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2019年9月20日 (金)

「当事者とは誰のことか」

2019年9月13~14日
第11回 真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会 富山 に参加して

会場にて徳田靖之先生の本が販売されていたので購入。
『「当事者とは誰のことか」-「らい予防法」廃止からの20年を振り返って-』
真宗大谷派奥羽教区共生研修会でのお話を起こされたものです。

徳田先生は、前回第10回大会の講師。そのときに「当事者とは誰のことか」をお話いただき、とても印象に残っています。
ハンセン病問題を考えるとき、病にかかられた方とかかっていない人、回復者と支援者、関心有る人と無い人など、ふたつの立ち位置で考えがちです。
しかし、そのような立ち位置・見方ではなく、「ハンセン病問題について考える」といったときに、果たして“当事者”とは誰のことなのか。そのような問題提起をいただきました。

差別問題というと、差別する人の“悪意”が問題となりますが、差別とは、決して悪意から生じるものだけでなく、“善意”から生じることもあります。

「救うという意識、気の毒な人たちを救ってあげるという意識の中に、この差別・過ちの根が潜んでいると思うわけです。」

「救う側にいる人間はいつまでも救う側にいて、救われる側にいる人はいつまでも救われる側にいることが前提となっていてその立場が入れ替わるということがありません。」

「日本のハンセン病問題が示している立場という問題、そこにはハンセン病問題に関わる崇高な志を抱いている方たちが、こうした気の毒な人たちを救ってあげるというそういう考え方で手を差し伸べてき続けたということにあるのではないか。」

「ハンセン病問題の当事者ということを考えていく際に、加害者とか被害者とかいう、そういう位置付けを越えてハンセン病問題を考えていく。そこに私はハンセン病問題の当事者ですという考え方が生まれてくるヒントがあるのではないかと思っているわけです。」

自分を“当事者”として考えたとき、それでもまだ自分を救う側において考えがちです。なかなか越えられない壁がある、私自身の中に。二項対立のものの見方がこびりついているゆえ、なかなか越えられない壁が私自身のなかにあります。

同じ人と生まれて、生老病死を見つめる。南無阿弥陀仏

  (「第11回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」のカテゴリー、了)

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