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2020年5月28日 (木)

口はひとつで耳二つ ちょっと話して よく聞くために

ネット上での誹謗中傷によって いのちが失われた。

そのことがきっかけとなり、ネットでの誹謗中傷をやめよう! 厳罰化を! という声が挙がってきた。

コロナ禍における補償の動きが遅い自民党までもが、自民党政務調査会内に「インターネット上の誹謗中傷・人権侵害等の対策PT」なるものを立ち上げた。動きが早い! その座長に就かれた方は、「政治家であれ著名人であれ、批判でなく口汚い言葉での人格否定や人権侵害は許されるものでは無いですよね」と語っているらしい。それだけ聞けばもっともに聞こえるけれど、国会において野党議員に向かい「恥を知れ!」と一喝したり、コロナ禍における首相の会見を伝えぬ報道に対して「首相の“お”言葉を伝えるべきでは?」と発言したり、発する言葉の端々に、人間に優劣をつけて見る習慣(くせ)のある人なのだなぁというにおいが漂う。そのような方が座長に就き、ネット上での人権侵害の対策に当たるという…

ネット上の誹謗中傷は目に余り、なんとかならないものかと思う。
けれど、「♯検察庁法改正案に抗議します」で民意が示され、自民党が、与党が、政府がやろうとしていることの足止めをくらったことを受け、ネット上の発言を規制する動きにもつながりかねないと思う。それゆえに、今回の動きが早かったのだろう。

規制を求める声は多い。
けれど、(ネットに限らず)規制を求めるとき、「私はそんなひどいことはしない。ひどいことをする人たちは罰せられなければならない」という想いが根っこにある。つまり、「規制が生じても、私には影響ない」という前提で、規制を求めているのではないだろうか。

規制は、やはり自己規制に努めなければならない。
力のある者が、その力を利用して規制をかけようとするとき、必ず自分たちに都合のいいように規制をかける。規制を求める声を利用する。

「規制が生じても、私には影響ない」と思っていたら、大間違いとなる。

権力や法に頼って規制を求めていると、がんじがらめのなかを生きることとなる。

ここ数年で、あらゆることに規制がかかり、法が生まれ、ルールが生まれ、実は私たちの生活は縛られている。

気を付けなければならない時代(とき)を迎えている。

それから、権力に対する危惧とはべつに・・・

ネット上における規制や罰則を求めるけれど、

他者(ひと)を誹謗中傷してはいけないのは、現実社会でも同じこと。

このコロナ禍において、どれだけの人たちが、あらぬ批判や差別を受けていることだろう。

どれだけの人たちが、批判や差別を受ける筋合いの無い方々に向かって、罵詈雑言を浴びせていることだろう。

普段の生活においてもネット上においても(本来区別されるものではないけれど)、他者を罵詈雑言で誹謗中傷することは許されることではない。

日々の生活のなかで、私のこころというものを、大事に見つめなければならない

誹謗中傷という黒雲は世を汚し、結局は 誹謗中傷の発信者自身のこころを傷つける。

南無阿弥陀仏

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