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2020年4月 5日 (日)

○○さん

志村けんさんの追悼番組がいくつも放送されています。
昨晩は「シムラどうぶつ園」が放送されていました。
志村さんは、ベテランであろうと若手であろうと新人であろうと、お客さんであろうと子どもであろうと、誰へだてなく丁寧に接する人であったと、その人柄が語られていました。年上・目上の人には「さん」、年下・若手には「くん」ではなく、誰に対しても「〇〇さん」と声を掛けていた、と。

志村さん自身の人柄から、自然とそうされていたことと思います。
私自身も、四十半ばを超えたころから、年上は「さん」年下は「くん」って、なんかおかしいな、という感覚がありました。
その年に至るまでの付き合い(呼び方)もあるので、従来通り「さん」「くん」で呼んでいましたが、仕事の場においては「さん」と呼ぶことが、だんだん多くなってきました。志村さんと違って、意識的にそうしはじめたところがあるので、その呼び方が徹底しているわけではありません。けれど、仕事や、親鸞聖人の教えを伝えていく朋として、目の前にいる人を「さん」と呼ぶことが当然のこととしての意識も湧いてきました。
僧職ではない職場においても、部下の呼び方は、“人材”などという資材として見るのではなく、人として接するのであれば、自然と「さん」となっていくのではないかと思う今日この頃です。
あだ名で呼んだり、名前だけで呼んだりということも、それまでのお付き合いにおいて、それもまた敬意を表してはいるのですが。

名前は、その人自身を表わします。
名前を呼ぶことは、その人自身を大切にすることを意味します。
そういう想いを大切にして、名前を呼びたいものです。

南無阿弥陀仏

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