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2020年3月11日 (水)

2020年3月11日

2020年3月11日(水)午後2時46分 西蓮寺本堂にて、東日本大震災追悼法要厳修。
毎年3月の聞法会は11日に開催していますが、新型コロナウィルスの影響を鑑みて休会に。家族だけでお勤めをさせていただきました。
お勤めの前まで汗ばむくらいの快晴でしたが、お勤めを始めてから雨が降りはじめました。
お勤め後に本堂の正面から空を眺めたら、西蓮寺を覆うように黒雲が立ち込めていて、その周りは快晴でした。まるで西蓮寺だけに雨が降っているような天気でした。
夕方のニュースで気象予報士さんが「今日はお天気日和ですと言いましたが、ごめんなさい」と、雨が降ったことを謝っていました。思いもよらない雨だったのですね。

 🌂

2011年3月11日に発生した東日本大震災の後、「絆」という言葉が旗印となり、人と人とのつながりを大事にしようという雰囲気が出来てきた。と感じたけれど、震災から9年、政治と民衆との距離は開き、経済は疲弊し、自己の主張により他者を傷つける行為が目に余るようになってきた。自分の理解の許容範囲内にいる人とだけつるみ、許容範囲外にいる人びとを排除する。悲しみの色合いが濃くなってきた。
つながりを求める人もいれば、少数者・弱者を排除する人もいる。あたかもそれぞれの思想の人がいるように考えてしまう。けれど、つながりを希求する者と排除の思想を持つ者、それぞれの人がいるのではなく、あい反する両方の顔を、誰もが持ち合わせている。
平和を希求するがゆえに争いが生み出され、排除を思想する者どうしでグループが生まれる。「不安や混沌に覆われた世界」などと外の景色のように語るけれど、その景色を描いているのは私自身だった。
私の外の景色として悲しみの色合いが濃くなったのではない。私(個)の想いを世の中に拡散しやすくなった時代にあって、個と個の色(想い)がぶつかり合い、入り混じっている。そうしてできた色は、決して心落ち着く穏やかな色ではない。それは、心のなかの根本の色が濁っているからというわけではない。平和を求める心、私の想いに賛同してくれる者が集まれば理想的な世界が作れるに違いないと夢見る心。出発点は、清く澄んでいたのかもしれない。しかし、平和の背景には争いがあり、理想的と描く世界の背景には排除が付きまとう。そのような心根を持ち合わせている個と個がぶつかり合い、入り混じれば、必然的に色は濃く濁ってゆく。
この濁りは、人類通じての濁り。濁りの中にいると、私のいる場所が濁っていることにも気付かない。その気付きを与えてくれるのが仏さまの眼差し。仏さまの眼差しをいただいて、過ちつつ過ごしている私自身の姿を知る。

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