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2019年9月11日 (水)

釈尊の生涯

2019年9月11日(水)西蓮寺聞法会
残暑の中、聞法会にお越しいただき、ありがとうございます。

西蓮寺聞法会では、ご本山出版の『真宗の生活』をテキストにしています。
9月は、古田和弘先生の本『現在を生きる 仏教入門』より、「釈尊の生涯」について学びました。
以下、聞法会レジュメより

お釈迦さまの生涯

誕生 ゴータマ・シッダールタ 4月8日誕生

出家 シッダールタ 29歳

 四門出遊(しもんしゅつゆう)
釈迦族の皇子であったゴータマ・シッダールタがカピラヴァストゥ城の
東門を出ると老人に会い、
南門を出ると病人に会い、
西門を出ると死者に会いました。
いのちあるものには、老も病も死もあるのだと無常を感じられました。
北門から出た時に一人の沙門(出家修行者)に出会い、世俗の苦や汚れを離れた清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになったと言われています。

成道(じょうどう) 釈尊が覚りを開かれた日 12月8日 35歳
さとりの内容を要約することなどできませんが、特に大切なこと2点。
○釈尊は、仏教の発明者ではありません。発見者です。「物事はすべて縁による」という道理を発見され、言葉にされた方です。
○「一切皆苦(いっさいかいく)」釈尊は、苦行によって目覚められたのではありません。すべての人が平等に救われる道は、苦行にはないということに目覚められたのです。また、苦しみをなくすことがさとりではなく、人生そのものが苦しみ(一切皆苦)なのだと感得するところにさとりがあると目覚められました。私たちが生きる日常こそが、さとりを開くのに欠かせない場所なのです。

四苦八苦(しくはっく)
人生における苦しみを四苦八苦と言います。
四苦は「生・老・病・死」
八苦は、「四苦」+「別離怨憎会苦不得」を言います。

たとえば、「死苦」は死ぬ苦しみ。
自分自身の死に対する恐怖という苦しみもありますが、自身の死に対する苦しみよりも、大切な人・身近な人の死によって受ける悲しみ苦しみを「死苦」というのではないでしょうか。他者(ひと)の死を縁として、様々な想いがよぎります。そのように考えると、「老苦」や「病苦」も、自身の苦しみというよりも、人の苦しみを受けて感じる苦なのかもしれません。

「生・老・病・死」そのどれを考えても、私ひとりの苦しみではありません。

「物事はすべて縁による」…関係を持って、人と人とが生きている。だからこそ、私ひとりの苦しみではない苦があります。お釈迦さまは、その苦しみを「一切皆苦」と  言われたのではないでしょうか。

涅槃(ねはん)・入滅(にゅうめつ) 釈尊が亡くなられた日 2月15日 80歳

 自灯明 法灯明(じとうみょう ほうとうみょう)
お釈迦さまが、いまにも亡くなられようとしているとき、お弟子さんたちは悲しみます。
「お釈迦さま、あなたがお亡くなりになられたら、私たちは何をよりどころとして生きればいいのですか。どうか死なないでください」
弟子たちの声に対してお釈迦さまは説きます。
「自灯明 法灯明。私が死して後、私をよりどころとするのではなく、自らを灯(ともしび)としなさい。法(おしえ)を灯としなさい。自己を頼りとし、法をよりどころとして生きなさい。『物事はすべて縁による』『一切皆苦』の現実を見つめ、誰とも代る者のいない私のいのちを生きなさい」と。

あらためて、お釈迦さまの生涯を、仏法を、教えにつどう朋(サンガ)を学ぶ機会をいただきました。

聞法会終了後、参加者みんなで地元の居酒屋に行き、暑気払い(名目名目^^)をいたしました。
美味しい食事をいただきました。

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