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2020年4月20日 (月)

自由だ!

朝から冷たい雨が降るなか、境内の掃除をし、そしてお朝事。

雨音を聞きながら「正信偈」をお勤めし、ふと想う。

いつ収束するとも分からない新型コロナウィルスの渦中にあり、寺院関係者においてはそれぞれの法座が中止になっている。

教えを説く場、教えを伝える場が、自分の意思に反して閉じられている…。

そんな状況に身を置いていることを思いながら、恩師 廣瀨杲先生の言葉がふと思い起こされた。

「私たちね、宗教離れ 寺離れが進んで危機的状況だと申しますけれど、それが危機ですか? 法然上人や親鸞聖人は法難に遭われました。念仏も奪われ、自身のいのちもどうなるか分からない状況になり、流罪に処せられた。けれど、そうしたなかで念仏を称え、出あった人々に教えを伝え、念仏を伝えてこられたわけです。私たちは法難には遭っていません。念仏を取り上げられたわけでも、教えを説くなと言われたわけでもありません。そういう意味では、危機的状況と言う状況ではないのではないでしょうか」
(ある法座での、その景色と共にある先生の言葉を、私の記憶のままに書いています。正確な文言ではありません。けれど、このように私には聞こえ、心に刻まれている先生の言葉です)

言外に多くのことが含まれていることを想う。

多くの自粛・制約はあるけれど、念仏を称えること、教えを説くことを自粛・制約・禁止されているわけではない。

法座を開くこと(人を密集させること)は自粛せねばならないけれど、念仏称えることも 教えを説くことも“やめろ!”言われてはないじゃないか! まだまだ自由だ!

広瀬先生、ありがとう!

私たち(僧侶)は、堂々と教えを説き続ければいい! 念仏の声と共に(‐人‐)

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

(追記)
ファイルの中に懐かしい写真があった!(^-^)(13年ほど前の、とある法座の帰り道。広瀬先生と)
Dscf02512

 

(法話を求めている方へ)

○東本願寺「いま、あなたに届けたい法話

○浄土真宗live !「いまだからこその法話生配信
  5月3日(日)午後8時より 法話:名和達宣師

○東京教区 真宗会館 「日曜礼拝法話」
  4月19日(日)の法話 雲井一久師「死をどのように生きるのかー仏教と終活
   …はじめの3分ほど「ただいま準備中です」の表示が出ますが、3分過ぎからご法話が始まります。

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