« 物語が、人を生かす | トップページ | 罪の自覚 »

2020年4月27日 (月)

私が立つ大地は、誰かの犠牲によってできている

昨日は、「物語」が人間にとって大切なものであることを書きました。ということは、「言葉」も大事です。
世の中の言葉が軽すぎやしないか?と感じる今日この頃。藤原辰史先生のメッセージに、その答えがあるような気がします。

昨日(2020年4月26日)の「朝日新聞デジタル」に藤原辰史さんの寄稿『「人文知」軽視の政権は失敗する』が掲載されています。 

 ワクチンと薬だけでは、パンデミックを耐えられない。言葉がなければ、激流の中で自分を保てない。言葉と思考が勁(つよ)ければ、視界が定まり、周囲を見わたせる。どこが安全か、どこで人が助けを求めているか。流れとは歴史である。流れを読めば、救命のボートも出せる。歴史から目を逸(そ)らし、希望的観測に曇らされた言葉は、激流の渦にあっという間に消えていく。

(中略)

これまで私たちは政治家や経済人から「人文学の貢献は何か見えにくい」と何度も叱られ、予算も削られ、何度も書類を直させられ、エビデンス(証拠・根拠など…注は私の付記)を提出させられ、そのために貴重な研究時間を削ってきた。企業のような緊張感や統率力が足りないと説教も受けた。

 だが、いま、以上の全ての資質に欠け事態を混乱させているのは、あなたたちだ。長い時間でものを考えないから重要なエビデンスを見落とし、現場を知らないから緊張感に欠け、言葉が軽いから人を統率できない。アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流に立てない。コロナ後に弱者が生きやすい「文明」を構想することが困難だ。

 危機の時代に誰が誰を犠牲にするか知ったいま、私たちはもう、コロナ前の旧制度(アンシャン・レジーム)には戻れない。

 

言葉を軽んじ、周囲を見わたす視界も曇り、自己都合に合わせて歴史や発言を改ざんする。
そういう者に「物語」は語り得ない。「物語」とは、希望的観測ではも作り話でもない、私たちが歩んできた道であり、これから濁流と共に歩む道である。希望的観測は、濁流の排除を描いていることだろう。けれど、もはや避け得ないコロナと共に、人類はある。そのことを書かずに物語を紡ぐことはできない。
現実を見据え、周囲を見わたし、目先の利益に囚われることなく、言葉を発する。そうして出てきた言葉、物語は、人びとの耳に入り、心身に響き、そして行動の力となる。けれど、現実を見ず、周囲を見ず、利益に心を売った者の言葉は、軽く、痩せて、嘘っぽく、人びとのこころに届くことはない。

 

藤原辰史先生は、現在のコロナ禍に直面し、決して安心させるメッセージを発するわけではない。政治家への怒りと共に、私たちの姿勢をも厳しく問う。けれど、決して避けてはならない道を、決して目を背けてはいけない人間の姿を、「B面の岩波新書」に著されています。

藤原辰史:パンデミックを生きる指針ー歴史研究のアプローチ

ネットで無料で読めます(藤原先生の意思です)。PDFでプリントアウトもできます。ぜひお読みください。

今朝の「東京新聞」朝刊 「こちら特捜部」でも「B面の岩波新書」の文章が取り上げられています。
「東京新聞」の取材に対し、藤原先生は訴えています。

「コロナの犠牲の上に認識できた問題を、決して忘れてはならない。合理化の下に人間を切り捨てることのない、新たな社会の構築に力を尽くすことは、生き残った人たちの責務だと思います」

他の誰かではない、この私自身の責務です。
言葉を駆使して新たな物語を紡ぎだすときです。今は、その準備期間なのかもしれません。言葉を胸に、物語を頼りに、激流に乗って乗り越えん。


藤原辰史(ふじはら・たつし)先生
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史・環境史。

« 物語が、人を生かす | トップページ | 罪の自覚 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 物語が、人を生かす | トップページ | 罪の自覚 »

フォト
2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ