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2019年9月 8日 (日)

許されないつもりで謝るのか、許されない覚悟で謝るのか

戦争が起きるということは、他者ひとを人と見なくなる環境に身を置くこと。

今、「人が他者ひとを傷つけることはよくない‼️」と叫ぶことができても、戦争の世になれば、言うことがガラッと変わるかも知れない。変わらざるを得なくなるかもしれない。

権力者は、戦地に身を置くことなく、言いたいことを言うのでしょうが、戦地に身を置く兵士は、空腹ゆえ、恐怖心ゆえ、性欲ゆえ、現実逃避行動ゆえ、現地にいる人々の大切なものを奪う行動に出ます。それは。人間ができていないからとか、辛抱できないひとだからとか、そんな話ではありません。
戦地となった所に生きている人々は、生活を、人生を追われてしまいます。

「戦後74年、日本は平和な時代を過ごしてきた」とか、「平成は平和な時代だった」とか言いますが、果たしてそうでしょうか。

「隣国との関係が悪化」などと、マスコミはそれが現実とばかりに報道しますが、かつて起きた戦争の後や、その前後に起きた(お越した出来事により、どんなに謝っても関係回復など望むこともできないことをしてしまったのです。にもかかわらず、お互いの国民は交流を重ね、サッカーワールドカップは共同開催し、現在(いま)でも、政治家同士は争っているけれど、そこに住む人と人とはいがみ合ってはいけないと、交流を、友好関係を築き続けている人と人とがいます。

謝罪は済んだ、補償はした、と誇った顔して為政者は言いますが、
許されるつもりで謝るのか、
許されない覚悟で謝るのか、

その姿勢の違いが顔つき口ぶりからハッキリと出ています。

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