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2020年3月31日 (火)

ウィルスは目に見えないけれど、人は目に見えている

一昨日の降雪も昼間にはやみ、夕方には道路も歩道も雪がなくなっていました。
子どもたちが喜んで作っていた雪だるまも、あっけなく溶けてしまいました。
雪だるまが溶けてしみこんだ芝生にからは、青い草が生え始めています。

寺の隣の公園に大きな桜の木があります。
毎朝眺めているのですが、咲いたと思ったら、もう花びらが舞い散っています。
でも、舞い散る一枚一枚もまた美しい。

昨日、朝のお勤めをしようと間衣を着ていたら、志村けんさんの訃報が入ってきました。
「え!?」
新型コロナウィルスによる肺炎で入院されているニュースは聞いていましたが、快復されるものとばかり思っていました。「志村どうぶつ園」に出演されている姿を、また子どもたちと見られるものと思っていました。
そう遠くはないところにお住まいだったので、ワンちゃんと一緒に、あるいはおひとりで散歩をされている姿をたまにお見かけしていました。もうあの姿にも会えないのですね。
南無阿弥陀仏 お朝事は、志村けんさんのことを想いながらのお勤めになりました。

3万人以上の死者が出ている新型コロナウィルス。どの おひとり おひとりも、同じいのちを生きています。特定の誰かだからショックだというのではないけれど、志村けんさんの死は、彼の笑いに救われた人々に鋭く突き刺さりました。

新型コロナウィルスが流行し、世の中「コロナに罹らないように」することに努めているけれど、感染しても発症しない人も多いと聞く。けれど、感染はしているので、自身は発症しなくても身近な人にうつしてしまうことは考えられる。つまり、知らないうちにコロナウィルスをまき散らしているのかもしれない。ということは、罹らないように努めることよりも、「コロナをうつさないように気を遣う」ことが大事というか、そういう意識が必要だと思う。

罹らないようにすることを大事なことと位置付けると、罹った人を非難したり、感染者が出た病院を危険視したりする。そうすることがやがて自分に降りかかってくることが想像できないのだろうか。
自分も罹るかもしれない、罹っているかもしれないと思うことは、他者(ひと)にうつさないように、という意識がはたらく。

今までは他人事だったけれど、もはや他人事ではなくなったのではない。

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