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2020年3月 3日 (火)

2020年3月のことば

みなさま こんにちは
新型コロナウィルスの影響で、落ち着かない日々をお過ごしのことと思います。
学校も休校となり、どのように過ごしたらいいのか困ってしまいますよね。
不要不急の外出は避けるようにアナウンスされています。
各種集会が休会を強いられています。状況を考えると仕方ありません。
前回の投稿でも、真宗大谷派の各種集会の休会を載せました。
僧侶仲間と話していたのですが、生活の中で聞法(教えに聞くこと)を、先達は優先的にされてきました。なぜならば、「聞かずにはおれない」「聞法あっての生活」と、生活と聞法が切っても切り離せないものだったからです。そういう意味で聞法は“不要不急”のことではなく、“必要”であり、“今聞かないで いつ聞くんだ‼”ということなのです‼
それほどまでに聞法を、念仏を大切にしてきた方々の姿を思うと、各種法座が休会になること(すること)は、胸の痛む思いです。
ブログでの発信が、少しでも聞法の一端となればいいな。否、聞法と共に生活している方のために発信できれば‼と思います。
この騒動が一刻も早く収まり、平穏が戻りますように。
南無阿弥陀仏

 ☆ ☆ ☆

2020年3月のことば(以下、西蓮寺寺報「ことば こころのはな」の文章です)

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日々を過(す)ごす

日々を過(あやま)

 

 過      吉野 弘

日々を過(す)ごす

日々を過(あやま)

二つは

一つことか

生きることは

そのまま過ちであるかもしれない日々

「いかが、お過ごしですか」と

はがきの初めに書いて

落ちつかない気分になる

「あなたはどんな過ちをしていますか」と

問い合わせでもするようで

 

過(あやま)ちつつ過ごす日々

今月のことばは、詩人の吉野弘さんの詩「過」の一節です。

「すごす」と「あやまつ」。「過」という漢字に、一見関連性のなさそうなふたつの意味が内包されています。生きる、日々を過ごすということは、そのまま過ちであるかもしれない日々。吉野弘さんは、「過」という漢字を見つめて、人間が生きることの背景にある過ちを感じられたのではないでしょうか。

夜、子どもたちの寝顔を見ながら、ふと振り返ります。私は子どもたちとの日々をどのように過ごしているだろうか。過ちの日々を過ごしてはいないだろうか、と。

「過ち(あやまち)」というと、罪を犯すことと思う人もいるのではないでしょうか。すると、「私は罪など犯していない」と、過ちを犯した誰かのこと、つまり他人事として吉野さんの詩やこの寺報を読むことになります。

けれど、実際に罪を犯したならば、罪を犯したという自覚があります(認める認めないの違いはあるけれど)。つまり、私が過ちつつ日々を過ごしているということは、自覚が難しいのです。私が過ちつつ日々を過ごしているなんて誰も思ってもいないでしょうから。

いつか見た光景

今、世界中が新型コロナウィルスの驚異の渦中にあります。日本では、総理大臣から、全国の公立小中高の休校が“要請”され、現場の先生や保護者、誰よりも子どもたちに動揺が広がっています。

ドラッグストアにマスクを見かけなくなって久しいですが、「紙製品がなくなる!」というデマが流布し、ティッシュペーパーやトイレットペーパーまでもが、ドラッグストアの棚から姿を消してしまいました。いつか見た光景だなぁと、振り返ります。

2011年3月11日「東日本大震災」発生。食料品や生活用品、ガソリンなどが手に入りづらくなりました。あの頃も、悲しみに追い打ちをかけるようなデマが飛び交いました。

人間は反省したり、立ち止まって考えたり、軌道修正したりすることが出来る生き物です。ということは、過つたびに反省し、考えて、新たな一歩を踏み出してきたはずです。であるならば、いつも現在(いま)が一番反省修正された最良の瞬間(とき)であるはず…とも思いたいのですが。反省の内容が正しいとも限りませんし、不都合があれば隠したり捻じ曲げたりしますし、同じ過ちを繰り返してしまうのもまた人間です。二度と見ることがありませんようにと願った光景を、人間はまた映し出しています。

過失

東日本大震災発生時、「困ったときはお互いさま」と、日本のみならず世界中の人びとが、被災された方々に救いの手を差しのべられました。
けれど、今回のウィルス騒動は、世界各地で感染者が出ています。世界全体が対策・対応に追われています。そうなると、「困ったときはお互いさま」などと言っていられる状態ではありません。新型コロナウィルスの発生元とされる中国の方に怒りをぶつける様子が、世界のあらゆるところで確認されています。西洋の方から見れば、日本人もまた中国人と同じアジアの人間です。外国で、アジア系の人が差別や暴力を受ける被害も起きています。「ひどいことをするなぁ」「とばっちりだ」と思う人もいるかもしれません。けれど、振り返ってみれば、イスラム過激派によるテロ事件が起きた際、日本人も「イスラムの一部の過激派が起こした事件」という見方よりも、「イスラム教は危険だ」と、イスラム教徒全般に対する差別的な見方をしたのではないでしょうか。そして今もまた、新型コロナウィルスの感染者が確認された都道府県を冷たい目で見てはいないでしょうか。

自分自身が被害に遭ったり、被害に遭うかもしれなかったりというところに身を置くと、気持ちが犯人捜しに向かうのかもしれません。自分の優位性や安全性を確保するために他者を貶めるという過ちを、人間は繰り返してしまいます。

過去

「過ち」は時間とともに薄れてゆきます。「過ち」の事実が消えてしまうということはありませんが、日々を過ごすなかで、あらゆる事柄が上書きされてゆき、古い「過ち」は忘却のかなたに去ってゆきます。だから「過去」というのでしょうか。

けれど、たとえ新しい出来事に上書きされようとも、たとえ楽しい出来事に心奪われようとも、忘れてはいけないことがあります。「生きることは、そのまま過ちであるかもしれない日々」であるということを。

ふと振り返ります。私はこれからのいのちとの日々をどのように過ごしているだろうか。過ちの日々を過ごしてはいないだろうか、と。

 ☆ ☆ ☆

掲示板の人形
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3月、ひな祭りですね。2月、あまりにバタバタと過ごしていたら、ひな人形を飾るのを失念していました。
3月2日、リビングにやっと飾ることができました。
写真の人形は、掲示板用の小さい人形です。お雛様と、かつて奈良公園で買ったシカと、2月に京都に行った際に買った豆シバの人形です。

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