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2020年4月 8日 (水)

天上天下唯我独尊 人と生まれたことの意味 

「緊急事態宣言」が出されて、夜が明けた。
外に出ると快晴。空の青さが、現実の先の見えなさを一層際立たせます。

4月8日
お釈迦さまの誕生日
地元烏山仏教会の「花まつり(お釈迦さまの誕生会)」も4月4日に予定されていたのですが、中止になりました。淋しい4月8日を迎えています。
西蓮寺の坊守(母)も4月8日生まれ。ピエール瀧さんも、沢尻エリカさまも4月8日生まれ。
毎日のようにテレビでお目にかかる博多大丸さんも、DAIGOさんも4月8日生まれ。あ、なんだか賑やかになってきました(*^▽^*)

東本願寺「しんらん交流館」のHPに、「いま、あなたに届けたい法話」が配信されています。
昨晩、難波教行先生の法話を拝聴いました。
講題は「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう
この講題は、2023年にお迎えする「親鸞聖人お誕生850年 立教開宗800年 慶讃法要」のテーマでもあります。

難波先生は、
「人間が考える意味では、役立つ者 強い者だけが尊重され、そうでない者に意味はない!と、比較や序列が生まれます。ともすれば私たちは、それを人と生まれた意味と考えてしまいます。しかし、南無阿弥陀仏の呼びかけを聞くところから、人と生まれた意味をたずねることによって、社会的価値観による意味ではない、仏教的価値観をたまわるのだと思います。 南無阿弥陀仏」
とお話しくださっています(‐人‐)

お釈迦さまの誕生といえば「天上天下唯我独尊」のエピソードが思い起こされます。
「天にも地にも、我ただひとりにして尊し」
どこの国に生まれようが、どの性別に生まれようが、いつの時代に生まれようが、どの宗教を信じていようが、一人ひとりが、誰とも代わることのできないいのちを生きています。
お釈迦さまの誕生の物語は、人間の、いえ、いのちの尊さを教えてくださっています。
その尊さが、「人と生まれたことの意味」なのですが、
私たちが「生まれたことの意味をたずねていこう」とするとき、人間のものの見方は、比較や序列、差別や線引きを生じさせます。
現代(いま)このようなときにおいても、差別や偏見が生まれています。
新型コロナウィルに罹患された方が「申し訳ありません」と謝罪する姿を見かけますが、罹患しようとしてしているわけでもなく、どんなに気を付けていても罹患することもあります。罹患した人が悪くて、してない人が偉いことなど、まったくありません。罹患された方、謝罪を気にかけず、ご自身の体調を整えることに集中していただきたく思います。

意味をたずねていくこととは、自分の価値を見出すということではありません。
多くの生命がこの地球上に宿り、今、ウィルスに直接しています。
せっかくいのちを賜り、生きてゆくのですから、災いはあるよりもない方がいいです。
けれど、災いを避けて生きることはできません。
それは、多くの生命とともある我が身だからです(多くの生命のせいで災いが起こると言っているのではありません)。
今現在生きている者という意味の“生命”ではなく、過去に生き、これから先に生まれ生きるであろう すべてのいのちとともに、私はあります。
誰も代わる者のいない ただひとつのいのちですが、誰ともつながっていないことなどない いのち でもあります(ややこしいですね)。
何も支えがなければ、どこにも光明が見えなければ、誰も抱きしめてくれる者がなければ、ひとは、とても生きてはいけません。私を支え、光明を照らし、抱きしめているものが 南無阿弥陀仏です。

親鸞聖人の教えに真向かう時間をいただいています。

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