« 西蓮寺報恩講2018 | トップページ

2018年11月 7日 (水)

ぼくが他人に与えた苦しみ

Dsc_2282


ひとつだって無駄にしちゃぁいけないんですよと、
ぼくらは子供のころ、
くりかえして言われたものだ。
それはパンとか蠟燭のことだった。
今、ぼくらが無駄にしてはいけないのは、
ぼくが味わった苦しみ、
ぼくが他人に与えた苦しみだった。
フランソワ・モーリヤック 『ありし日の青年』より)

フランソワ・モーリヤックの文章を教えていただいたのは、遠藤周作さん(の本)から。

この言葉を読んだ時、思わず「これだな」と思った。私の会得したものがそのままここに書かれていると知ったからである。 ひとつだって無駄にしちゃいけない---と言うよりは、我々の人生のどんな嫌な出来事や思い出すらも、ひとつとして無駄なものなどありはしない。無駄だったと思えるのは、我々の勝手な判断なのであって、もし神というものがあるならば、神はその無駄とみえるものに、実は我々の人生のために役に立つ何かをかくしているのであり、それは無駄どころか、貴重なものを秘めているような気がする。これを知ったために、私は「かなり、うまく、生きた」と思えるようになった。 (遠藤周作 『生き上手 死に上手』より)

遠藤周作さんの本を読んだとき、思わず「これだな」と、私は想った。

« 西蓮寺報恩講2018 | トップページ

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 西蓮寺報恩講2018 | トップページ

フォト
2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ