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2020年4月 2日 (木)

へんしん

2020年4月2日木曜日 朝、強い風のうねりを感じて目が覚めたとき、ベットの中で自分が49歳のおっさんになっているのに気づいた。

実際に人間も吹き飛ばされそうな強い風が吹いているけれど、現在の状況に照らしてみるに、“風”はウィルスの比喩のようにも感じられる。
このような状況の中、49歳の4月2日を迎えようとは思いもしなかった。
コロナウィルスの内実がまだ把握されなかった頃(今もされてはいないけれど)、「若い人は感染しても軽症で済むけれど、年配の方・疾患のある方は重症化あるいは死に至ることもあるので注意ください」という旨、専門家や何も分かろうとしていない政治家は語っていた。
そのせいか、新型コロナウィルスは老人には厳しく、若い者には心配ない病気、というイメージが出来てしまった感がある。
けれど、日本でも0歳の赤ちゃんが重症化している報告がある。快復を念ずるばかりです。
思うのだけれど、ウィルスの側からすれば、「この国(都市)もだいたい感染させたし、次は隣の国(都市)に行こうぜ」とか「若い奴はウィルスに強いから、年寄りをターゲットにしようぜ」なんて、国境や都市の境、年齢差など加味せず猛威を振るってくるのだから、どういう人が安心で、こういう人はご注意を!というのは、安心させるどころかウィルスを蔓延させる一助となってしまう。
(今、「どういう国が安心で、こういう国はご注意を!」も書いたのだけれど、国や都市に関しては、どのような対応をとるかで罹患するしないの違いが出てくると思ったで、“人”と並列で語るのはやめました)。

テレビやネットを見ていると、新型コロナウィルスに関する知恵をつけてきた人が増えてきたので、自分の浅い知識のなかでいろいろと語り始めている(私もだけど)。そうなると、どうしたって安心する説に飛びつきたくなるのが人の心というもの。でもそれは、ことの本質・重大さを見逃してしまう。それは気を付けなければならない。

「かからないように」という意識ではなく、「かかるかもしれない」「かかっているかもしれない」「身近な人にうつさないように気を付けなければいけない」という意識に立ち位置を変えた方がいい。

昨晩、妻に「私が死んだら、子どもたちのことをお願いします」と伝えた。
妻も、「私が死ぬかもしれないし、それは誰もが一緒よ」との返信。

このやりとりは、死を悲観した暗いメッセージではなく、死ぬまで生きていくぞ‼という前向きな訴えです。

南無阿弥陀仏

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