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2020年4月12日 (日)

収束と終息

新型コロナウィルに関する文章が多くなっていますが、「しゅうそく」という漢字、あれ? “収束”だっけ? “終息”だっけ? と考えてしまいました。

“収束”は、「事態が収まる方向に進むこと」で、
“終息”は、「事態が終わること」を意味します。

ですから、新型コロナウィルにの騒動が収まり始めて、規模が小さくなり始めたときに、「“収束”に向かっています」と書き、
完全に収まることを「“終息”しました」と書くことになります。

そこに則って、私も文章を書いていますし、新聞雑誌なども書かれているものと思います。

さて、気持ちとしては新型コロナウィルの一日も早い“終息”を願っていますが、本当の意味での“終息”はないことでしょう。
サーズもマーズもまだありますし、ペストや結核で亡くなる方も、現代(いま)でも皆無ではありません。新型コロナウィルだって、ワクチンが出来て“収束”に向かうことはあっても、この世から完全に消えることはありません。おそらく、今後はインフルエンザ同様、毎年気を付け続けなければいけない病気となるのではないでしょうか。

そのこと自体気の重いことではありますが、「本当の意味での“終息”はない」と書いたのは、ウィルスそのものの“終息”を意味してのことではありません。
ワクチンができて、抗体をもつ人が増えて、やがて新型コロナウィルは“収束”に向かうことでしょう。
けれど、今、人心が荒廃してしまっています。

マスクを売ってないことで、店員さんに怒鳴りつける客
自分が罹患し、他者にうつそうと考える人
大学生が集団感染し、「どんな教育をしているんだ」「そいつの住所を教えろ」などと大学に電話しまくる人
電車内で咳をしている人を殴りつける人
病院や保育所ではたらく方々やそのご家族に対する差別
配達をしてくれる方々を、病原菌扱いする人
責任は取れないから、各自で自主的になんとかしてください感満々の政治屋

不安や恐怖に覆いつくされているのは、誰もが一緒。
どんなに不安であろうとも、どんなに恐怖を感じていようとも、他者に当たっていい理由にはなりません。

いま、そんな状況で、やがて“収束”に向かったとき、光が見えてきたとき、ウィルスが流行する前の人間関係が果たして築けるのでしょうか。
他者をウィルス(悪者)と見たものは、自身がウィルス(悪者)として見られるときがくることでしょう。
見る方も、見られる方も、両方つらいいものです。悲しいものです、淋しいものです。
ウィルスが“収束”に向かっても、人間が、人間関係が“収束”に向かうことはないのではないか。そういう意味において、ウィルスが“終息”することはないと感じています。

南無阿弥陀仏

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