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2020年3月14日 (土)

忘れられない

土橋正幸さんがヤクルトの監督をされていた(1984~86年)頃からスワローズファン。
よって、勝ち負けは二の次で、個性的な選手の活躍に一喜一憂し、神宮球場に出かけては応援していました。
まさか自分の存命中にスワローズの優勝を見ることができるなんて、そんなこと期待すらしていませんでした。
それまでに唯一広岡達朗監督時に優勝(1978年)していますが、そんなことは知らずに、弱いながらも選手が個性的に活躍するチームカラーに惚れて応援し始めました。

そんなスワローズに、強者を倒すことの喜びを植え付け、やがて常勝チームに育て上げた野村克也さんが監督が就任します。
テレビ朝日の野球解説で、ストライクゾーンを9分割して解説するおじさんだ、とは思っていましたが、野村選手の経歴や監督歴など全く知りませんでした。

野村監督のもと、古田選手との運命的な出会いや、広沢選手や池山選手が中心となり、捕手失格の烙印を押された飯田選手がセカンド→センターの名手となり、現監督の高津選手がリリーフとして名を馳せ、数々の埋もれた選手たちが野村再生工場の元、スワローズを支えてきました。小早川選手の開幕戦3ホーマーは、東京ドームで見ていました。
野村監督在任時は京都に住んでいたので、実際に球場で試合を観戦する機会はなかったのですが、関西にいながら楽しい思いをさせてもらいました。

あ、前置きが長かった‼
野村克也元監督がお亡くなりになり、数々の追悼番組や追悼雑誌が世に出ました。耕してきたものの大きさをあらためて感じます。
昨日、『Number』999号 “名称 野村克也が遺したもの”を読んでいたのですが、名捕手・名監督として比較されてきた森祇晶さんの「追悼メッセージ」がありました。
その中に、「野村さんとの思い出はいろいろあるけれど、一番忘れられないのはやっぱり92年、そして93年の、僕が監督だった西武ライオンズと彼が監督だったヤクルトスワローズが戦った2年間の日本シリーズだな。」と、ありました。

ライオンズファン スワローズファンのみならず、日本シリーズの歴史を語るうえで外すことのできない あの2年間。単年ではなく、2年間の戦いが、プロ野球ファンの脳裏に焼き付いているのだと思います。

当然、当事者である森さんにとっても、おそらく野村さんにとっても、「忘れられない」2年間だと思います。

森さんの「忘れられない」というフレーズ・表現を聞いて(読んで)、昨日投稿した「忘れないことと覚えていること」の原稿を思い出したのです。
「忘れないこと」と「覚えていること」は、似ているけど全然違うなぁということを感じて書いた文章ですが、「忘れないこと」という表現では、意図的に忘れないというニュアンスもあるかなぁと感じました。
かたや「忘れられない」は、誰に言われるでもなく、自分自身で「忘れないようにしよう」と強いるわけでもなく、自然と頭に からだにしみこんできた現実だと思うのです。
森さんが野村さんのことを思い返したときに、必然あの2年の日本シリーズも付いてくるように、自分の生涯を振り返ったときに必然東日本大震災のことが思い返される、阪神淡路大震災のことが思い出される。そういうことが「忘れられない」だと思いました。被災はしませんでしたが、東日本大震災も阪神淡路大震災も、両方の揺れを体験しているので、私にとっても「忘れられない」ことです。
でも、私にとってより忘れられないのは、1982年の長崎大水害です。あと少し判断が遅れていたら、おそらく流されていたであろう雨に打たれながら歩いた記憶が、あの晩の様子が、今も私の中にあります。

東日本大震災も、忘れないこととして、悲しみと共に記憶されている方も多くいらっしゃることと思います。けれどその記憶は、「忘れないこと」として記憶しているのではなく、「忘れらない」こととして目に焼きついている、心に刻まれていることなんだ!と思います。

「忘れられない」という声から、そういうことを思いました。

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