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2020年3月13日 (金)

忘れないことと覚えていること

ちょっと思うところがあり、『同朋新聞』(真宗大谷派発行)に連載していただいていた「時問自問」の文章を思い返しています。
以下、2018年3月号に掲載された文章です。

忘れないことと覚えていること

今年も3月11日を迎える。震災・津波・原発事故で被災された方々は、今もなお、言い表すことのできない時間の流れの中を過ごしておられることと思います。

友人が仮設住宅へ炊き出しに行き、なにを感謝されるかというと、「忘れないでいてくれること」だと聞く。私も、「忘れないでいてくれてありがとう」と言われたことがある。「覚えていてくれて」ではなく、「忘れないでいてくれて」なのだと噛みしめたものである。「忘れない」と「覚えている」は、意味は同じでも、大きな違いがある。

多くの人は、3月11日を迎え、「あれから〇年か。大変なことがあった」と思い返す。確かに「覚えている」のだけれど、「あの時」という、点としての記憶は、時の経過とともに風化してしまうこともある。

「忘れない」ということは、こころに刻まれているということ。私の人生の土台に、起きた出来事がシッカリと残っている。「あの時から」という、今につながる線での記憶。受けた傷を無かったことにして生きることはできない。起きた出来事の延長線上を生きなければならない。

「こころに刻む」とか「目に焼き付ける」という言葉がある。「刻む」とか「焼き付ける」とは、つまりは「傷」ということ。その「傷」は、被災された方々だけではなく、誰もが受けた「傷」。起きた出来事(風景)を目に焼き付け、起きた出来事に伴う痛みをこころに刻んで生きる。それが、「忘れない」ということではないだろうか。

「覚えている」ということは、記憶を重ねていくうちに埋没してしまう。「忘れない」ということは、たとえ月日を経て記憶が重なっても、常に新しい事実としてこころに残っていることなのだと、私はこころに刻んでいる。

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