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2019年9月 9日 (月)

南無阿弥陀仏 縦の糸は無量寿 横の糸は無量光(無量の縁)

あるご門徒から
「真宗大谷派は、『同朋新聞』を見ても反原発だ、死刑制度廃止などと書いてあるけれど、そういうことは宗教が触れることではないと思っています。政教分離の原則があるわけですから、政治に口を出すべきではありません。仕事をリタイヤして、宗教に、仏教に関心を持った人が、『同朋新聞』を手にしたとき、せっかく世間のことから離れられると思ったのに、また世間の話だと思われやしないでしょうか。」という声をいただきました。
このブログの昨日一昨日の投稿は、まさに政治に口出ししているから、そのご門徒が読んだら違和感だらけでしょうね。

宗教を突き詰めていったら、いや、突き詰めなくても、教えに少しでも触れたならば、人が生きるということを無視して宗教は有り得ません。ということは、必然政治や経済、ときの権力や社会環境のことにも触れることになります。
逆に考えれば、そういうことに触れずに語る宗教者は、もの凄く研鑚されて世間を離れた方か、門徒さんや檀家さんの反応を忖度される方でしょう。
リタイヤして、そういう話を聞こうと望まれているのかなぁ。人が生きるということに触れずに語られる宗教って、仏教って、どんな教えだろう。私は、聞きたくないなぁ。

それから、“政教分離”とは、政治が宗教に手を加えない、介入しない、権力で押さえつけないためにある原則です。宗教が政治に口を出さないための約束事としてある原則ではありません。

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