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2020年5月26日 (火)

生かされてあることに感謝し念仏することである。

今週のことば 中村薫

「当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりて初めて死するにあらず。」
蓮如上人『御文』

 蓮如は、人は疫癘で死ぬのではないという。生まれた時から死は定まっており、驚くことではないと。それは道理としては納得できるが、現実に自分たちに係わってくるとそうはいかない。それが情の世界である。
 そんな中、疫病は何度も人類に襲いかかってくる。有史以来手を替え品を替え襲ってきた。蓮如はその都度、静かに受け容れていった。今日のように医学の治療はなかったので、ただ念仏して耐えることしかなかった。しかし耐えながら辛抱することは、とても大変なことであった。ご承知のように、念仏は決して祈祷ではない。さりとて、諦めて生き方を放棄するものではない。むしろ、どうすることも出来ない身の事実を引き受けていったのである。
 阿弥陀如来は、無自覚な罪深い人間でも必ず救うといわれる。生かされてあることに感謝し念仏することである。
〔「東京新聞」2020年5月25日(月)朝刊〕

 

2020年5月8日に還浄された中村薫先生への追悼の文章を、5月16日のブログで投稿しました。

昨日の「東京新聞」朝刊に、中村先生の文章が掲載されていました(中村先生は、複数の執筆者と、「東京新聞」こころのページの「今週のことば」を執筆されていました)。

その文章が上記の文章です。

亡くなる前に書き上げていらっしゃったのですね。

先生は長患いをされていたので、常に「明日とも知れぬいのちを生きている」自覚を持ちながら、日々を過ごされていたことと思います。

いつ書かれたのか分かりませんが、このコロナ禍に際し、先生はご自坊の掲示板に、

「コロナウイルスに負けないように落ち着きましょう 南無阿弥陀仏」

と書き記されていました。

上記「東京新聞」の文章を読んでも感じますが、一生を通して「南無阿弥陀仏」と念仏申すことを大切にされた先生でした。

先生の遺言と受け止め、南無阿弥陀仏とともに生きてまいります

南無阿弥陀仏

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