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2020年3月12日 (木)

自粛

先の見えない状態で、なにをすればいいのか、なにをすべきでないのか、なにをしてはいけないのか、誰も分からない。

春の高校野球が中止になったけれど、それも、開催すればよかったのか、今回は中止でよかったのか、正解はない。

開催して、誰か新型コロナが発症すれば、「こんなときに開催するからだ」と文句つけるし、

開催せず、このままコロナ騒動が収束でもしたら、「できたじゃないか。球児の夢をつぶしやがって」とののしる。

各業種、各学校、各家庭の催しも、規模の大小に関係なく、中止か開催か悩まれている時期です。

開催をとがめられることもないし、

休止を非難されることもない…ことなのに、

みんなピリピリしているせいか、言動も棘を持ってしまう。

「自粛」という言葉が耳に入るようになってきた。

「自粛」…東日本大震災の後もよく耳にした言葉だ。

「こんなときだから、今は開催すべきではない」と、多くの大会・イベント・催しが見送られた。

けれど、あのときは、「震災・津波・原発で苦しんでいる人がいるそのときに、助かった我々がこういうことをしては、批判を受けるのではないか」というところに立っての「自粛」だった。

それは、「自粛」、“自ら”控える行為ではない。周りの目を気にしてのこと。

たしか乙武洋匡さんが「自粛ではなく他粛だ」と表現してくださっていたような。

他(周り)の目を、声を気にして、行動を慎む。「他粛」。

現在(いま)もそうなってはいないだろうか。

「周りを気にするな」と言っているのではない(いや、そういう気持ちもあるけれど)。

周りを気にする、ということは、私自身が、誰かのすること(しないこと)に対して至極敏感になり、文句垂れているということ。

それゆえに、他者のすることが気になってしまう。いろいろ制限かけられているときだから、イライラが募って他者にぶつけてしまう。

そのイライラを他者にぶつける態度を「自粛」すればいいのに。

子どもたちが公園で遊ぶことの制限がとかれて、今日は公園で子どもたちが遊ぶ声が聞こえます。
あ、いい声だなぁと、気持ちが和らぎます。

南無阿弥陀仏

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