彼の痛みを我がこととして
2019年11月12日(火)
風は強くて冷たいけれど、暖かな日射し
屋外で、寒さを感じながら掃除をして、冬を感じていた午前
屋内で、11月のものとは思えない日射しを浴びながらデスクワークをしている午後
日射しを浴びながら からだが温かくなっていくのを感じながら、見つめることのできない太陽に ありがたみを感じている
からだの温もりを感じながら、
いつものように食事をし、
いつものように子どもたちを送り出し、
いつものように掃除をし、
いつものように仕事をし、
何気ない いつものルーティンが、とても有り難いことだと認識される
今朝、テレビでは、警察に撃たれる香港の若者の姿が映し出されていた
昨日から何度も何度も見ているけれど、見る度に目を疑ってしまう、本当に起きたことなのか?と問うている
けれど、本当に起きてしまったことだ
為政者や権力者に対して声をあげることが、暴力によって封じられてしまう
力を持った者は、権力や暴力によって封じようとするようになる
よその国の出来事ではなく、今、この地球上で起きている出来事
この一件だけでなく、今もこの地球上では争いが起き、争いに巻き込まれている人びとがいて、その争いを、自分は安全な場所から俯瞰している力のある者たちがいる
よその国の出来事ではなく、今、私が住んでいるところでも起こり得る出来事
今朝、テレビで堀潤さんが富士山の映像を見て、「あぁ、最近では特にきれいに富士山が見えていますね」と言っていた
ほんと、綺麗な富士山(の映像)だと思った
日射しを浴びながら、その温もりに感謝し
富士山を見て、あぁ綺麗だなぁと感嘆できる
そのことすら奪われてしまう世の中にしていいのか!
桜を眺めることすらできなくなるんだぞ!?
そのことすら奪いながら手に入れたいものって何なのか?
市民の血で染まった大地に立ちたいのか?
« 同じことを言うにしても | トップページ | 他力の信心うるひと »
コメント