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2019年12月 2日 (月)

2019年12月のことば

2019年も12月を迎えました。
暖かな11月でした。ご本山の報恩講も暖かいなかお参りすることができました。
が、報恩講後半から時期相応に寒くなり、暖かかった分寒さがこたえ、11月末は体調不良に陥りました。寺報を書かねばと思いながらも手に着きませんでした。何とか書き終え、ホッとしています。さて、暮れは印刷所もお休みになってしまうので、新年の寺報も作り始めなければ。
暮れに向かって、皆様体調を整えてお過ごしください。

 ☆ ☆ ☆ 

2019年12月のことば (以下、西蓮寺寺報「ことば こころのはな」の文章です)

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老いも病気じゃないですよ

 

老いも病気じゃないですよ

ネットで次のような投稿に出あいました。

 

優先席で朝から大声でおしゃべり中のおばさん2人組。前に妊婦さんが立ってても

「妊娠は病気じゃないから、年配が座るべきよね」って。

そしたら横に座ってたもっと年配のおじいちゃんが、ニッコリ笑って

「老いも病気じゃないですよ」って妊婦さんに席譲ってた。

おじいちゃんカッコイイ。

 

「老いも病気じゃないですよ」というセリフに感銘を受け、ふと思いました。老いと病気・・・仏教では「生老病死」を「四苦」と教えます。けれど、四苦、四つの苦と教えられながら、「生・老・病・死」ではなく、「生老病死」というひとくくりの苦として捉えてはいなかったか? それこそ、「老いと病気を一緒にしていませんか?」と問われているような気がしました。
「苦」について、あらためて想いを巡らせました。

(しょうく) 生まれること

(所感)「生苦」というと、「自身の、生まれた苦しみ」として受け止めるかもしれません。けれど、虐待のニュースや、妊婦さん・幼いお子さんやその保護者への風当たりの強い現代、「生む」「生まれる」「生きる」ことが苦であるように感じてしまいます。

そもそも、「四苦」の「苦」とは、「苦しいこと」というよりも、「思いどおりにならないこと」を意味します。「生苦」とは、「自分の思いで生まれてきたのではない」「生まれたくて生まれたのではない」という思いを意味します。その思いを出発点として、人として生まれたことの意味をたずねるものです。けれど、思いどおりにならないというイライラを、他者(ひと)への批判や非難としてぶつけてはいないでしょうか。

(ろうく) 老いること

(所感)「老い」というと、いわゆる老人をイメージしがちですが、「老い」とは、すべてのいのちある者に現在進行形で起きている厳粛な事実です。刻一刻と老いている。その事実は、80、90、100歳の方も、生まれたばかりの赤ちゃんも、老いる身を今現に生きていることに変わりはありません。そう考えると、誰もが皆老人です。
若いときは「成長」と呼んで喜び、年を重ねると「老化」と言って抗うのですから、苦しみも深くなります。

(びょうく) 病や痛みの苦しみ

(所感)年が明けると、新年のお参りに出かけ、「健康第一」や「無病息災」を願う方もいることでしょう。けれど、健康を願うあまり、病気になったときの落胆が大きくなることもあります。「今まで出来ていたことが出来なくなってしまった」「健康でなければ生きていてもつまらない」と。

「健康」を願いながら、病気に対する無知や誤解から、病に苦しむ方々への差別心が生じてはいないでしょうか。自身にとって良いことを願うとき、他者の姿が見えなくなることがあります。見えなかったものが見えるようになること。それを「健康」というのだと思う。

(しく) 死ぬことの恐怖や不安

(所感)癌で亡くなられた門徒さんが、生前語っていたことが忘れられません。

「私は死ぬこと自体は怖くないんです。ただ、死ぬまでの間、この癌と共に生きることが怖いんです」と。

死ぬことの恐怖や不安は、生きることの恐怖や不安であることを、その門徒さんの生き様から教わりました。
人(いのち)は、死にゆくものなのか、生き尽くすものなのか。捉え方の違いで、苦の内容も変わります。

 

「四苦八苦」の「八苦」は、「四苦(生老病死)」と「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」をいいます。

(あいべつりく) 愛する者と別れる苦しみ。

(所感)別離という、実際の別れだけでなく、気持ちが離れることも別れでしょう。愛するゆえに憎しみが湧くことがあります。愛が憎しみへと転化する。いや、愛する感情には、憎しみの感情が伴っているのかもしれません。愛憎は、ひとつのものであるがゆえに苦しい。

(おんぞうえく) 怨み憎んでいる者とも会わねばならない苦しみ。

(所感)「愛別離苦」の所感で書いたように、愛に憎しみが伴うならば、憎しみにも愛が伴うもの。怨み憎い奴を、怨み尽くし憎しみきることが出来るならば、それはとても楽なこと。しかし、愛情とは言わなくとも、相手を気遣う気持ちが芽生えることもある。怨み憎い奴なのに、そいつやその家族のことを慮ってしまう。ひとつの感情で生きられたら楽なのかもしれない。けれど、人間はさまざまな感情が複雑に入り混じりながら生きている。「怨憎会苦」は、そんな人間の姿を浮き彫りにしているかのようだ。

(ぐふとくく) 求める物を得られぬ苦しみ。

(所感)求める物が実際に手に入らない苦しみもあるけれど、手に入れてみたら思っていたものと違うという苦しみもある。
地位・名誉・伴侶・家族・財産等々。「こんなはずではなかった」「もっと良いものだと思っていた」「より良いものが欲しくなった」。
人間の欲は、手に入らないときよりも、手に入れてからの方が深くて大きい。

(ごうんじょうく) 心と体が思いどおりにならない苦しみ。

(所感)厳密に言うと、心と体が思いどおりにならないことが苦しいのではなく、心と体への執着が、私を苦しめる。「生・老・病・死」も、それぞれの現象自体が私を苦しめるわけではない。「こうあるべきだ」という執着が、苦しみを生んでいる。
その苦しみを、自分自身の苦しみとして受け止めたならば、「なぜ生まれたのだろう?」「なぜ生きるのだろう?」という人生の問いとして開花するときがくる。けれど、時として自分自身の苦しみを他者への蔑み(さげすみ)や嫉み(ねたみ)として転化してしまうことがある。そのような私の姿に気付いた苦しみが「五蘊盛苦」ではないだろうか。であるならば、「五蘊盛苦」という苦しみを感じずに死にゆくよりも、感じながら生き尽くしたい。

と、ここにも執着が生じている。
「執着」は、決していけないものではない。苦しみを生じさせるとともに、生きていることを痛感させるものでもあるから。

「四苦八苦」も病気じゃないですよ。

~掲示板の人形~
理由(わけ)あって、親と離れて施設で暮らしている子どもたちがいます。そういう施設の子どもたちへ、手作りのサンタクロースをプレゼントしている方が、お寺の近所にいらっしゃいます。
「副住職、お寺さんにサンタさんの人形はおかしいかもしれないけれど、娘さんたちが寺報に描いている絵が大好きなんです。娘さんたちにプレゼントしていいですか?」と声をかけていただき、サンタさんの人形をいただきました。
ありがとうございます。大歓迎でいただきました♡
掲示板にも飾らせていただいています。サンタさんは、サンタさんだけでは意味がないので、子どもの人形も一緒に飾っています^^

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