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2020年5月16日 (土)

中村薫先生を偲んで

中村薫さん(なかむら・かおる=同朋大名誉教授、元学長。真宗大谷派養蓮寺前住職)8日、脳出血のため死去。71歳。
大谷大文学部卒、同大学院(仏教学)修了。同朋大文学部仏教文化学科や同大学院の教授、10年には学長を務めた。09年から、本紙朝刊(こころのぺーじ)の「今週のことば」の執筆を続けていた。8日夕、自宅で倒れた。
〔「東京新聞」2020年5月13日(水)朝刊より〕

 

中村薫先生還浄の報は、知り合いルートで9日に入っていたのですが、公の媒体での発表が見受けられなかったので、ブログに中村先生のことを書くことを控えていました。
13日の東京新聞に、先生の訃報が掲載されていたので、先生との思い出について書かせていただきます。

思い出といっても、先生と直接お会いしたのは、片手で足りる程度かもしれません。でも、とても印象に残っていることがあります。

私が大谷大学を卒業し、西蓮寺に戻ってきて、東京教区の研修会等に顔を出すようになって間もないころの話(25年ほど前のお話)。

5月の半ば、ちょうど今くらいの気候でした。

教区の先輩から「かっちゃん、明日から3日間ヒマ?」と電話がかかってきました。

幸か不幸か・・・予定が空いていました。

「空いてますが・・・」と言うや否や「じゃぁ、箱根行こう‼ 明日〇時に車で迎えに行くから」と先輩。

翌朝迎えに来てくれた先輩の車に乗り、箱根へ向かってレッツゴー🚙

(先輩)「今日から3日間、箱根で青年研修会があるんだけど、参加申し込みゼロだったんだよ。かっちゃんが申し込んでくれて(!?)よかった。唯一の参加者だから、先生とも仲良くなれるよ。あ、先生は同朋大学の中村薫先生ね」

なんてことを、当日朝に言われました。言う方も言う方ですが、参加する方もする方ですね。

会場に着いて、参加者はやはり私1人。担当スタッフは5人。教務所員が1人だったかな。それと先生の、計8人の研修会でした。
当時、「白山誘拐研修会」と、仲間内で話のネタになりました(^▽^)

その研修会で、中村先生からいただいたご法話のなかで、今でもしっかり覚えていることがります。というか、自分の聞法生活の礎のひとつになっていることがあります。

善導大師の著わされた『観経四帖疏(かんぎょうしじょうしょ)』のなかに出てくる「両重の因縁」の話。

私たちは、いのちを賜り、この身をいただいて生まれてきました。
この身を受けるということは、「父と母の精血を以て外の縁と為し」・・・父と母との出会いという縁が必要ですが、その縁は“外縁”です。外縁だけでは、この身を受けるということはありません。
自らの、「生まれたい!」と願うこころ、そのこころを“内因”として、内因と外縁の因縁が和合した(ひとつになった)からこそ、私はこの身を受けて生まれ、生きているのです。
父と母との出あいと共に、私自身の「生まれたい!」という願いもあったんですよ!

このような話を聞きました(私の記憶で書いていますので、先生がこのままを言ったわけではありません)。

大学在学時に『観経四帖疏』を読んで(目を通して)はいますが、「両重の因縁」の話は心に残っていませんでした。
先生は、ご自身の話をされ、そのうえで「両重の因縁」の話をされた。お釈迦さまの教えを、身と心を通して語られたから、研修会でのお話が心に残ったのだと思います。

「両重の因縁」とともに、芥川龍之介の『河童』も紹介されました。
それまで『河童』は読んだことがなく、研修会の後、本屋で買って読みました。

母河童のお腹の中にいる子に、父河童は尋ねます。「お前はこの世界へ生まれて来るかどうか、よく考えた上で返事をしろ」と。
お腹の中の河童は「僕は生まれたくはありません」と返事をします。すると、そこにいあわせた産婆が・・・
(本文は「青空文庫 河童」で検索してお読みください)

という部分を、先生は話してくださいました。

「自分で生まれたいと思ったから、生まれてきた」

そんなことあるわけないだろうと、多くの人が思うことでしょう。けれど私は、「自分で生まれたいと思ったから、生まれてきた」という話がストンと落ちてきました。生まれたくなかったら、河童のように拒否することもできたのに、それをしなかった。

「私は、生まれたくて生まれてきた!」

私はそのことに納得したし、嬉しかったです。

あの研修会が今でも記憶に残っているのは、参加者が私ひとりだったからということではなく(その側面もあるけれど)、先生のお話の「両重の因縁」と『河童』が、私の思索面に大きな楔(くさび)を打ち込んだからでした。

中村先生のお話をいただき、「私は、生まれたくて生まれてきた!」という想いがきちんとした言葉として私の中に芽生えました。そのおかげで、かつて☆☆☆以下の文章を書いたことがあります。

あの研修会に引っ張られなかったら、今の私は、今の私の思考は生まれませんでした。
あの研修会への参加は、偶然であり、必然でした。

研修会へ引っ張ってくれた先輩、迎え入れてくれた先輩、ありがとうございます。晩の呑み会が楽しかったことも覚えています。

そして中村薫先生、ありがとうございます。またお目にかかりましょう👋 南無阿弥陀仏

 ☆ ☆ ☆ 

寺報に「私は、人間は、自分で生まれたいと思って生まれてくるのだと固く信じています」と書いたら、「そんなことあるわけない」という反論を多数いただきました。確かに、生物学的に見れば、「そんなことあるわけない」のかもしれませんが、生まれることに意思があるか否かの話をしているのではありません。「そんなことあるわけない」と言われる方は、こう続けます。「自分で生まれたいと思ったのに、どうして障害を抱えて生まれるのですか」「どうして能力や才能を持つ者と持たない者が存在するのですか」と。平等のいのちのはずなのに、そうはなっていない現実を歎いてのことだと思います。その人にしてみれば、純粋な想いでの反論なのは伝わってきます。
しかし、その純粋な反論に怖さを感じます。「なぜ障害を持って生まれるのか」「なぜ能力や才能に違いがあるのか」という想いの根っこには、「健常者(と言われる者)が良くて、障害者(と言われる者)は可愛そう」「才能があり、功績を残している者は勝ち組。才能もなく、なにもできない者は負け組」というように、無意識な差別意識が内在しています。健常者と障害者、才能の有る者と無い者という差異(ちがい)は、確かにあります。けれど、それらに誰が優劣をつけられるというのですか。どこに優劣があるというのですか。
 
以前、「実際に殺人を犯した者も、頭の中で誰かを殺したい(あいつさえいなければ)と思った者も、罪は同じである」と書いたら、やはり反論をいただきました。「そんなことあるわけない」と。立法国家に生きる者としては、罪が同じであるわけはありませんが、他者の存在を認めないという意味において、実際に手をかけることも頭の中で思うことも、その罪に変わりはありません。つまりは、誰もが罪を抱えて生きているのです。
「あれはいけません。ああいうことをしましょう」と、道徳的なことを言うのであれば、この寺報は作っていません。閉じこもった思考に対し、少しでも違う視点を与えられれば、ちょっとでもくさびを打ち込むことが出来れば。そんなことを想いながら、毎月筆を執っています。
私の文章は「分からない」と言われます。はじめは、「文章が稚拙だから伝わらないんだ」と、己の文章力のなさを歎いていました。しかし、まったく予期せぬ価値観が現われたから、「分からない」ということもあるのだと思うようになりました。価値観の転換、新たな視点は、人生を面白くすると思います。
誰もが、自分の思い通りになればいいと思いながら生きています。その思いは勝手ですが、「自分の思い通りにしたい」「自分の好きに生きたい」と言うからには、生まれそのものに責任があるということを背負って欲しい。そういう想いも含めて、「私は、人間は、自分で生まれたいと思って生まれてくるのだと固く信じています」と主張しています。

「自分で生まれたいと思って生まれてくる」とは いっても、「生まれたい」という思いだけでは成就しません。「生まれてほしい」という願いがあるからこそ、生まれてくることができます。
善導大師がお示しくださったおことばです。
「既に身を受けんと欲するに、自の業識を以て内因と為し、父母の精血を以て外縁と為す、因縁和合するが故にこの身あり」(善導大師『観経疏』「序分義」)
「生まれたい」という思いと父母の縁が和合して、今、この身があるのです、と。
育児放棄をした母親が逮捕されました。2人の幼いいのちが亡くなりました。子供たちは、食べ物以上に、親の愛を求めていたことでしょう。育児放棄をした母親は、子供の誕生に喜びを感じていたと伝えられています。この手のニュースがあると、「ひどい親だ」という声が必ず聞こえてきますが、どんなに可愛い子どもであっても、いや、我が子だからこそ、腹が立つということもあります。関係が近いだけに、綺麗ごとだけでは済まされない現実があるのです。そのようなときに、面倒を見てくれる親や友人、隣人がいなかったのか。本当に育児をする気がなくなったのなら、引き取ってくれる施設もあります。心が苦しいです。
「生まれてほしい」という願いと「生まれたい」という願い。親子の関係で考えると、前者は父と母、後者は子供ということになります。しかし、哀しいことに、人間感情の世界では、「生まれてきてくれてありがとう」「生んでくれてありがとう」という情だけでは上手くやっていけない現実があります。「どうして生まれてきたんだ」「なんで生んだんだ」という想いと紙一重です。
「生まれてほしい」という願いと「生まれたい」という願い。私は、前者は阿弥陀如来、後者は私と引き受けています。「生まれてほしい」という阿弥陀如来の願いと因縁和合して、今、この身を生きています。
ということは、私(白山勝久個人ということではなく、誰であっても)がいるということは、阿弥陀の願いが成就しているということ。「南無阿弥陀仏とお念仏申したら、どんなご利益がありますか?」と問われますが、念仏を称えたことによるご利益なんてありません。念仏称える身があるということがご利益です。「真宗の救いとは?」と尋ねられ、「今、この身があることです」と必ず応える私。すると、「そんなことあるわけない」と言われてしまいますが。
生きとし生けるもの、いのちあるもの、そのいとなみは、波に似ていると感じます。海に生じる波。形も大きさもみんな違う。癒しを与えるさざなみもあれば、いのちを奪う津波もある。けれど、どちらも波。波は、すぐに海と一味となり、またいつか波として生じる。海とは、阿弥陀如来の願い。「どうか生きてほしい」。その願いの中から生じる波(いのち)。色も形も能力も、みんな違うけれど、みんな同じいのちを生きている。背景には阿弥陀如来がいる。
親と子は、肉体だけ考えれば、父と母それぞれの個体があって、子供という個体がある。独立したもの。しかし、受精によって生じ、受精によっていのちを伝えていくのだから、独立しているとも言い切れない。親であっても子であっても、同じいのちを生きている。連綿と続くいのちを、それぞれの形でもって表わしている。海から波が生じるように。波として生じるのに、ほんのちょっと時間差があっただけのこと。
波は、他の波を波として認識しないけれど、人は、他の人を人として認識できる(関心を持てる)。親として、子として、この大海原で、出遇うはずのなかったものどうしが出遇い、共に歩む。親であっても、子であっても、生まれてほしい、生きてほしいという願に包まれながら。(了)

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