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2020年5月 8日 (金)

先に歩むという使命

子どもたちは、朝、まだ公園に人気の少ない時間に、30分だけ遊びに行かせています。マスクをして。

公園には、学校の仲良し友だちも来るようになって、楽しく鬼ごっこをしているそうです(つかず離れず、子どもたちなりに辿り着いた遊びのようです)。

そのお友だちも、ちゃんとマスクをしていて、「30分だけね」とお母さんに言われているようです。

30分したら解散して、帰ってきます。

帰宅したのち、お勉強✏

なんとなくの生活サイクルができています。

私も、事務仕事でデスクワークの時間が多くなっています。

けれど、昨日は全然はかどりませんでした。

本堂前の芝生に、大量の雑草が生えていたなぁと思い、雑草抜きに出ました。

子どもたちも、日に当たる時間が少ないので、「一緒にやろうか!」と言って、連れ出しました。

3人それぞれにバケツを持って雑草抜きwww

Dsc00191

1時間ほど、バケツいっぱいになるまで抜いたけれど、まだまだ残っています💧

けど、そこで終了‼

立ち上がり、本堂前の掲示板を見て、笑ってしまいました。

Dsc00192

「一本の草さえ、生きねばならぬ 使命をもっている」

本堂前の掲示板は不定期に張り変えていますが、5月に入ってから、この言葉にしました。

「使命をもっている」と書きながら、思いっきり抜いてました(^▽^💧)

“雑草”という書き方をしましたが、その呼び方はおかしいです。

雑草という名前の草はないのですから。

草にも、花にも、名前がある。

人間にも、ひとり一人名前がある。

ひとり一人、つまりすべてのいのちに、南無阿弥陀仏の名号(名前)がある。

人間ひとり一人、草いっぽん一本にいたるまで、生まれた意味がある。使命(というと、ちょっと重たいけれど)がある。

草は、人間の都合でむしられてしまうけれど、生態系のなかで、生えている意味がある。
雑草と呼ばれて、引っこ抜かれてしまう草は、人間から見れば雑草なのだけれど、草の友だちたちからすれば、草たちにとってまだ未開の地に雑草が先んじて生えてくれるおかげで、その次 その次に草や花が生えることができるのだという。開拓者なのだと聞いたことがある。つまり、雑草が生えなければ、人間が「青々としてきれいですね」などと感嘆する芝生や、季節の花も生えない。

南無阿弥陀仏

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