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2019年11月15日 (金)

昨日は、がっつり話し合いをしました

昨日(2019年11月14日)は、僧侶仲間との談合の会(語りあう会)
LGBについて学びました。
Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)の頭文字をとってLGBTと言います。セクシュアルマイノリティ(性的少数者)の総称のひとつです。

昨日は、セクシュアルマイノリティの方とお話して、いろいろとお話を聞きました。
お話していて思ったのは、「セクシュアルマイノリティ」と書いてはいるけれど、どうして少数者とわざわざ表現しなければならないのだろう? どうして少数者と位置付けなければならないのだろう?ということ。

それから、

「LGBT」と表現されているけれど、「X」や「A」もあり、「ノンセクシュアル」もあって、私たち自身もハッキリ言ってわけわからない^^

というお話を聞きながら、どうして分類をしなければいけないのだろう?とも感じました。
分類の必要性というか、理解する過程で分類がなされてきたのだろうけれど、分類が進んでいくと、そこに多様性が見えてくる。同じところに分類されたとして、それでもひとり一人を見ると、さらに違う面もある。それは、のんけ(異性愛者)だって同じ。

「のんけ」(異性愛者)の者も、異性を好きになるということを、誰かから教わってそうするようになったわけではなく、湧き起こる感情として好きになったのが異性なだけ。
同性愛者も、同性を好きになることを意図的にしているわけではなく、湧き起こる感情として好きなるのが同性なだけ。

「受け容れられない」とか「生産性がない」とか言う人がいて、べつにその人たちに理解してほしいとは思わないけれど、自分をマジョリティ(多数者)において、自分の思考のテリトリー外の人をマイノリティ(少数者)と見なすのは悲しくて淋しいことだと思う。

LGBTについていろいろとお尋ねするところから始まったのだけれど、いつの間にか出身地の話や方言の話、食事の嗜好の話で盛り上がっていました。目の前の方がLGBTであろうがそうでなかろうが、それぞれにそれぞれの人生を歩んでいる人間です。マジョリティ・マイノリティで分けられるわけはなく、理解しようとして分類を試みても、分類では表現できない、ひとり一人の人間である。
そういう当たり前のことに、人と話すことによって気付かせていただきました。
南無阿弥陀仏(‐人‐)

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