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2020年5月24日 (日)

阿吽(あうん)の呼吸を生きている

あるとき、お釈迦さまが3人のお弟子さんに尋ねられました。
「あなたは、あとどれくらい生きられると思いますか?」
  
1人目のお弟子さんが答えます。
「先のことは分かりませんが、数日は生きていられることでしょう」
「あなたはまだ本当のことが分かっていませんね」と、お釈迦さまは言われます。
   
2人目のお弟子さんが答えます。
「今ここで食事をしている間は生きていられることでしょう」
「あなたもまだ本当のことが分かっていませんね」と、お釈迦さまは言われます。
       
3人目のお弟子さんが答えます。
「阿吽(あうん)の呼吸の間のいのちです。吸った息が出なければ、そこでいのちは終わりです」
「その通りです。いのちというのは、吸った息が出るのを待たないほどの長さでしかないのです」と、お釈迦さまは言われました。(『四十二章経』)
   
「阿(あ)」は「吐く息」、「吽(うん)」は「吸う息」のことです。
吐く息、吸う息、どちらかが途切れた時、いのちは終わります。
私は、一瞬のいのちを生きています。一瞬一瞬のいのちを生き、それが生涯となります。
   
人間は、いのちを長さで計りがちです。
だから、若くして亡くなれば「まだ早いのに」「もったいない」と哀しみ、長生きすれば「まだ生きている」「長生きも、良いことばかりではない」と嘆きます。
どちらにしても、人間のものさしに過ぎません。
果たして、いのちとは「まだ早い」「まだ生きている」というものさしではかれるものなのでしょうか。

誰もが阿吽の呼吸の間のいのちを生きています。長さでは計れないいのちを、今、生きています。
   
「今」とか「阿吽」というと、とても短い時間を連想しますが、悠久の歴史の流れのなかの一瞬です。
人間のものさしを超えた時間の中を生きている私。そんな途方もない時間・空間を、なんの道案内もなく生きられるでしょうか。
いえ、阿弥陀という大きなはたらきに導かれながら、今を生きています。
阿吽の一息一息は、南無阿弥陀仏のお念仏の一声一声。

昨日、「誰もが同じ長さの1秒1秒を生きています」という文章を書いた後、「阿吽の呼吸」の話を思い出しました。

誰もが、吸った息が出なかったら、吐いた息の後に吸うことがなかったら、終えるいのちを生きています。

みんな、同じいのちを生きています。

南無阿弥陀仏

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