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2020年5月31日 (日)

「議事録」とは、「ここに人がいた録」

昨日は、デジタル化が進んだことによって議事録を作ることを怠ってしまうという、「そんなことないだろう!」と突っ込まれそうなことを書きました。

昨日の文章を書いたあと、ふと思いました。

現在(いま)は、会議をしたこと自体は事実(のよう)だから、少なくとも話し合いはされているのだと信じたい。

けれど、議事録がないことが当たり前になってしまったら、

そのうち、会議もしていないのに、「会議で話し合った結果」とか「専門家の皆さまのご意見を伺った結果」などと言って、トップにとって都合良いことを語られてしまうのではないだろうか。

あるいは、病気や怪我などで会議や会見に出ていないのにかかわらず、「〇〇はきちんと会議に出席して、発言もしておりました」などと補佐の人が代弁するのではないだろうか。

なんかもう、そんな時代に足を突っ込んでいるような気がしてきました。

会社組織においては、「議事録づくりはナンセンス」ということを聞いたこともありますが、国政においては、とても必要なものだと、あらためて感じています。

議事録とは、単なる会議録・備忘録ではなく、国政を司る者やそれに関わる者が、やるべきこと 語るべきこと 聞くべきことを きちんとやっているという証明書である。

議事録がないということは、「ここに人がいた」ということを証明するものがないということ。

ということは、いてもいなくても同じ、ということになるのではないか。

そのうち、開かれてもいない議事録を、AIが想定して書いてしまったりするのだろうか。

そんな時代には、議事録がないことになんの疑問も持たないような方々は、そもそも必要とされないか。

あ、やっぱり議事録がないということは、そこに人がいなかった! ということなんだ。

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