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2019年1月

2019年1月30日 (水)

窮屈な世の中です

昨年9月、福井県の僧侶が僧衣を着て車を運転していたところ、「運転に支障を及ぼすから」と、警察官から反則切符を切られました。
初めての事柄だったと思いますが、その僧侶は違和感を抱き、その方の宗派も抗議を行ないました。その後、全国の僧侶から、僧衣は運転に支障は無い!と、縄跳びやジャグリング等々、動きに支障はありませんよ^^という動画が投稿されました。
恐らく、何のお詫びも無く、反則切符を取り下げるだろうなぁと思っていたら、そのようになりました。2019年1月26日、福井県警は、「違反事実が確認できなかった」として僧侶を検察庁に送致しない方針を明らかにしました。
服装や履き物の規定が周知されていない問題点を指摘する人もいますが、一応規定がある以上、「問題あり」と切符を切られ、「規定が明文化されて、公表もされている」と言われてしまえば、それまでです。今回は、予想以上の反響があり、引き下がったことでしょう。
また、「僧衣でもこんなに動けるよ」アピールも、個人的にはよく分かりますが、今回の問題点は、僧衣でも動けるか否かではないんじゃないかなぁと思っていました。
警察官には反則取り締まりのノルマがあり、そのノルマ達成のために、従来見逃していたところに踏み込んだのではないかなぁと思っています。ノルマに届かない焦りもあったかもしれませんし、警察官の腹の居所が悪いときに捕まるということもあるのではないでしょうか。
そのノルマ制続く限り、あるいは、解釈しだいでどのようにも受け取れる規定がある限り、同じようなことはまた起こるかもしれません。
影に隠れていて見つけた反則に対して切符を切るよりも、普段からあちらこちらに姿を表わしていた方が、反則は減る、危険な運転をする人は減るのではないかなぁと思います。

今日の法務、僧衣を身に着けながら、靴を履いて運転していました。「着物に靴、坂本龍馬みたい^^」なんて思いながら。足袋はいて靴をはくと、けっこう窮屈なんです。ワンサイズ大きい靴を買わなければいけないかな(足袋はいているとき用の靴も売ってるんですけどね)。

2019年1月28日 (月)

まだ道の途中

嵐の休止会見において、「無責任では?云々」質問した内容を聞いていて、腹が立ったけれど、ネット上でも多くの人がその質問内容・記者に腹を立てているので、少しホッとしている。
無責任もなにも、40前の人間が、自分たちの進む道を語りあい、決断したのだから、それを尊重するのが、こちら側の責任だと思います(というようなことを、SMAP解散のときも書いた気がする)。

その、「無責任では?」というような問い(嵐の会見の一件に限らず)が出る背景には、自分の中で受け入れられないこと・突然すぎて飲み込めないことに対する疑問・怒り・焦りのようなものが表出しているのだと感じる。
従来は、身近な者の中での会話によって疑問・怒り・焦りの解消を図ったり、共有したりしていたと思うのだけど、最近は、対象に疑問・怒り・焦り等々をモロぶつける人が増えてきた気がする。
件の質問をした記者は、「無責任と思われたとしたら? そのことによってリーダーの大野さんが悪役になってしまう恐れがないか?」と、自分が発した問いというよりも、そう思う人がいたらどうするか?という体で質問をしていたように聞こえたけれど・・・本当のところは、どちらに軸足を置いているのか分からない。もしかしたら、自分自身の疑問・怒り・焦りを、「世間の人々が」に置き換えたのかもしれない・・・「私はこう思う。そのことについて、お聞かせください」が、質問をするときの丁寧なスタンスかなぁと思う。

それにしても、件の質問に対する桜井さんの対応・回答が素晴らしかった。大人だなぁと思いました。そんな大人な嵐さんたちが、時間をかけて話し合ってきたことなのだから、真っ正面から受け止めてあげたい。

それから、
玉鷲関、大相撲初場所(2019年)優勝おめでとうございます
今場所は多くの力士が怪我をして車椅子で運ばれたり、休場したりするなかで、1151回連続出場は現役最多。2004年初場所の初土俵から1日も休まず、1151回連続出場とのこと。何よりもその記録に驚きました。
おめでとうございます。

2019年1月25日 (金)

言葉になっていないコトバ

「言葉で迷い 言葉で傷つき
同時に言葉で目覚める」

言葉は、
ときに人を傷つけ、
ときに人を助ける

助けるつもりの言葉が傷つけてしまうこともある

何気ない言葉に救われることもある

言葉に迷うのは、
言葉の奥にある、言葉になっていないコトバに気づけないでいるからかもしれない。

コトバに気づけず迷い、
コトバを感じられず傷つき、
コトバに触れて目覚める

2019年1月22日 (火)

鳥は飛ばねばならぬ

2018年大晦日、坂村真民さんの詩と再会し、イレギュラーに貼り替えている第2掲示板の言葉にしました。
新しい年を迎えるにあたり、相応しい詩に出遇えました。
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
     南無阿弥陀仏
(書いた字の列が曲がっている 私の姿勢もこころも歪んでいる証です

『鳥は飛ばねばならぬ』 坂村真民

 鳥は飛ばねばならぬ
 人は生きねばならぬ

 怒涛の海を
 飛びゆく鳥のように
 混沌の世を
 生きねばならぬ

 鳥は本能的に
 暗黒を突破すれば
 光明の島に着くことを知っている
 そのように人も
 一寸先は闇ではなく
 光であることを知らねばならぬ

 新しい年を迎えた日の朝
 わたしに与えられた命題
 
 鳥は飛ばねばならぬ
 人は生きねばならぬ

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2019年1月21日 (月)

おばあちゃん、ありがとうございます

2019年1月20日(日)
昨秋 得度(出家)を受式した長女、初めて法事に出仕。

私が幼い頃からお世話になっているおばあちゃん。
私が京都から寺へ戻ってきたときも喜んでくれたおばあちゃん。
そのおばあちゃんの、旦那様と息子さんのご法事。
「お寺へ来られるのは、もうこれが最後だから」って、しんどい想いをしてまでもお寺に来てくださいました。
(東京では、お寺にてご法事をお勤めします)

控室にて、長女と次女もおばあちゃんにご挨拶
長女、昨秋の得度の報告をしたら、とても喜んでくださいました。
次女は、そのおばあちゃんと同じ字が名前に入っているので、次女が誕生し名前を聞いたときから、とてもかわいがってくれました。

ご法事の準備中、長女に「一緒にお勤めする?」と尋ねると、「うん」と即答。
得度して、報恩講に出仕はしましたが、ご法事は初めて。まだ先のことと思っていましたが、思いがけず一緒にお勤めするご縁をいただきました。

「所作も勤行もまだまだですが、娘も一緒にお勤めさせていただきます」とお断りして、ご法事。
娘には、「分からなくなったら、黙っていていいからね」と言って私の隣に座らせました。

(‐人‐)なむあみだぶつ なむあみだぶつ

緊張するかな?と思っていましたが、伽陀も阿弥陀経も和讃も、すべてちゃんと声を出してお勤めしてくれました。
う~ん、お声明(お経)の先生(私)がいいんだねと思いました

おばあちゃんも、うれしそうでした。
そのお孫さんも、「同じ女性として、誇らしく、頼もしく感じました」と、9歳の娘に向かって気持ちをお伝えくださいました。
大切なご縁をいただき、御礼申し上げます。
おばあちゃん、また会いましょうね

夜、ふと思いました。
住職にとっても、私(息子)と孫と一緒にお勤めして、3代で一緒にお勤めできて嬉しかったんじゃないかなぁって。
そういえば、私が10歳で得度してから数年、永代経と報恩講は、先々代・先代・現住職・私の4代でお勤めをしていました。そんなときのことも思い出しました。

お寺の危機云々を無駄に騒ぐ僧侶がいるけれど、すべきことをきちんとお勤めすることが何よりも大事なことだなぁと、あらためて思いました。

南無阿弥陀仏

2019年1月20日 (日)

「すみません」とは、未決済であるということ

最首 悟(さいしゅ さとる)さん

私は長年、水俣病の調査をするうちに、九州の人たちにたくさんのことを教わりました。そのひとつは、「すみません」という言葉の意味です。これは水俣で教わったことですが、「すみません」というのは、「未決済」であるということなんですね。つまり、やってしまったことの責任を一度に全部取ることはできない、まだ果たしていない責任をずっと背負っていくという覚悟をあらわした言葉です。
だから、例えば公害をまき散らした企業の社長が「もう補償は終わった」なんて言うと、ものすごい反発を食らうでしょう。加害者の方から「終わった」などと言ってはいけないのです。
「すみません」と言うのは、責任の放棄では決してないのです。そのこととずっと向き合って生きていくということなんですね。

(真宗大谷派発行 『同朋』 2018年12月号 対談 最首悟さん・宗由美子さんより 

2019年1月19日 (土)

あれから12年

西蓮寺掲示板の人形
1月は毎年、十二支のお手玉人形を並べています。
その他に、今年は亥年なので、おそらく雄と雌のイノシシが着物を着て座っている人形も飾っています。

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この人形、実は12年前の亥年(2007年)に飾った人形です。
年月が一回りしたということなのですね。
その前年(2006年)の暮れに、1月に掲示板に飾る人形を買いに、巣鴨へ行ったことを覚えています。
あぁ、もう12年経つのですね。
自分は亥年生まれなので、余計にこころに残るのでしょうね。

先日(1月16日)西蓮寺聞法会新年会を開催しました。
家族も含めて20人の参加。そのうち6人が亥年でした!! 亥年率高っ!!
ぶつかり合わないように、仲良く行きましょう(生きましょう)!!

2019年1月18日 (金)

思考停止に陥る前に

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市 辺野古 移設の賛否を問う県民投票(2月24日)の実施を宜野湾など5市が拒否していることに抗議し、「『辺野古』県民投票の会」の元山仁士郎代表(27)が、沖縄県民投票の投票事務を拒否している5市の首長に県民投票への参加を求めるハンガーストライキを宜野湾市役所前でされています。1月17日で3日目を迎えました。元山さんは水しか口にされていません。
「「『辺野古』県民投票の会」は昨年5月からの2カ月間で約9万人分の署名を集め、県に県民投票条例の制定を求めました。条例は昨年10月に県議会で成立しましたが、宜野湾・沖縄・うるま・宮古島・石垣の5市の市長が、実施に必要な予算案が市議会で否決されたことを理由に「実施しない」と表明しています。
元山さんは、「県民みんなで県民投票をやりたいという思いが強い。できるかぎり続けたい」と語られています。

県民投票を実施しない市の市長は、県民投票が辺野古移設の賛否、つまり「二者択一」の投票に問題があると理由を説明します。
確かに、人間の思いは複雑で、単なる賛成・反対だけでなく、賛成だけど反対、反対だけど賛成という揺れる想いの人もいることでしょう。人の数だけ想いがあります。また、二者択一の、地域の住民投票・県民投票・国民投票などは、そこに生きる人たちの分断を生みかねません。そこをうまく利用して、政治やお金の力で分断を生み、原発を立地してきたことは、この国の歴史が物語っています。
けれど、「二者択一に問題あり」といいながら、「これ(辺野古移設)しか方法がない」と、選択肢も何も用意せずに県民に押し付けているのが辺野古への移設問題ではないでしょうか。
「二者択一どころか、ひとつを押し付ける姿勢に問題がある。県民の皆さん、国に訴えるからもうしばらく時間をください。ハンガーストライキはやめて、健康に留意してください」と、市長さんは言えないものでしょうか。見ている方向の違いで、言葉も違ってきます。

そういえば、兼高かおるさんが、「“これしかない”という発想は思考停止を生む」と仰っていたことを思い出しました。

2019年1月17日 (木)

24年

2019年1月17日 阪神淡路大震災(1995年)から24年。
当時、神戸ではなく京都に住んでいたけれど、それでも大きな揺れを感じた。午前5時46分、大きな揺れで目を覚まし、しばらくボーッとしてからテレビをつける。
あの高速道路が倒れた映像が流れていた。
24年・・・年月の流れを想う

2019年1月16日 (水)

本筋以外での気苦労が多すぎる

2019年1月16日(水)
朝、テレビを見ていたらニュース速報のテロップが表われる。
「あ、決断されたかな」
速報の内容が表示される前に、内容は予想できた。
大相撲 横綱 稀勢の里関 引退・・・決断されたのですね。横綱として、その勝ち負け以外の重圧に苦しまれていたのではないかとお察し致します。お疲れさまでした。ありがとうございます。

ニュース速報のテロップでも、その後のニュース(を読む内容)でも、「横綱の稀勢の里が引退を表明。これで、19年ぶりに誕生した日本出身横綱は、2年でいなくなることになります」といった内容で報道される。
「横綱 稀勢の里関引退」だけでいい内容なのに。
「日本出身」の文言についての疑問は、以前も書きました。
大相撲のみならず、他のスポーツ界も、芸能界も、芸術の世界も、経済界も、日常の生活においても国際化・グローバル化が進み、海外から日本に来られ、日本で活躍している方々が多くいます。その中で、横綱 稀勢の里が誕生するまで、多くの人が「日本人の横綱が誕生して欲しいですね」と語る。
以前はマスコミも「日本人力士の優勝を」「日本人の横綱誕生を望む」と表現していたと記憶しています。
2012年の5月場所で旭天鵬関が優勝しました。旭天鵬関はモンゴルの出身です。しかし、旭天鵬関は2004年1月に日本国籍の取得を申請し、同年6月22日に日本国籍を取得して日本に帰化されました。つまり、日本人力士なのです。けれど、「待望の日本人力士の優勝!!」などと騒がれず、以降も「日本出身力士の優勝が待ち遠しいですね」とか「日本出身力士が横綱に昇進して欲しいですね」などと語られ始めました。
そんな歪んだ自国愛が、稀勢の里関を横綱に押し上げたのではないでしょうか。横綱昇進前の場所では、優勝を果たしましたが、その前の場所は12勝3敗。立派な成績ですが、「2場所連続優勝かそれに準ずる成績」が横綱昇進の目安なのに、「ちょっと甘いんじゃないか?」という声も、稀勢の里関が横綱になる際、多々挙がっていました。ご記憶でしょうか? 稀勢の里関の横綱昇進にケチをつけているわけではありません。そこに至るまでのコンスタントな成績を見れば、納得もできることです。ただ、他の力士、海外出身の力士が同じ成績を納めていたとして、横綱に昇進していたでしょうか。もう1場所様子を見よう、ということになっていたのではないかと思うのです。つまり、「日本出身力士」を望む声に応えて誕生させたのが横綱稀勢の里関だったのです。
相撲が大好きだった稀勢の里関が、土俵外の、自分の努力でどうこうするところでない力によって、引退までの時間が縮められてしまった気がして気の毒です。

稀勢の里関、ありがとうございます

2019年1月15日 (火)

哲学をやる動機

2019年1月12日 哲学者の梅原猛さん逝去
親鸞聖人や『歎異抄』についての書物を著わされていたことは知っていましたが、読んだことがありませんでした。お亡くなりになった報道で経歴や思想に触れさせていただき、凄い方がいたのだなぁと感じました。

<梅原猛さん死去>憲法9条「人類の理想」 戦争反対訴え続ける 梅原さんは、戦争反対の姿勢を貫いた哲学者だった。故小田実さんや故井上ひさしさんらと共に市民団体「九条の会」設立の呼び掛け人に名を連ね、人類の理想として憲法9条の意義を訴えた。 16歳の時に太平洋戦争が始まり、常に死を意識せざるを得ない青春時代を過ごした。勤労奉仕先の名古屋の工場で空襲に遭った時には、弾が命中した防空壕に入っていなかったため、九死に一生を得た。だが、共に働いた多くの学生が死亡したという。 「負ける戦争でなぜ死ななきゃいけないのかという深い懐疑が、哲学をやる動機になった」と語っていた梅原さん。憲法9条には「人類の未来の理想が含まれている」と指摘し、その理想を否定すれば、日本は“普通”の国になってしまうと危機感を募らせていた。 表現の場でも平和を追求した。反戦をテーマに書いたのが、2003年の新作狂言「王様と恐竜」。国内だけでなく、パリでも上演し、好評を博した。同年、京都市を中心に活動する文化人や芸術家がイラク戦争反対などを訴えて発表したアピール文の賛同者の一人にもなった。 梅原さんは17年5月、初代所長を務めた国際日本文化研究センター(京都市)の創立30周年を記念して講演。「平和の伝統を日本は引き継がなくてはならない」と力強く話した。 (「河北新報」2019年1月15日配信より)

2019年1月14日 (月)

名を継ぐ

歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが、2020年に13代目 市川團十郎 白猿を襲名することが 1月13日 松竹から発表されました。2020年5月から7月に東京・歌舞伎座で襲名披露公演を行うとのこと。また、あわせて海老蔵さんの長男 勸玄さんも 8代目 市川新之助を名乗り同公演で初舞台を踏みます。

襲名おめでとうございます
襲名する、名を継ぐということは、その世界で生きていく覚悟ができたということの表われだと思います。大変なことだと思います。
でも、中村勘九郎さんが仰っていたことが印象深いです。父勘九郎の姿を一番身近で見ていて、歌舞伎の素晴らしさ 難しさ 奥深さを肌で感じていました。そうすると、「自分もやる!」という気持ちが自然と芽生えてくると。(正確な文言ではありません)
伝統芸能の世界において、一流の技を一番近いところで毎日のように見ることができる。そうすると、自分もこの世界で生きて行くんだ! 自分こそこの世界で生きねばならないんだ!って、義務とか責任とかという話ではなく、身心の奥底から湧いてくるのだと思います。
きっと市川海老蔵さんも、長男の勸玄さんも、伝統の世界で生きる皆さんも同じ気持ちだと思います。

伝統芸能の世界では、世襲を好意的に受け止めていただけますが、僧侶と政治の世界においては、世襲というとあまり良い受け止めはされません。何の問題意識も無く後を継いだと思われるのでしょう。また、そう思わせてしまう生き方をしているからでしょう。
後を歩んでくれる人が、「この人の姿を見たから、私もこの道を行く!!」と誓願されるような生き方をしたいと思います。その影響力や周りに響かせる力は、後を継ぐ人だけでなく、すべての人に届くはずだから。

2019年1月13日 (日)

昔から現代へ 現代からこの先へ

2019年1月12日 女優・声優の市原悦子さん逝去
私の中では、なんといっても「まんが日本昔ばなし」の声優さん。
昨年7月18日に亡くなられた常田富士男さんと2人で何役も声を出しながら、昔話を伝えてくださいました。
お育てをいただきました。ありがとうございます。

「集団的自衛権を使う事が認められましたね。『自衛』とか『戦争の抑止力』とか信じられない。原発事故への対応もあやふやなまま、国は原発を輸出しようとしている。被爆者、水俣病患者を国は救済しましたか? 『国民の命と財産を守る』と言っても空々しい。先の戦争で犠牲になった300万人の方々がどんな思いで死んでいったか。戦争によって人の心に何が起こったか。それを知れば、私達がこの先どうすべきか見えてくると思います」 (2014年「朝日新聞」インタビューより)

2019年1月12日 (土)

「平和を保つには、まずは『違う』ということを認め合うこと」

2019年1月5日 ツーリストライターの兼高かおるさん逝去
1959年から1990年までTBS系列で「兼高かおる 世界の旅」出演・ナレーター・ディレクター・プロデューサーを勤められていました。取材した国は約150ヵ国、地球180周の移動にもなるそうです。お恥ずかしい話、お亡くなりになるニュースを聞くまで、兼高さんのことも番組のことも存じ上げませんでした。
多くの国々を旅行され、「知らないことを知ることができるのが、旅行の素晴らしいところ」と仰っている過去の映像が印象的でした。

先日、90歳で亡くなった旅行ジャーナリストの兼高かおるさんは「これしかない」という言葉が好きでなかったそうだ。強い言葉だが、考えの幅を狭め、自分の可能性を試そうとしなくなるからだ▼1990年まで約30年間続いた紀行番組「兼高かおる 世界の旅」でも、事前のシナリオを用意せず、状況に応じて現地の今を伝える臨機応変の姿勢を貫いた。海外に出れば何が起きるかわからないため毎年遺書を書いていたという▼番組が始まったのは海外渡航が自由化される前。外国旅行がまだ高根の花だった時代に、多くの日本人は兼高さんが上品な語り口で案内する外国の文化や生活に触れ、異国への夢を膨らませた▼北極や南極にも出かけ、総移動距離は地球180周分に及ぶ。市井の人々との出会いを大切にし取材ではまずその国の習慣やタブーを聞き、守ることを忘れなかった。相手を不快にしないよう自分に課したマナーだった▼戦争の悲惨さも何度か見た。「旅をして他国を理解すれば親しみが生まれ、戦争する気はなくなりますよ。イラクの古代遺跡は人類の宝です」と自分の目で直接見て感じる大切さを説き続けた人でもあった▼「平和を保つには、まずは『違う』ということを認め合うこと」。兼高さんが長年の旅から学んだことの一つだ。 (「京都新聞」1月11日配信)

2019年1月10日 (木)

笑顔を届けたい

2019年1月10日 午前6時 兵庫県西宮市のえびす宮総本社にて恒例の「福男選び」がありました。
一番福を勝ち取った男性は、「みなさんが1年間 笑顔 で過ごせるように福を授けたいです」とインタビューに応えていました。
その笑顔を見て、笑顔って大事だなぁって感じました。

その報道をする番組を見終えて、朝の掃除に。
外に出ると、顔もこわばるような寒さでしたが、笑顔でいると、顔も身体もこころも温かくなりました。気のせいでしょうか? でも、しかめっ面しているよりも、笑顔でいる方が身体が動く気がします。

「カラ元気も元気のうち」という言葉が好きなのですが、「カラ笑顔も笑顔のうち」と言えるかもしれません。
カラ笑顔でも、笑顔でいれば、気持ちが前向きになります。

2019年1月 9日 (水)

イノシシ年だけど、ゆっくりいきましょう^^

最近、京都へ行く機会が多く、当然東京駅の利用も増えた。
東京駅でエスカレーターに乗ると、手元のベルトがピンクで、かわいらしい動物のイラストが描いてある。
JR東京駅では、昨年12月中旬から「エスカレーターで歩行しないで」と呼びかけている。
個人的には良いことだと思う。2人並べるサイズなのに、片方は歩かない人、もう片方は歩く人用に使われてきた。それが整然となり立っているのも、日本人の真面目さかとも思うが、ふたりずつ乗った方が、実は運搬能力として早いのではないかと、常々思っていた。
歩かない人の方は長蛇の列ができ、もう片方を歩く人がホイホイ歩いてゆく。実は、歩く人の数って知れているのではないだろうか。歩かずに乗る方が列ができているゆえに、やむを得ず歩いている人もいることでしょう。
「急いでいる場合、片方が空いてないと困る」という声もあるそうだけど、そもそもエスカレーターも動く歩道も、歩くためのものではないのではないだろうか。それに、「急いでいる場合」とは、その人の都合にすぎない。約束の時間に遅れそうなのかもしれない。その焦りは痛いほど分かる。でも、それは個人的事情であって、公共の場において「急ぐ場合もあるので、エスカレーターの片方は空けておいてくれ」と懇願する理由にはならない。
それに、下りのエスカレーターを歩行していて、歩き損ねて下まで転がっていった人を見たことがある。
エスカレーターの歩行は危険です。歩かずに乗った方が安全です。余裕を持って、行動しましょう(と、自分にも言い聞かせる)。

東京駅のエスカレーター、みんな守って乗っていました。移動で疲れた身体でも、みんながルールを守れば、気持ちが落ち着くものですよ。

2019年1月 4日 (金)

改めるべきものが他にあるのではないだろうか

「平成」の、次の元号の発表は4月1日。発表から5月1日の改元まで一ヵ月。
今上天皇が生前退位の意向を示されてから、その時期が検討されてきた。
たしか、改元に伴うさまざまな混乱を避けるため、新しい元号を早めに発表すると、政府は語っていたような記憶が。結局、一ヵ月前の発表。そうなると、早めの発表の意味が無いような・・・。
ひとりの人間の人生が政治によって弄ばれているように感じるのは私だけだろうか

2019年1月 3日 (木)

地方創生

政府の地方創生政策の出発点として、全国の市町村が独自で作った地域再生の基本計画「地方版総合戦略」の七割超が、外部企業などへの委託で策定されていたことが分かった。委託先は東京の企業・団体が過半数を占め、受注額は少なくとも二十一億円超に上ることも判明。地方自治を研究する専門機関による初の全国調査で浮き彫りになった。
(「東京新聞」2019年1月3日朝刊より)

地方創生が進んで人口が分散すれば、働く場所ができ、仕事も生まれ、居住環境も変わってくると思う。けれど、東京一極集中を止める目的で始めた地方創生のお金が、結局は東京に流れ込んでいる。すでに重度の一極集中が進んでいる証だ。
昨年暮れ、政府与党は人手不足を理由に「外国人材拡大法案」を強行に通した。
外国の人材を受け入れること自体は、当然の流れだと思うが、政府与党が強行に推し進めた「外国人材拡大法案」は、安い賃金で外国の人材を働かせようという意図が見え見えだ。
外国から来る人々が不幸になる。そして、外国から来る人に職を奪われると懸念する声も聞こえたけれど、それ以前に地方創生に本気で取り組まないゆえに職が無かったり、地方が疲弊してしまっている。
さまざまな事情で、働きたくても働けない人びとがいる。地方創生が本気ならば、仕事や住環境が生まれ、働ける人々が増える、つまりは人手不足を理由にする状況も、今よりは解消されるのではないだろうか。

2019年1月 1日 (火)

2019年1月のことば

2019年1月1日 8時に修正会をお勤めし、新しい年をお迎えしました。
本年もよろしくお願い致します。
2019年1月の掲示板のことばは、昨年10月26日に還浄された近田昭夫先生からいただいたことばを掲示させていただきました。
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2019年1月のことば
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 ヒトノタメとも読めますが、
 ヒトノナスとも読めますね。
            近田昭夫

近田昭夫先生
昨年10月26日 真宗大谷派顕真寺前住職 近田昭夫先生が満86歳にて還浄されました。
法名 浄風院釋廣昭

西蓮寺永代経法要や聞法会でもご法話をいただきました。親鸞聖人の教えに真剣に向き合い、自分の言葉で飾らずにお話をされる先生でした。
近田先生には、この寺報「ことば こころのはな」をお送りしていました。先生はいつもお葉書をくださいました。
40歳近く年の離れた私の文章を丁寧に読んでくださり、ご自身の気づきを葉書にしたためてくださいました。そのお姿と手元に遺った葉書は、教えそのものです。親鸞聖人の教えが、先生を通して私に伝わりました。
近田先生、ありがとうございます
 
ヒトノタメ
かつて寺報の文章に書きました。

「人(ひと)の為(ため)と書いたら、偽(いつわり)という字になりました」

どのように受け止められますか?
子どもに注意しているとき、ふと思い出すことがあります。「これって自分が子どものときに言われてたなぁ」って。
「静かにしなさい」
「落ち着きなさい」
「キチンと挨拶しなさい」
あれはダメ! これはダメ! ああしなさい! こうしなさい!
親としては子どものためを思っているつもりでも、果たして本当に子どものためを思って言っているのだろうか。自分にとっての常識を子どもに押し付けてはいないか。周りの目を気にして、子どもの感情や動きを抑えてはいないか。
「あなたのため」という気持ちで発する言動は、本当に「あなたのため」なのだろうか。自分の価値観を中心に置いてはいないか。自分が満足感を得るためではないか。本心はどうあれ、「あなたのため」と思っているあいだは、自分自身を問うことがありません。
「人の為」という気持ちには、「偽」が潜んでいる。そんな気付きが大切だと思いながら書いた言葉でした。

ヒトノナス
そのとき、先生からの葉書には、

「偽という字は、
ヒトノタメとも読めますが、
ヒトノナスとも読めますね」

と書いてありました。葉書を読みながら、胸がチクリと痛みました。
私が為すことは、すべて自分で考え、決断し、行動していると思いがちです。けれど、ここまで生きてきて、私が為したことなど、なにひとつありません。
お釈迦さまは「縁起の道理」を説かれました。この世のいのちや物事、すべての事柄は縁によって成り立っている。あたかも自分で考えて行動しているかのように思い込んでいる行為も、すべて縁に催されてのことです。すべてのいのち さまざまな事柄が絡み合い、その縁によって、私が私となっています
私が縁をいただいているのではありません。縁によって私ができているのです。
自分のことは自分で為しているように思っている。けれど、それが為せるようなご縁があってのことです。そのようなことに想いを馳せることなく、自分の頑張りで生きてきたつもりでいる姿を「偽」と言われたのではないでしょうか。
先生は、そんな「偽」の生き方を否定するのではなく、「有為の奥山(道もなく、越すのも困難な奥山)を歩んでいるわたしです」と結ばれていました。

自分へのクエスチョンマーク
先生は「瞻仰(せんごう)」ということをとても大切にされていました。「瞻仰」とは仰ぎ見るということです。先生は仰っていました。

仏さまに合掌礼拝している方を見ていると、すぐに頭を下げます。礼拝するのに、すぐ頭を下げればいいというものではないと思うのです。せっかくご本尊を仰ぎ見、礼拝するのですから、目線を合わせて、仏さまのおすがたを拝見し、そして拝む。このことを「瞻仰」と言います。仰ぎ見るということは、仏さまの眼に私の目線を合わせるということです。仏さまと目線を合わせるお参りの仕方が身についてきますと、あるとき、ふっと気づくことがあるのです。 「私はこうやって向こうにいる仏さまを拝んでいるけれども、仏さまから見られると、私はいったいどうなっているのかな」ということに。 人間というものは、どんな人でも、 いつの世の人でも、自分の目線、自分の考え方にクエスチョンマークをつけたことがないのです。そのことを、本当に 目覚めさせて救おうというはたらきかけをしてくださっているのが、(阿弥陀)如来さまのはたらきなのです。 (『真宗のご本尊』真宗大谷派東京教務所発行より要出)

自分の目線や考え方にクエスチョン マークを付けたことがない私とは・・・。「あなたのため」と言いながら、自分の価値観に疑いを持たない私。ご縁をいただいてある私なのに、自分で物事を為していると勘違いしながら生きている私。「ヒトノタメ」「ヒトノナス」、まさに「偽」を生きる私でした。
ご本尊を仰ぎ見て、視線を合わせ、拝む。そのことは、自分自身の姿を照らし出していただくことでした。「真」なるものに照らされて、「偽」である私があぶり出されます。  南無阿弥陀仏

   

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