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2018年10月

2018年10月31日 (水)

正しさと正しさとが相容れないのは いったい何故なんだ?

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もしも私が全て正しくて
 とても正しくて周りを見れば
世にある限りすべてのものは
 私以外は間違いばかり
もしも貴方が全て正しくて
 とても正しくて周りを見れば
世にある限りすべてのものは
 貴方以外は間違いばかり
辛いだろうねその一日は
 嫌いな人しか出会えない
寒いだろうねその一生は
 軽蔑だけしか抱けない
正しさと正しさとが相容れないのは
 いったい何故なんだ?

中島みゆき 「Nobody is Right」

2018年10月30日 (火)

ありがとうの一声は、かけられた方も、かけた人の人生も、豊かにしてくれます

この夏は、まさに射すような陽差しの夏でした。
西蓮寺門前にバス停がありますが、バスを待つ方が陽差しを遮るものが何もありませんでした。
あまりに過酷な状況だったので、お寺にあるテントを立てました。

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ところが、この夏は台風の襲来がたびたびありました。
テントが吹き飛んではいけないので、台風接近の天気予報の度にテントを畳んでは、台風が過ぎてからまた立て直す作業を繰り返しました。4回目の畳む作業のとき、住職(父)がテントの骨組みに引っかかって転んでしまいました。結局、その痛みで正座ができなくなってしまいました(今は完治しています)。
で、もう少し簡単に組み立て・片付けが出来るテントはないかと探し、最近イベント等で使われるものを見つけて即購入しました。

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組み立て作業に慣れるまで大変でしたが、従来のテントよりは少しは楽になりました。どちらにしろ、最低2人は必要なのですがcoldsweats01
でも、テントが陽差しを遮ってくれたので、バス待ちの皆さんからは「助かります」「ありがとう」と声をかけていただきました。こちらこそ ありがとうございます。

9月の秋彼岸が終わるまでテントを立て続け、その後しばらく掲示板に感謝の想いを綴りました。

 射すような陽差しの夏
 バス停に張ったテント
 「ありがとうございます」って声をかけてくれて、“ありがとう”。
 とても嬉しいです。
 ありがとうの一声は、
 かけられた方も、
 かけた人の人生も、
 豊かにしてくれます。
 一声が人生を変える。
 有り難う

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2018年10月29日 (月)

人は必ず死ぬというのに

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「死ぬときぐらい好きにさせてよ」
人は必ず死ぬというのに
長生きを叶える技術ばかりが進歩して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。
せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。
 樹木希林(宝島社企業広告)

(追記)
2018年10月29日(月) 上記企業広告を出された宝島社が、「読売新聞」と「朝日新聞」に樹木希林さんの言葉を添えて企業広告を出されました。(宝島オンライン
 読売新聞 「サヨナラ、地球さん。」
 朝日新聞 「あとは、じぶんで考えてよ。」

2018年10月28日 (日)

おれは助けてもらわねェと 生きていけねェ自信がある!!!

西蓮寺には、毎月1日に張り替えている法語掲示板の他に、ふたつ掲示板があります。
そのふたつの掲示板には、本山(東本願寺)や東京教区・東京五組のポスターを貼ったり、寺報を貼ったりしています。宣伝用ですね。
けれど、秋彼岸前にふと思いつきました。この2つの掲示板には、心に響いたことばをリアルタイムに貼ってみよう!って。
で、今年の秋のお彼岸から、イレギュラーに言葉を貼っています。法語掲示板とは違った雰囲気に、「副住職、面白いことはじめたねgood」の声もいただきました。
法語掲示板(掲示板1号)のことばは、西蓮寺の前を通るバスの中からでも読める程度の分量のことばを選んでいますが、掲示板2号3号に貼る言葉は、わざと長めの言葉を選んでいます。立ち止まって読んでもらって、いろいろと感じてもらえたらいいなと思っています。

 pencil pencil pencil

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俺は剣術も使えねェんだコノヤロー!!!
航海術も持ってねェし!!!
料理もつくれねェし!!
ウソもつけねェ!!
おれは助けてもらわねェと
生きていけねェ自信がある!!!
 「ワンピース」 モンキー・D・ルフィ

Aさんは○○ができて、
Bさんは□□が得意で、
Cさんは△△が素晴らしくて、
自分は何もとりえがないなぁ・・・
なんて落ち込んでしまう、自己嫌悪の日々だけど、でも、きっと私には私なりの役割がある。
Aさんは、Bさんは、Cさんは、あなたの◎◎なところを頼もしく思っているかもしれない。
自己評価して落ち込むよりも、助け合わないと生きていけない私たちなんだって気付くことが大切なことだと思う。
あなたがいるだけで、私はうれしい。
そう思われている あなたであるかもしれない。

2018年10月27日 (土)

読書週間

今日10月27日から2週間、「読書週間」です。
以下、「公益社団法人 読書推進運動協議会」HPより

読書週間の歴史 終戦まもない1947年(昭和22)年、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているなかで「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回『読書週間』が開催されました。 そのときの反響はすばらしく、翌年の第2回からは期間も10月27日~11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ、この運動は全国に拡がっていきました。  そして『読書週間』は、日本の国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。  いま、電子メディアの発達によって、世界の情報伝達の流れは、大きく変容しようとしています。しかし、その使い手が人間であるかぎり、その本体の人間性を育て、かたちづくるのに、「本」が重要な役割を果たすことはかわりありません。 暮らしのスタイルに、人生設計のなかに、新しい感覚での「本とのつきあい方」をとりいれていきませんか。

 『読書週間』が始まる10月27日が、「文字・活字文化の日」に制定されました。よりいっそうの盛りあがりを、期待いたします。

2018年10月21日 (日)

ある意味ホラーより怖かった

ある日、ある電車の始発駅から電車に乗る。そんなに乗る人もなく、多くの席が空いている。
そんな中、ドアの横に立っている女性が。発車前からうつらうつらしている。手にはTDLの袋が。朝早くから遊びに行ったのかな、眠たいんだねぇと察してみる。
電車も出発し、その女性は立ったまますでに眠りの世界に。
座席に座りながら眠りに就き、舟をこいでいる人はよく見かけるけれど、立ったまま寝る方は、あまり見たことがない。
突然、紐で操るマリオネットを急に下に下げたかのように、彼女がガクンッと身を崩した。
座席で眠りながらカクンッとなったとき、恥ずかしさを取り繕いながらも、しばらくは起きていようと努めるのだけれど、その女性はガクンッとなって目を覚ました次の瞬間にはもう寝ている。ずっとその繰り返し。私だけでなく、車内のすべての人が彼女の様子を気にかけている。いまだ席もたくさん空いている。なにゆえ座らないのだろう。みんなそう思っていたのではないだろうか。
あろうことか途中でスマホを手にし、で、また寝ている。 ゴツンッ ゴツンッ。スマホを落とす音まで車内に響き始めた。
ずっと彼女が立っているのとは反対側のドアが開いていたのだけれど、ついに彼女の側のドアが開く駅に。手にスマホ、彼女自身も寝ながら立っている。みんなが彼女を注視している。無事ドアが閉まり、みんなホッとしている。
これは、声をかけた方がよかったのだろうか。でも、あらぬ疑いをかけられてもつらい・・・。

始めは心配しながら気にかけていたのだけれど、途中からそのヒヤヒヤに胸がドキドキしてきた。「眠たいんだね。お疲れさまcoldsweats01」から「頼むから起きてくれぇ~sweat01」へ。
昨日の投稿同様、自分自身の中で勝手に感情を抱き、勝手に感情が変わるのが面白い(「面白い」って表現で合っているのか否か・・・)。相手がしていること自体は何も変わっていないのに。

なんて所で私の降車駅に到着。彼女はまだ乗っている。
無事に目的駅に着き、家に着いただろうか。スマホは無事だったでしょうか。

2018年10月20日 (土)

護美(ゴミ)

毎朝近所の公園を掃除していると、レンジでチンして食べられるご飯とレトルトカレーのゴミが捨ててある。
ご飯の器には当然カレーがついていて、正直きたない。
そういえば、このゴミを毎朝見かけるようになったのが掃除を始めたきっかけだ!
毎朝毎朝、公園のベンチの、横にある草むらにポイ捨てしてある。

「ゴミはゴミ箱へ捨てろよ!」
「食べ終りのゴミ、きたないなぁ」
「よくもまぁ毎日同じ物を食べ続けるなぁ」
などなど、よくもまぁ愚痴が出るものだとhappy01、掃除をしている。

なんてことをしているうちに、いつの頃からか私のこころの中に変化が。

「一人で淋しくないのかなぁ。いや、淋しく食べてるんじゃないかなぁ」
「これしか食べられないのかなぁ」
「お金、ないのかなぁ」
などなど、まだ見ぬゴミ捨て主に、同情というか憐れみというか心配というか・・・べつに上から目線で物を言っているわけではないけれど、単なる怒りから相手を想像してみる気持ちに、心が変化していることに気がつきました。

で、最近はそのゴミがなくなりました。

「どこかに引っ越したのかなぁ」
「体壊したのかなぁ」
「元気でいるだろうか?」
なんて思ってみたりして。

このゴミのおかげで、少しは公園の美化に貢献させていただいています。
でも、ゴミはゴミ箱へgood

2018年10月19日 (金)

かき

先の台風の際に折れたであろう柿の木
その柿の木の、折れてぶら下がった木に、柿がいっぱいなっていました。

折れても いのちは 生きている 実がなり 種が土壌に落ち また新しいいのちとなる

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2018年10月 3日 (水)

2018年10月のことば

台風に見舞われた夏でした。台風24号は凄かったです。3日間掃除しても、まだ終わりませんcoldsweats02
境内の芙蓉が折れてしまいました。秋のお彼岸にちょうど花を咲かせて、お寺参りの皆さんに美しい姿を見せていたのに残念です。けれど、折れた部分を切っていたら、太い幹(折れた部分)に包まれるように若い幹が育っていました。共に曲がっていたのに、若い幹はしなっていて無事だったようです。もしかしたら、残された若い幹が育って、数年後に花を咲かせてくれるかもしれません。お楽しみに。

 sun cloud rain snow thunder typhoon

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うれしいときだけが〝きみ〟ではありませんよ。
     日野原重明

暑い夏でした
あれだけ暑かった夏が過ぎ、秋の気配が漂います。いつの間にかセミの鳴き声も消えました。着る物に悩みますね。アイスコーヒーよりもホットコーヒーが欲しくなりました。日の暮れる時間が早くりました。夏の夕暮れと違って、なぜ秋の夕暮れは淋しいんだろう? 窓の外では鈴虫が鳴いています。
暑さに文句を言っていた私は、じきに寒さに文句を言い始めることでしょう。夏は暑くて冬は寒い。この当たり前の現実を受け入れるということが、なかなか難しいものです。

蜆蝶(しじみちょう) 我の心の 中で舞え
この夏に出会った番組です。
Eテレ ETV特集(9月1日放送)
「蜆蝶 我の心の 中で舞え ~少年俳人・小林凜~」

番組の内容
「いじめが原因で不登校を続けていた少年俳人・小林凜。医師・日野原重明との対話を通じ、成長していった中学から高校までの3年間の軌跡を見つめ、生きるとは何か考える。
若者の自殺が多いこの時期に、いじめと不登校を経験した少年俳人・小林凜の言葉に耳を傾ける。小学校入学と同時にいじめにあい不登校となった小林凜にとって、俳句は辛い時期を乗り越える唯一の手段だったという。俳句を通じて出会った亡き医師・日野原重明との俳句文通もまた、彼の心を支えた。番組では小林凜が不登校だった中学2年生から高校へ進学するまでの3年間に密着。俳句という表現の持つ力について考える。」
(NHK ETV特集ホームページより)

年齢差90歳の親友
小林凜さんは2001年5月、予定より3ヵ月早く、944グラムで生まれました。
未熟児で生まれ、予断を許さない状況でしたが、危うい時期を乗り越え、成長します。しかし、小学校に入学すると、体が小さく、体力も弱い凛さんはいじめにあい、不登校になります。中学校でもいじめは続きました。
5歳の頃から俳句を詠まれていた凜さんが、不登校のときに詠んだ俳句です。

いじめられ 行きたし行けぬ 春の雨

ランドセル俳人として知られていた凜さんは、聖路加病院の日野原重明先生と出会い、俳句を通して親交を深められました。年の差は90歳。日野原先生は、凜さんの影響を受けて俳句を詠み始められました。
文通を重ねるなか、凜さんが学校でいじめを受けていることを受け、日野原先生は手紙に書かれます。

 凜君
 忘れないでいて欲しいことがあります。
 うれしいときだけが “きみ” では
 ありませんよ。
 どんなときの自分も大事にすること。
 生まれてきたことは、
 それだけで素晴らしいことです。

 君たちの 使える時間 それがいのち

ことばのキャッチボール
日野原先生のメッセージ「うれしいときだけが “きみ” ではありませんよ」。うれしいときはもちろんだけど、かなしいときも、つらいときも、いろいろなときもすべてひっくるめて あなた自身ですよ、と聞こえてきます。
大人は、「子どもには分からないから、難しいから」「子どもにはまだ早いから」などと、まるで自分は分かっているかのように小さい人を見下します。けれど、小さい人は小さい人なりに一生懸命考えて生きています。日野原先生は、90歳年下の凜さんに、自分の生きてきたすべてを投げかけます。凜さんは、90歳年上の日野原先生のいのちの声を受け止めます。俳句や文通を通して、ことばのキャッチボールをしてきたふたりの信頼と尊重し合う姿が伝わってきます。

この当たり前の現実を
つらい思いをしている人に、どのような言葉をかけられるでしょう?
「今はつらくても、ここを乗り越えればいいことがあるよ」というような励ましの言葉もありますが、難しいですね。そんな励ましの言葉に、「やまない雨はないからね」「明けない夜はないよ」「冬を越えれば春の訪れがあるよ」などがあります。
私自身、20代の頃は、そんな言葉に励まされもしました。「そうだなぁ。 いつまでも雨が降り続くわけはないし、今はつらくても、いつか雨がやむときがくる!」と思えました。
年を重ね、「それはちょっと違うなぁ」と考えるようになりました。雨が上がって陽光が射しても、またいつか雨は降ります。夜が明けて明るくなっても、夜はまた訪れます。冬の寒さに耐えて暖かい春を迎えても、夏が来て、秋が来て、そしてまた冬を迎えます。
雨の降るときも、闇夜の晩も、寒さに凍えそうな冬も、それらもひっくるめて“わたし”です。日野原先生流に言うならば、「晴れているときだけが“きみ”ではありませんよ」でしょうか。
思うに、「やまない雨はないからね」と言う場合、雨を起点にしています。けれど、晴れの日があったからこそ雨の日を迎えているのかもしれません。
人は、出会いの縁を重ねて生きています。けれど、出会いには別れが付きものです。あなたとの出会いという人生最大のうれしいときをもらいました。けれど、それゆえに別れの淋しさに怯え、別れのつらさに涙せねばなりません。それも含めての“わたし”です。雨の背景には必ず晴れの日があります。その晴れの日を知ることができるのは、雨の日があるからです。
この当たり前の現実を受け入れるということが、なかなか難しいものです。

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掲示板の人形
クマの人形 9月末に京都での仕事があり(日帰り・・・残念!!)、帰りに新幹線の待合所のお土産屋さんで買ってきました。
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