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2019年8月

2019年8月 3日 (土)

2019年8月のことば

暑いときは暑さのなかを
寒いときは寒さのなかを

暑さの中でも、日影は涼しいものですね
水分も、こまめに補りましょう
ちょっとのことで、からだへの負担を軽減できます
暑さの中 おだいじに

〔2019年8月のことば〕

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春の風 夏の匂い 木々の色めき

そして今年もまた雪が舞う

そんな日々を好きになれる

あなたとなら季節が巡り始める

    King Gnu Don't Stop the Clocks

 

愛別離苦(あいべつりく)

2019年7月7日、大恩ある住職が阿弥陀さまの元へ還られた。59歳でした。

5月27日、ある会議で場を共にしていた。あの日が、彼女と会話を交わした最後の日となった。いつもと同じ笑顔と声だった。
会議も終わり、「じゃあね」「お疲れさまでした」と、すれ違いざまに手を振り合って別れた。あの顔に、もう会えない。あの顔を、忘れない。

住職が体調を崩されているのは聞いていたので、訃報に接しての驚きはなかった。けれど、その日から住職の葬儀までの日々は、とても長く感じられた。横たわる住職の前に行けば「あぁ、現実なんだなぁ」と、その死を受けとめざるを得ず、寺に戻ると、今自分の居る場所が現実なのか虚構なのか分らない気持ちにも襲われた。
通夜・葬儀が勤まり、白骨となった住職を見届け、寺へ戻った。そのとき、「私は、明日をどのようにして迎えるのだろう?」と、普段考えもしないことが、ふと頭の中をよぎった。
当然のことだけれど、夜が明ければ朝が訪れる。朝、いつもの時間に目が覚め、いつものように掃除をし、いつものようにゴミを出し、いつものように妻と娘たちと朝食をいただいた。日常に戻り、いつもと同じように時間が過ぎてゆく。

悲日常という日常
「日常に戻り」と書いたけれど、では、死は「非日常」なのだろうか?

お釈迦さまは、「生死一如」と教えられた。
生も死もひとつのこと。生と死に境はない。死も含めての生であり、生あるからこその死である、と。

蓮如上人は、「朝(あした)には紅顔ありて 夕べには白骨となれる身なり」とお手紙に綴られた。
朝には夢と希望に満ちあふれ、元気な姿を見せていても、その日の夕方には白骨となることもあるいのちを生きていると、人間の、いのちあるものの厳粛な姿を綴られている。

清沢満之先生は、「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり。」と説かれる。
生きている間のみが“私”ではない。  死もまた“私”である。“私”は、生死を合わせ持ちながら生きるものである、と。

日々の生活の中で、滅多に起こらないことが起きたという意味では、死は非日常かもしれない。けれど、仏さまの教えにふれた者にとって、死は非日常ではなく日常のこと。なんら特別なことではない。
この地上に多くの生があるのだから、死もまた同じ数だけある。ただ、そのことに気付かずに生きているだけ。そのことに目を背けながら生きているだけ。だから、「非日常」と思ってしまう。

ご恩を想えば
彼女の死に直面し、もうひとり、忘れ得ない住職がいる。
その住職は、2008年1月26日、55歳のときに浄土へ還られた。

おふたりの住職から、深く大きなご恩をいただいた。若かりし私のわがままを温かく受けとめ、見守り、いつも共にいてくれた。そのご恩のおかげで、今、私がいる。
私は今48歳。残りの人生、どのように始末をつけながら生きていこう。

おふたりの住職からいただいたご恩を思い返している。けれど、ご恩は亡き人からいただいたものではない。
人は、身近な人、大切な人の死をきっかけとして、亡き人からいただいたご恩に感謝をし、亡き人との別れに涙する。そのたびに「もっと生きていてほしかった」「もっと話をしておけばよかった」「こんなに大事な存在だったんだ」と、再び会うこと叶わぬ状態になってから口にする。
ご恩は、共に生きているときにいただいている。亡くなってからいただいたのではない。亡き人からいただいていたご恩に手が合わさるそのときに、今現にいただいているご恩があることも感じられる私でありたい。

今現にいただいているご恩を感じるということは、「日常」ということ。死が非日常であるならば、ご恩の大切さを感じることも非日常になってしまう。生とともにある死が日常であるからこそ、ご恩をいただいてある身であることを感じることができる。

別れは、淋しい。けれど、別れには、それに先立って出会いがある。出会えたからこそ別れがある。この世に生を受け、数えきれないほどの人との出会いがあるにもかかわらず、その別れに涙し、後悔し、感謝するほどの人が、果たしてどれだけいることだろう。
別れに淋しさを感じ、別れに涙する。それほどのご恩をあなたからいただいていた。そんな あなたに出会うことができた。
「生死一如」であるように「会別一如」の身を生きている“私”。

この暑さ厳しい夏もやがて過ぎ行き、木々は色めき、雪の降る寒さに身を震わせる。冬の厳しい寒さを経るからこそ、迎える春の風に温もりを感じられる。いついかなるときも、あなたがともにいてくれるから。   南無阿弥陀仏

~掲示板の人形~
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7月末、子どもたちと初めてスカイツリーへ行き、展望を楽しんできました。
スカイツリーのショップタウン「ソラマチ」を歩いていて、「鳩居堂」のショーウインドウに飾ってあった“水玉デメキン”に一目惚れして買ってきました。

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