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2019年9月17日 (火)

わたしと あなたと あみだ

2019年9月13~14日
第11回 真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会 富山 に参加して

基調講演を聞いていたり、参加者との交流を持ったりしていて、ふと「宗教が原発問題やら死刑制度廃止について語るのは違和感がある」と言った門徒さんの言葉を思い出した。
その門徒さんからすると、ハンセン病問題全国交流集会を真宗大谷派が主催して行なうことにも違和感があるのだろうな、と思った。

親鸞聖人の教えに出遇い、教えを聞き続けていくと、阿弥陀への讃嘆と自己への懺悔が、南無阿弥陀仏として出てくる。
真宗大谷派が原発問題や死刑制度に対して踏み込んだ声明を出し、ハンセン病問題に関わるのは、深い懺悔があるから。その大地(土台)には、阿弥陀への帰依がある。
原発問題や死刑制度、ハンセン病問題等々について意思表示をするのは、なにも時の政府・権力を貶めようとして声を挙げているのではない。教えに触れて自己内省していったとき、そのとき自ずと出てくる声なのだと思う(出て来ないから聞き方が間違っているとか、出て来たから聴聞の仕方があっているとか、そんな話ではなくて)。
この世で起こる様々な出来事について、他者を責めるのでも、他者のせいにして溜飲を下げるのでも、他者を貶めて自分の地位を高めようというのでもなく、ただただ自己の問題として見つめなさいという声が聞こえてくるのだと思う。
自己を見つめたとき、周りの人々が見える。周りの人々が見えたとき、自己が顕かになる。そのとき、阿弥陀というものに手が合わさる。わたしとあなたとあみだの関係が、ある。

社会問題に顔を突っ込むのは、正義の味方ぶって、善人者ぶってのことではない。
この問題は、私自身が引き起こしたものであった、私たち一人ひとりの課題であった。
それゆえ声を挙げるのです。
と、会場に身を置きながら感じていました。南無阿弥陀仏

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