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2019年11月16日 (土)

今年はどんな年でしたか?

2019年11月16日(土)
自寺での法務を勤め、都内某お寺の報恩講へ出講。
15年も報恩講のお話でお育てをいただいています。
報恩講に参拝される門徒さんとも顔見知りになり、お互いに「今年もお目にかかれましたね^^」って雰囲気のなか、お話をさせていただいています。
そんな雰囲気なので、こちらのお寺での報恩講へは、法話の内容を固めずにうかがいます。
「今年はどんな年でしたか?」とお尋ねすることから始まります。

上がった声は、「台風」「異常気象」。
被災されて、いまだ避難生活を余儀なくされている方々のことを思うと胸が痛みます。
そんな思いをみんなで共有した後、「首里城の火災」という声も上がりました。
形あるもの、実体としてあるものは、建造物も人も、なくなってからその大切さに気付くということがあるものです。誰もが経験されているのではないでしょうか。
「首里城の火災」を通して、首里城そのものの意義だけでなく、“戦争”が残した傷跡・沖縄が“戦争”の地上戦の舞台となってしまったことなどが共に思い起こされます。
建造物も、人も、なくなったときに その大切さに気付く。で、歎く、悲しむだけで済むか? いや、なくなったことを通して感じる、考える、想像するといったことがあるのではないか。感じる、考える、想像するといったことをしてきたのが、宗祖親鸞聖人の死を縁として、今に至るまで勤められている「報恩講」の意味なのではないか。亡き人を偲んで終わる法事ではなくて。だからこそ、親鸞聖人の教えが今に伝わってきた。報恩講が大事に勤められてきたのだと思います。

後半は、もう15年もお育ていただいている皆さんだから・・・ということで、私の身に起きた出来事をお話することを通して法話させていただきました。

人は、目に見えないはたらき・支えによって生きている。自分ひとり頑張れば、自分ひとり耐えれば、自分がなんとかする、などと考えるけれど、それがどれだけ他者(ひと)を傷つけることか。守ろうとした人、助けようとした人に、既に支えられている私でした。喪失感や、どんなに泣いても尽きることがないほど悲しい出来事によって、そんなことに気付かせていただきました。気付けてよかった。

今年の報恩講は、そんなお話をさせていただきました。南無阿弥陀仏

(付記)
法話の後、報恩講のお勤め。お寺の長男さんも出仕されました。40分ほどのお勤めが終わって足がしびれてしまい、立てずに倒れてしまいました。
その場にいるのも恥ずかしいよね。肩を貸してあげて、一緒に下がってきました。
「足、大丈夫? 今日出仕してたお坊さんたちみんな同じ経験してきたから^^」と言って、さよならしてきました。
次の世代に受け継がれているなぁということを感じられて、とても嬉しい報恩講でした(‐人‐)

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