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2019年5月29日 (水)

この世の中、知っていることよりも知らないことのほうがはるかに多いというのに

連続殺人事件が起こると、「犯人の考えていることが分からない」と悶々としたり、「他の人を巻き込まずに、自分だけで死ぬべきだ」と一件正当と思われる意見を述べたりする。
その分からない中で、理解不能の中で、(だからこそかもしれないが、)犯行に及んだ者の考えを推し量ろうとする。報道では、いろいろな肩書きの人が自分の思うところを語っている。
分からないから分かりたいという気持ちは当然出てくる心理だけれど、犯行に及んだ者が死んでしまったいじょう本当のことは分からない。たとえ死ななかったにしても、犯行に及んだ者の理由を受け入れられるだろうか。

今書こうとしたことは、分からないことは、分らないということ。
ネットが普及し、大量の情報が手に入るようになったと言われる。そのことによって、情報が手に入って当たり前という意識が働くようになってしまった。だから、マスコミは事件現場のそばにいた人や関係者にマイクを向ける。けれど、何が起こったのかを知りたい!!のは、実はマイクを向けられている方々かもしれない。現場にはいたけれど、いたからこそ、目の前で、自分の身近で起きたことの真実を知りたい。けれど、知る由もない。
被害に遭われた生徒さんの学校も会見を開いていたけれど、情報を知りたいのは学校の側だと思う。報道陣は「犯行に及んだ人は、学校の関係者という声もありますが?」「犯行予告が来ていたという情報もありますが?」と尋ねていたが、だれからの、どこからの情報なのだろう? 学校側は、関係者か否か確認出来ていない、犯行予告はない、と応えていた。つまり、根も葉もない噂に、報道する側が振り回されている。“真実を伝えるのが使命だ”という使命感からだろうか?  滋賀県で保育園の子どもたちが車に轢かれた事件の際も、すぐに保育園の会見の場を持ち、まるで保育園の側に問題があるのではないか!?と追求する質問が相次いだ。その際、会見のあり方が問題になったばかりだけれど、また同じことを繰り返している。

「正しい情報が入らないのは不利益である」という常識が、余計に物事を複雑化し、真偽定かでない情報に惑わされ、これ以上傷つけてはいけない人たちをさらに傷つけている。今は、事件を調べる勤めの方たちが調べた結果を待つことが肝要ではなかろうか(池袋の事件のように、権力におもねるきらいがあるので、100%信用できるわけでもないのがつらいところですが)。

事件に遭われた方々、ご親族、関係者の皆様のお気持ちは、察するに余りあります。お悔やみを申し上げます。

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