の歴史や、そこに住む人々の身に起きたことを、学んでから 知ってから その場に足を運ぶということも大切なことではないだろうか。

訪れる場所に対する敬いの気持ちを持つならば、戦争の歴史が風化することもない。

移動できない苦しみ、抑圧された苦しさを味わったのだから、移動できること、訪れる先があるということの意味を考えたい。

そういうことも、新しい生活様式ではないだろうか。

南無阿弥陀仏

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