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2020年5月23日 (土)

誰もが同じ1秒を生きている

若くして亡くなると、「早すぎる死だ」「まだやりたいことがあったでしょうに」という声が聞かれる。

そのように言いたくなる気持ちは分かるし、その方の死を受け入れられない気持ちの表われなのも分かる。

私も、ある方の死に対し、「ちょい、まだ早いだろ! まだ教わることがあったのに」「こないだ〇〇約束したじゃん!」と怒り(にも似た感情)をぶつけたこともある。

「早すぎる死」という想いは、年齢的な早さもあるけれど、その人が何らかの才能に長けている場合、尚更「まだ早いよ!」という感情が湧きたつ。

結局は、こちら(残された)側の気持ちの問題なのだけれど、昨晩、床に就いて天上を見ているときにふと思った。

「みんな、同じ1秒を生きているんだ」

夭逝しようが長生きしようが、1秒は誰にとっても同じ長さ。

才能ある人には長い1秒で、無駄に過ごしているときの1秒は短くて・・・なんてことはない。

誰もが同じ1秒を生きている。

そう考えると、死に、早いも遅いもないような気がしてきた。

なんて言うと、「若くして亡くなる人は1秒1秒の積み重ねが少なかったことになる。もっと積み重ねられたはずだ、もっと積み重ねてほしかった」という声もあるだろう。

けれど、何年生きた、あと何年は生きたい、あと何年くらいは大丈夫じゃないかな、という尺度は、人間という生き物の感覚として生じるもの。

だからこそ比較心が生じて、「早すぎる死だ」や、逆に「まだ生きてます」などというじ言葉が出てくる。

けれど人は、いのちは、1秒を生きている。

ただそれだけのこと。

1秒を生きている、という感覚を研ぎ澄ませて生きたい。

南無阿弥陀仏

 

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